29肩凝りー鼻セレブー
なんなの〜。
帰りがけ、詩ちょんに誘われて腰を下ろした公園のベンチで、そんな音が溢れた。
夕陽の落ちかけた公園で、わたし達2人だけがポツンと佇む。
「ひかりょんはい。ティッシュのおかわり」
「あ゛りがど〜」
鼻を包み込む高級感あふれる繊維に、ネガティブな感情は薄れゆき、罪悪感が芽生えた。
「わかる。わかるよ。
鼻セレブって尊いよね」
背中をさする詩ちょんの手があったかい。
細くて長くて白くて綺麗な手を心で追いかけていると、知らぬ間に平穏を取り戻していた。
「私ね、藤孝さんの気持ちも分かるよ」
「細川幽斎。もとい藤孝といえば足利将軍家に仕える真の忠臣なの。
室町幕府最後の15代、足利義昭で室町幕府は終わっちゃうんだけど、最後まで再興を目指して尽くした人なんだよ。
それに古今伝授っていう、古今和歌集の読み方を伝えられてて、剣術も一級品だった凄い人なの。
もっと言うと!藤孝さんの子供の忠興さんだって凄くって、父親同様文武に秀でてるだけじゃなくて奥さんもっ」
咄嗟に胸に顔をうずめていた。
「あ゛ぃがと〜」
鼻セレブを超越する柔らかさと、背中の温もり以上の安心に浸る。
今度は背中をトントンしてくれる。
「元気になったら沢山オタク話聞いてよね笑」
「ゲームも朝まで付ぎ合う゛」
『また何度も敗走させられるのですね・・・』
勇気づけられて、思わず笑みと鼻汁が湧いてくる。
少し座り直して、今度はわたしの頭の上辺りを見つめた詩ちょんが落ち着いたトーンで紡ぐ。
「光秀様は今度のこと、どう思いますか?」
確かに、光秀の意見も聞いてみたい。
光秀はしばらく考え込んだ後、分かりましたと一言呟いてから切り出した。
『藤孝殿と某にとって、足利義輝様の存在は希望でした。
どれだけ時を経たとて、変わることはありませぬ。
出来ることなら某も義輝様と歩みを共にしたいと考えております』
泣きやんだ子供のように、ひたすらうんうん頷いて聞いていたけど、最後の言葉が引っかかる。
じゃあ、なんで一緒に行かなかったんだろ?
表情から何かを察したのか、2人の会話を見守る詩ちょんは、鼻セレブの替え玉を手に、じっと顛末を見守ってくれている。
『お母上様との約束がございます。
何があってもお守りすると』
そっか〜。
安心して思わず頬が緩んだ。
「光秀様はなんて言ってるの?」
そう言って少し顔を覗き込む。
「光秀は守ってくれるって」
そっか。
何かを考えるように、短く、空気に混ぜられた言葉。
同時に手にしていた鼻セレブを、素早く右の鼻の穴に詰め込んだ。
鼻で一息ついた詩ちょんは、
「光秀様はそれでいいんですか?
藤孝さんと対立してしまうことになるかもしれないのに」
わたしの胸の辺りに視線を向けながら、ゆっくりと尋ねた。
『大したことではありませぬ』
明るく言ってのける光秀とは対照的に、張り詰める肩が鈍色の雲が訪れる予感を嗅ぎつけていた。
「ひかりょん、光秀様は?」
「大したことないって」
出来るだけ言葉通りを伝えるよう、努めて明るい声を出してみた。
「そっか!
じゃあもう大丈夫だね!」
というとおもむろに鞄を開け始める。
「ちょっ、それわたしの鞄!」
言葉を続けようとしたけど、遮るように出された左手に急ブレーキを踏んだ。
その手には一本のアルトリコーダーが握られている。
「今日の分の練習!
明日はもう文化祭なんだからね!」
太陽と共に、地平線の彼方へ、コンドルは飛んでいった。\ピロー/




