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そしてコンサートが終わってから二週間ほど経った頃、私は因幡先生の教室に足を運んだ。
「先生、お邪魔します」
「どうぞー」
先生の返答を待ってから扉を開けると、いつも通り笑顔で出迎えてくれた先生と、その後ろには見知らぬ一人の男子が立っていた。
「ああ、紗佳さん。こちら、私の甥っ子の城島尚樹君。尚樹君、こちらがいつも話している河原紗佳さん」
「どうも、初めまして。城島尚樹です。尚樹って呼んで下さい」
人懐っこい、色気も含む笑顔を浮かべながらそう挨拶をする尚樹君。
先生の甥っ子、というイメージとはまるっきり逆の、プレイボーイだ。顔立ちは何となく似ている気がするのに、先生は天然王子で尚樹は計略王子、というような印象を受ける。どちらも女性にはモテる容姿と言動、性格なのだがその質、ありようが真逆であるように思える。
「初めまして、尚樹君。河原紗佳です。微力ながら因幡先生のお手伝いをさせていただいています」
「尚樹君は確か、紗佳さんの二つ下だったかな? 尚樹君はヴァイオリニストを目指しているんだけど、既にその腕前はプロにも引けを取らない凄腕なんだよ」
尚樹君は凄いんだよー、カッコイイんだよー。と、身内を褒めることに何の照れも抵抗もなく素直に賞賛する因幡先生に生温かい瞳を向けて和んでいると。ふと、視線を尚樹君の方へ向けると彼は苦笑を浮かべつつ優しい眼差しをしていた。
「そうだ尚樹君、良かったら紗佳さんのためにヴァイオリン弾いてもらえないかな?」
「いいですよ、別に」
そう言って尚樹君はヴァイオリンを首と肩に挿み、弓を構えた。
一呼吸置いた後、奏でられ始めたのは何ともマイナーなパッヘルベルの『ジーク』。この曲はパッヘルベルの有名曲『カノン』とセットで原曲を形成しており、カノンの次にジークが演奏されるようになっている。が、カノンに比べて演奏される機会は少ない。けれどもその旋律はカノンに負けず劣らず軽やかで、私の中ではカノンが天使の花園のイメージ、ジークは少女の舞踏のイメージを持っている。
およそ1分半の演奏が終わり、私は自然と拍手をしていた。
「御清聴、ありがとうございました」
尚樹君が笑顔で、ちょっと気取りながら一礼する。
「凄く良かったです、尚樹君」
「ありがとうございます、紗佳…さん?」
どう呼んでもらうか、そういえば決めないままだったので尚樹君は私の反応を探るようにちょっと小首を傾げながらそう私を呼んだ。
「紗佳さん、で、大丈夫ですよ」
「じゃあ、遠慮なく。紗佳さんも、俺に敬語なんて使わなくていいですよ? 俺より年上なんですから」
「うん、わかった」
ニッコリと、子犬を連想させる笑みを浮かべる尚樹君に私もちょっと心がほっこり温かくなって笑顔を返していた。
「そういえば紗佳さんって、二週間前…だったかな? コンサートにでてました?」
「え、あ、うん。い、一応……」
尚樹君のその言葉に、恥ずかしさがこみ上げ。顔を薄く赤く染めながら、小さく頷いた。
「俺、あの時偶々叔父さんからあのコンサートのチケット貰って行ってたんだ。紗佳さんの幻想即興曲、すっごい好きだった」
尚樹君はとても楽しそうにそう言う。その瞳の真っ直ぐさが、私もとても嬉しくて。
「あ、ありがとう……。でも、先生たちと比べたら全然拙くて。そう言ってもらえて――」
「俺は、紗佳さんの演奏があの時のコンサートの中で一番好きだったよ。繊細で力強くて、完璧じゃないからこそ惹きつけられた」
尚樹君の言葉に俯いていた顔を上げ、目の前にある双眸を真っ直ぐ見つめていた。瞳の奥まで優しい笑顔に、後から尚樹君から「花が綻ぶような」と言われた笑顔を浮かべていた。
「すごく、嬉しい」
――この日は尚樹君と私で先生のお手伝いをし、とても満たされた一日を過ごした。
そんな出会い方をした尚樹君に偶然再会したのは、あの時から約四年後の大学三年の時だった。
「あれ、紗佳さん?」
聞き覚えのない声に名前を呼ばれて振り向けば、そこには微かに見覚えのある面影を残した人物が立っていた。
「尚樹君?」
そう。初対面の日を入れて、数回ほどしか会うことのなかった尚樹君がキャンパス内に立っていた。
驚きに目を見張り立ち尽くしていると、駆け足で尚樹君の方からやってきた。
「紗佳さんの通ってる大学ってここだったんだ」
「尚樹君はどうしてここに?」
「ああ、俺も今年ここに入学したんだ」
「そうなんだ。凄い偶然だね」
それから接する機会も自然と多くなり、「紗佳さん」は「紗佳」に、「尚樹君」は「尚樹」に変わっていった。敬語もなくなり、年の差なんて関係なく親しい友人になっていた。
そんなある日のキャンパス内のカフェテリアにて。あるドラマの話題から、恋バナで盛り上がっていた。三夜連続放送で一夜完結の、ある学生らのおりなす恋物語。その二夜目の昨日は、一昨日の一夜目で見事カップルになった男女二人の親友の女性にスポットを当てた内容だった。最後は彼女の失恋とそれを後ろから辛そうに見つめる男性をクローズアップしたところで締めくくられていた。それに対して尚樹君は、
「好いた女が泣いていたら、きっと駆けつけて抱きしめて、涙なんか止めてみせる」
「ぶっ。大多数の女性にとっては花丸の回答だね」
冗談めかしてそう言う尚樹に、私はついついおかしくなって笑ってしまった。
「あ、信じてねーな」
不服そうに頬を軽く膨らませる様子が、年相応に見えて可愛らしい。
「何で笑ってんだよ」
思わず笑みをこぼしてしまえば、それを見た尚樹は益々むくれる。それがまた可愛い。
「そ、それより。今夜は佐緒理と雅哉の恋物語だよね。どんな感じになるんだろう」
「そりゃあ、主役は雅哉だし。雅哉視点で作られてるんじゃねぇの?」
一夜目は誠一と真里菜それぞれの視点で作られていて、二夜目は佐緒理に視点をあてていた。一夜目はじれじれで、見ているこっちがやきもきしてしまった。二夜目は佐緒理演じる女優さんの見事な演技に、ほとんど終盤まで佐緒理の恋心に気づくことはできなかった。そして今夜の佐緒理と雅哉の恋の行方は、気になって気になって……。
「こら、一人で妄想の世界に浸るな」
ポカッと、軽く頭を小突かれて自分が妄想の世界に浸っていたことに初めて気がついた。
そんな風に私は楽しいキャンパスライフを送っていた。
あの日、あの再会を果たすまでは――…。
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文法上誤用となる3点リーダ、会話分1マス空けについては私独自の見解と作風で使用しております。