プロローグ
腹が空いた。
パソコンをつけっ放しで廊下へ出た。明るい。
もう朝かよ。
徹夜でパソコンに向かっていたらしい。
何か腹に入れたら、一眠りしよう。昼夜逆転生活にはもう慣れてしまった。不登校も1年になれば、そうなる
のは必然だ。
台所へ向かうと、テーブルの上にメモが乗っている。
『カレーを温めて食べてください。』
いつもどおりだ。でも今日はちょっと違って、その下にまだ何か書いてある。
『連 たんじょう日、おめでとう』
壁に貼ってあるカレンダーを見る。赤い丸があるのがたぶん、俺のたんじょう日だ。
たんじょう日にカレー。いつからそうなったか、もう覚えてない。
カレー臭い台所を抜けて、玄関へ向かう。
悪いな、かーちゃん。徹夜の俺の腹は、パンとスナック菓子と炭酸飲料を欲している。
スニーカーを履いて、外へ出た。
小さいアパートの二階から外へ出て、狭い階段を下りる。
コンビニは、アパート前の道路を行った先の交差点を右に曲がったところだ。
交差点に出ても、人はあまりいない。
朝といっても通学通勤時間はとっくに過ぎていて、お昼にはまだ早い。
コンビニの前にたむろするヤツラの姿もなく、夜食を買いに出た時のようにビクつくことなく店内へ入れた。
菓子パンを一つとスナック菓子を1袋にコーラを持ってレジに行くと、アルバイトのかわいい女の子じゃなくておっさんだった。
しばらくぶりに人と対面したのがこれかよ。
おっさんの不審者を見るような視線が痛い。
平日の昼間、コンビニに来るようなヤツはみんな不審者に見えるんだろうな。
ため息をついて、コンビニを出た。
交差点を左、アパートの前の道路をトボトボ歩いていく。
かーちゃんと二人だけの暮らしだから狭いことはないが、古くてボロい2階建てのアパートが見えてくる。
それほど人は歩いてないが、こんな時間に外をウロウロしてるのを見つかると職質されそうだ。
さっさと帰って、寝ちまおう。
歩く足を速めた。
その目の前をサッカーボールがポンと飛んできた。
反射的に足で止める。
飛んできた先を見ると、男の子がこちらを見ている。
道路に飛び出したら危ないだろう。
俺はそっちへ蹴り返した。
ボロアパート前の狭い一方通行の道路だ。大きく一つ弾んで男の子に届いた。
受け取った男の子が笑顔で手を振って帰っていく。
良い事した気分でボロアパートの方へ向き直った時、背後に唸るような音を聞いた。
大型トラックが抜け道にこの狭い道路をよく使う。
幅ギリギリで危ないなあ、なんていつも腹を立てていたが、まさかそれが自分に向かって来るとは思わなかった。
運転手が左手に携帯、右手にハンドルを握っているのが見えた。正面だ。
避けようもなく、俺はあっけなく、たぶん、死んだ。
目を開けると真っ白だった。
ここが天国なら、ずい分と世界観の貧相なところだ。
お花畑も三途の川もない。
天使もいなけりゃ女神もいない。
何かないかとキョロキョロしていると、てっぺんハゲの白い髭に白いズルズルした布を巻いた格好の爺さんがいた。
布のたるんだ胸元から、1本毛の生えたビチクが見えたがうれしくもない。
俺と目が合うといきなり唸り始めた。
「ああ~なんてことじゃ。間違って人を死なせてしまうとは・・・」
「・・・・・・」
「神であるわしに罰を当てるものもない」
「・・・・・・」
「どうしたらよいのじゃ!」
「・・・・・・」
「はっ。おぬし、今の話・・・聞いておったのか?」
「・・・・・・」
「しょーがない。今なら復活大セールじゃ」
「・・・・・・」
「異世界へご招待!何、心配することはない。わしは神じゃ。お前の望むものを何でも与えよう」
「・・・・・・」
「わしを連れて行きたいというなら、たっぷりサービスするぞ」
「だが、断る」
「遠慮せんでもいいぞ。わしはこの世界の創造神じゃ。わしと一緒なら、チートでもハーレムでも何でもや
りたい放題じゃ」
「どこのニーズに合わせたら、爺さんと異世界冒険する話がウケるんだよ」
しかし、何でもやりたい放題は魅力だな。
「間違って俺を殺したっていう話は本当か?」
「殺したなんて人聞きの悪い・・・」
爺さんが肩を落としてしょげてみせる。
「死なせてしまったが、わしは異世界とはいえ神じゃ。元の世界へ戻すことも難しくはない」
「じゃ、そうしてくれよ」
「難しくはないが、出来るとは言っとらん」
「屁理屈言いやがって」
しかしこの爺さん、パッと見は小さく見えるが案外背が高いな。見上げていると首が痛い。
「ん?」
汚い爺さんを見上げるのをやめて、自分を見下ろした。首は楽になったが、とんでもないことが分かった。
「なんで俺、縮んでるの・・・?」
見下ろす身体は細っこくて華奢。さっきから背中が痒いのは、長い髪の先が背中に当たるからだ。
着ているのは袖なしの短い白のワンピース
「ょぅι゛ょ じゃねーか!」
「かわいいぞ」
ヒッヒッヒッと爺さんがいやらしい笑みを浮かべ、俺を上から下まで舐めるように見た。
「おれの身体を返せ!」
爺さんの胸ぐらを掴んだ。
締め上げたつもりが、爺さんの重さを感じない。よく見ると足が浮いている。神とか言ってんの、イッてる
訳じゃなくて本当なのか?
「元の身体は修復中じゃ。仮の器が今、ちょうどこれしかなったんじゃよ~仕方なかったんじゃよ~
入れ歯の外れたような舌っ足らずな声で、骨ばった体をくねくねさせて爺さんが言う。
キ モ イ
「せめて男の身体にしろよ。ただし、イケメンに限る」
「急すぎて無理じゃ。これで我慢せい。オプションは付け放題じゃぞ」
「じゃ、まず巨乳と名器」
「ちっぱいは正義」
「こんなんじゃ男をたらし込もうにも、法律にビビッって誰も手も出しやしねえ」
「大丈夫じゃ。ここは異世界。神であるわしが法じゃ」
えっへんとアバラの浮いた胸を反らす。
「まあ、そう言うな。その身体は見かけこそ貧弱じゃが、そんじょそこらの強力より丈夫じゃ」
「腕力も負けん」
言われて試しで細い腕を折り曲げた。筋肉らしい盛り上がりは、ほとんどない。
「ステータスは、どこで見るんだ?」
爺さんはきょとんとした顔で俺を見た。
「すていとす、って何じゃ?」
「ステータス。異世界じゃお約束だろ」
高いステータス表示で、読者のハートをキャッチ☆
「何なんじゃーそりゃあ・・・」
爺さんボケてんのか本気なのか分からん。
「能力を数値化して表示させるヤツ。強い弱いが一目でわかる便利もの」
「な・・・んじゃと・・・」
爺さんがヨロヨロと座り込んだ。
「こんな年寄りに計算させようなんて・・・体も弱って最近、記憶もとみに悪くなってきて・・・エホッゴホゴホ・・・」
「年寄りに無茶なことを言いおる。まったく最近の若者は・・・ゴホッ」
わざとらしい。
そういうモノがない異世界もあるということか。まあ、この頭の弱そうな爺さんが創造神では仕方がない。
「スケルトンじゃか何だか知らんが、能力的には申し分ないようにしておいた」
「戻る方法が見つかるまで異世界を楽しんで来い」
トンと押された感覚の後、いきなり目の前が緑に染まった。
中世風の森並みが目の前に広がっていた。
森に中世風があるのか分からないが、異世界を分かりやすく説明するにはそう言うらしい。
さてこれからどうするかと腰に手を当てて考えていると、絹を裂くような悲鳴が、森の中に響いた。
チャーンス!
チートしたい → 助ける → 尊敬される → モテちゃう
モンスター退治 → 金になる → 助けた相手から礼金 → 金になる
単純ではあるが、大変、魅力的な異世界方程式だ。
冒険譚の幕開けにふさわしいではないか!
俺は力強く第一歩を踏み出した。