プロローグ 小悪魔御嬢様と転生従僕悪魔
ζ(・ヮ・)ζ<ブタウマァ
(´・⑪・`)<ブヒヒン
「ベース・ベッド! ベース・ベッド!」
「はいはい、なんですか御嬢様」
可愛らしい声が響いた赤い赤い部屋。家具から装飾品まで赤で統一された豪奢な部屋に男が入ってくる。
鴉の羽のように黒い髪に金を主とした赤い双眸。そして不健康な白い肌をした“だらしない”男だ。
その男がヘラリと笑って向かうのは、無暗に巨大な寝台の上でふんぞり返った幼い少女の元。小さな体の脚まで届く長髪は金糸の様に滑らかで。大きな双眸はだらしない男と同じ、しかしそれ以上に美しく力強い真紅と真金だ。そして男には無い小さな角がコメカミの上辺りから二つ、ぴょこんと生えていた。
「ひまー! ウマになれ!」
「はいよろこんで~」
「とおっ!」
言うが早いか流れるような体捌きで四つん這いになった男の背中へと幼い少女がジャンプする。着ていた真紅のドレスがヒラリと舞い上がり、下履きのドロワースの白色が鮮やかに現れるが、それを見咎める者は此処には居ない。馬になっている男もドロワースなんてカボチャズボンにはトンと興味を感じない。
しかし男の背中に着地した幼い少女の小さなお尻の感触はご褒美であった。小さく軽いとはいえかなりの衝撃を受けた背中の痛みを悦楽で塗り替えた男は気持ち良さそうな声を上げた。
「ブヒィ!」
「ブタじゃない! ウマになれといったぞ!」
「ブヒッヒーン!」
幼い少女が何処からともなく取り出した鞭の一撃を尻に受けた男が気持ち悪い…もといウマの鳴き声を上げた。
「ブタウマ?」
ウマ…もとい気持ち悪い鳴き声に幼い少女が首を傾げた。
そして始まるお馬さんごっこ。幼い少女がペシリ、ペッシーン!と男の尻を叩いてはブタウマと化した男が鳴きながら、広い、広すぎる室内を四つん這いで歩き回る。
とは言え幼い少女にとってこれは日課のような物。既に惰性でやっている感もあるのですぐに飽きてしまう。
「うぬぅ…ブタウマ! もっとおもしろいことないのか!」
「ブヒン? そう言われましても――」
「ブタウマがしゃべるな!」
「そんな理―ブヒィーンン!」
正に理不尽。幼い少女は自分で聞いておきながら返答した男の尻に今日一番の鞭打を加えた。
そしてピョコンと男の背中から飛び降り、大きすぎるベットの縁にチョコンと腰かける。
「うぬにゅ…ブタ、じゃなかったベース・ベッド。おまえがわたしのところにきてからどのくらいになった」
「はあ。……良く覚えてませんが20年と少しくらいですかね? そろそろ自分が人間だったころくらいになるかなあと思ってましたから」
「うむ。きょうでめでたく25ねんだ。だからわかるだろ、んん?」
幼い少女が忙しい父親から僕として男を貰ってから25年。どう考えてみても外見と経過年数が一致しないがそれも当然だろう。なぜならこの幼い少女、デビディア・デイヴィルは悪魔。それも魔界の一領土を自治する大公爵の娘なのだから。
御年85歳。人間からすると割とリアルな年齢であるが、悪魔としてはまだまだ幼い。ベース・ベッドと呼ばれただらしない僕は60歳の誕生日に貰ったペット…もとい僕だったのだ。
元人間。“怠惰”と言う大罪を犯したが故に生きたまま地獄に連れ去られ、人間から最下級悪魔となったベース・ベッドは自分のご主人様を見て後頭部を掻いた。
「暇なんですよね? うう~ん。屋敷で出来ることなんてやり尽くしてますし。かと言って旦那様からは御嬢様を屋敷の外に出すなって言われてますからねえ」
「それ! それ! なんでそとにでたらダメなのだ!」
「いや、危ないでしょ。ここ地獄ですよ? お嬢様みたいな可愛い子が外に出たらすぐにパクン、ペロンですよ?」
えっ、わたしかわいい? デビディアは頬に両手を当ててモジモジした。父親からも僕たちからも可愛い可愛いと言われ慣れているが、まだ素直に受け取れる純粋を持っているのである。
しかし直ぐに持ち直してそれだー!と言わんばかりにベース・ベッドを指さした。
「そうジゴク! ジゴクにでたらダメなのだ! だったらジゴクにでなければいいのだ!」
「おうん?」
パンが無いなら…以下略。的な事を言ったデビディアにベース・ベットが首を傾げた。
「なければって御嬢様。なら何処に行くんです?」
「うにゅふふ。じつはわたしはしっているのだ。おとうさまがヤシキのなかからチジョウにテンイしているのを」
「あーあー」
知っちゃたかーとベース・ベッドは頭を抱えた。この好奇心旺盛で悪戯好きな、正に小悪魔な御嬢様にそれを知られないよう屋敷の者たちが総出で隠していたのにと。
だが、これは来たるべきが来ただけの話でも合った。何十年も隠し通せる話でもないのだから。80年も隠し通せた事が上出来だ。
怠惰なベース・ベッドからしてみれば面倒この上無い時が来てしまったが、それを含めデビディアを護るために父親、この悪魔公爵家の主から保険となる秘宝を複数預かってもいた。
「知ってしまったのなら仕方ないですね。……行かないって選択肢あります?」
「ない!」
「デスヨネー。んじゃ、ちょこっとだけ行ってみます?」
「いく!」
「デスヨネー。……はぁぁ~」
ベース・ベッドはこれから屋敷の者たちに説明した時の事を考えて憂鬱になった。
なにせベース・ベッドは屋敷に仕える僕としては最も新参者であり、力の無い最下級悪魔でありながらデビディアの僕となった疎まれ者なのだ。
25年仕えた今となっては多少改善されているものの、数百年数千年を生きる悪魔としては新人が抜けるか抜けないか程度の時間である。今から先輩たちにチクチクと嫌味を言われるのは確実であった。
「ブタウマ!」
「ブヒヒン!」
言うが早いか飛び上がったデビディアを、さも当たり前の様に四つん這いになったベース・ベッドが背中で受け止める。そのまま四つん這いで部屋の扉の前に移動するとデビディアがノブを回し、それが自然な状態であるようにベース・ベッドが四つん這いのままで廊下に出る。
ブタウマを乗りこなす小悪魔御嬢様。言うなればブタウマ・プリンセスライダーと言う新種悪魔だ。
ブヒブヒブッヒーンと時折鞭打たれながらブタウマ…もといベース・ベッドは屋敷の奥へと向かう。
時折屋敷の僕たちとすれ違うが、ブタウマ・プリンセスライダーはこの屋敷では自然現象の様なものなので誰も見咎めなかった。
従僕たちの性別は女が多い。これは現在の大公爵家の子供たちが女の子ばかりであるからだ。男は大公爵一人だけであり、妻と3人いる娘の世話をするのに女性従僕に偏っていた。
基本的には男は古参の実力者ばかりであり、それが男であり新参者であり最弱者であるベース・ベッドの立場をより低くしていた。
基本的に従僕たちの仲は良好なので問題となることは少ないが。
そしていよいよデイヴィル大公爵家の最奥。宝物庫や秘蔵図書室などの倉庫が在る区画へと入ったところでブタウマ・プリンセスライダーは足を止めた。
目的地に着いたのではなく、一人の女僕が立ちふさがったからだ。
「御嬢様、どちらへお向かいですか」
「うにゅ! メメント!」
メメントと呼ばれた女僕。日本は平成生まれのベース・ベッドからすればクラシックメイドスタイルの眼鏡美女の怜悧な眼差しがデビディアを射抜く。
会いたく無い奴に会ってしまったとデビディアが震える。だがそれも仕方が無い事であろう。
この女僕の名はメメント・ウィータ。デビディアのかつての世話係であり、現在でも教育係を務める最上位の僕であったからだ。
未だ親の庇護下に在るデビディアからすれば、両親を除けば最も逆らえない相手でもある。
「ちょ、ちょちょっとさんぽなのだ! ではな!」
「……では私もご一緒しましょう」
「なにゅ!?」
挙動不審にその場を立ち去ろうとするデビディアだったがサラリと付いてくるメメントに目を剥いた。ただでさえ大きな瞳がさらに大きくなった事で零れ落ちそうだ。
なお、ここまででメメントは一切ベース・ベッドに視線をやっていない。デビディアの下に居るので自然と視界には入っているが、ベース・ベッドもまた無言を貫いていた。
「にゅぐぐ。……(ベース・ベッド、おまえからもなにかいうのだ)」
「……(無茶言わんでください。私がメメントさんに殺すほど嫌われてるの知ってるでしょ)」
肩をテシテシ叩きながら小声で話しかけてくるデビディアにベース・ベッドが泣きそうになった。
その理由は既に知れている。ベース・ベッドがデビディアの現在の世話係であり、メメントが前の世話係なのが理由だ。それもデビディアの父が地球から拾って来た何処の馬の骨とも知れない元人間の最下級悪魔。これで何も思わない方がおかしい。
ベース・ベッドにとってもメメント・ウィータは大公爵一家を除けば最も逆らえない相手であった。
因みに、殺すほどと言うのは語弊では無い。ベース・ベッドの僕としての教育係でもあるメメントにはその教育課程で何度もうっかり殺されているのだから。
「―チッ。ゴ…ベース・ベッド。私に何か言う事は?」
自分が本来居た場所。敬愛すべきデビディア御嬢様のお傍でイチャイチャ?と内緒話をするベース・ベッドをメメントが忌々しそうに見下ろす。
舌打ち!? しかもゴ…って黒い悪魔の事ですよね。そんなに嫌いなら無視してて下さいよ~。
などととても口にできないベース・ベッドは臆した御嬢様の代わりに渋々口を開く。
「御嬢様が転移門に気付かれてしまいまして。そのお供をするところです」
「……そうですか。お止しようにもこっそり行かれてしまっては大事になりますね。解りました、屋敷の者には私の方から通達しておきます」
本来なら絶対に止めたいメメントであったが、これは屋敷の主であるデビディアの父親が決めた来たるべき時であったがために己の意志を飲み込んだ。
しかし、メメントの怜悧な瞳が剣呑な光を帯び、ベース・ベッドの頬を不可視の力が叩いた。
「痛っ!? 痛い、痛い」
決して幻痛や幻視では無い。悪魔として中級上位に位置するメメントの魔眼は視線だけで対象を破裂させる。ベース・ベッドの頬を叩く不可視の爆裂は単なる八つ当たりだ。
「(くっ、本当なら私が御嬢様のお馬さんだったのに! このっ、このっ!)」
「(もう勘弁して下さい! でもお馬さん係は絶対に譲らんもんね!)」
急に黙り込んだ僕二人に首を傾げるデビディア。その裏側で熱を上げて行くお馬さん係争奪戦だったが、それも目的地に到着した事で終わりを告げる。
「ム、ナニヨウデスカ、オジョウサマ」
「そこをとおしてもらうぞ! なにがあるのかはわかっておるから、もんどうはむようなのだ!」
目的地となる転移室、三千世界の間。その扉を護る守護悪魔像は定められた時が来た事を知り、足を止めて自分を見つめるデビディアを部屋の中へと招き入れる。
まんじりとも動かない守護悪魔像の意志を受けて鍵が開き、音も立てずに扉が開いた。
「ゆくぞブタウマ!」
「ブヒヒン」
相変わらずブタウマ状態のベース・ベッドは御嬢様の勇ましい指示を受けて動き出す。
三千世界の間は名前の大仰さに反して何も無い部屋だった。デビディアの広すぎる部屋からすれば狭いが十分に広い室内には家具が一つとしてなく、壁に所々備え付けられた照明だけが明々と光を放っている。
しかし一つだけ大きく異彩を放つモノが在る。それは部屋の中心でグルグルウネウネとこねくる様に動く黒光。まるで光すら吸い込むと言われるブラックホールが如きナニかだった。
「これがテンイモンなのか? そうぞうしてたのとちがうぞ」
「この部屋じたいが門なのですよ御嬢様。ソレは三千世界全てに繋がっている混沌穴です」
メメントがベース・ベッドの背中からうやうやしくデビディアを下ろす。流石にブタウマ・プリンセスライダー状態での転移は見た目が悪すぎるからだ。
「ほーこんとんか。どうやっていくセカイをシキベツするのだ?」
「縁を持ってです」
「エン? たしかベースベッドのうまれコキョウのコトバだったな」
「はい。愚かしくも悪魔を召喚した愚物が用意した供物であったり、使用者そのものが持つ、もしくは持ちえる事が出来る縁を辿って行先を決めます」
???とデビディアの頭の上にクエスチョンマークが出る。実は縁と言うのは悪魔にとっては大事な要因であるのだが、まだまだ未熟な悪魔であるデビディアにはそれが実感できていなかった。
可愛らしく首を傾げるデビディアを見てメメントが微笑む。
「難しく考えることはありませんよ。御嬢様が望む世界へと繋がると思っていただければ十分です」
「おおそうか! しかしわたしがいきたいセカイか……」
どんな世界に行こうかと腕を組んでうんうんうなり始めたデビディアの横でメメントの眼差しが狭まる。その向いた先はブタウマ状態から従僕状態に移行した(立ち上がっただけとも言う)ベース・ベッドだ。
「解っていますねベース・ベッド。御嬢様の身は例えその世界を滅ぼし尽くしてでも護るのですよ」
「解ってますよメメント先輩。そのためにお預かりしている秘宝の数々です」
ベース・ベッドは己の体に封じられた数々の秘宝を示すために胸の中心、心臓が在る場所を手で押さえた。
とは言えデビディア自身が大公爵の血を引く上級悪魔であるため、幼く未熟であっても命の危険があることなどそうそうありえないことなのだが。この場合は毛ほどの傷も付くことが許されないと言う僕にとっての心構えの問題だ。
ベース・ベッドとメメント・ウィータ。御嬢様の世話係を廻って色々思う所のある二人であるが、その心根に在る思いは同じであった。
「……ベース・ベッドがいたセカイにいってみたくもあるが、クウキがマズイそうだからな……にたようなセカイでクウキがウマイセカイとかいきたいな!」
「お決まりになられましたらそう念じながら混沌穴へとお入りください。御嬢様が願う世界で縁が出来そうな世界へと繋がります。ベース・ベッドは御嬢様の事を考えていれば縁が繋がります」
「了解です」
正真正銘の箱入り娘であるデビディアを異世界に送るには少々素っ気無い見送り方である。だがそれは御嬢様と、思いたくはないがベース・ベッドを信頼してのことだった。
ベース・ベッドの御嬢様、強いては大公爵家の忠誠心は他の僕たちと比べても負けず劣らず。何よりデビディアを護るために与えられた秘宝の数々は、最弱のベース・ベッドが例え異界の神を相手にしても御嬢様を護り抜けるだけの力があるのだから。
「ではいってくるぞ! おとうさまたちにはみやげをもってかえるといっておいてくれ!」
「かしこまりました」
元気良く言い放ったデビディアは逸れてはかなわぬからとベース・ベッドの手を握る。小さな手にキュッと握られたベース・ベッドは叩かれてもいないのにブヒィと声をもらし、嫉妬したメメントの魔眼の一撃を股間に受けて顔を青くした。
「ブッヒィ!?」
「なんだベース・ベッド。いまはブタウマしなくてもいいのだぞ?」
不思議な顔をする小悪魔御嬢様と青い顔して冷や汗を流すブタウマ従僕悪魔。その姿が混沌の闇に飲み込まれ地獄から消える。
後に残ったメメントはふう…と小さく息を吐いてその場を後にした。
ζ(・ヮ・)ζ<ブタウマァ
(´・⑪・`)<ブヒヒン