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そしてコンサート当日。
私は事前に言っていた通り開始時間よりも約一時間早めに会場に着いた私はまず関係者控え室へと向かい、主催者の一人でもある先生のところへ足を運んだ。
コンコン、と軽くドアをノックすれば。「はーい、どうぞ」と、声が返ってきた。
「失礼します」
そう言いつつ、ゆっくりドアを開ける。
「おはようございます、先生」
「ああ、紗佳さん。来てくれたんだね、ありがとう」
「これ、お約束していた差し入れです。子どもたちの分と、これは先生に」
子どもたち用のお菓子の入った小袋をまとめている袋と、先生用に作った少し大きめの袋の二つを渡した。お菓子はピンポン玉より一回りほど小さい程度の大きさの丸いミニケーキ。味は三種類で、子どもたちには三種類を一つずついれて先生には五個いれている。袋にはプラスチック製の小さなフォークをいれているので、手が汚れず食べられるようにしている。生地もホロホロと崩れやすくこぼれやすくならないように工夫したので、子どもが食べても食べこぼしは少なくて済むだろう。
「小さなミニケーキを入れてあります。食べるときには良かったら、一緒に入れてあるフォークを使って下さい。子どもたちにはミルクティー味もいれていますけれど、先生にはミルクティーではなくセイロンのストレート味にしているので甘さ控えめに出来上がっていると思います。後はシンプルなバター味とココア味です」
「こんなにたくさん……。ありがとう、大事に食べさせてもらうよ」
驚きに目を見張った後、ふわっと相好を崩して嬉しそうにそう言ってくれることが何よりも嬉しかった。
「じゃあ、私は客席の方に移動しますね。頑張って下さい」
「うん、ありがとう」
ぺこりとお辞儀をして控え室を後にする。幾人か知っている有名な演奏者とすれ違ったが、軽く会釈するだけに止めた。否応にも高まる鼓動は頑張って押さえつけ、はしゃぎたいのも踏みとどまった。でも、心の中では一人で興奮しっぱなし。時々へらっ、と笑った顔をみた人がいれば不気味だと思ったに違いない。
(――ごめんなさい)
そう、心の中で誰、とも分からない相手に謝る。
そんな挙動不審気味な態度をしながら無事、会場の指定席に辿り着いた。開演時間三十分前ともなれば、座席はだいたい埋まっている。ちなみに私の指定席は五列目の真ん中。ステージに近すぎず、遠いとはいえないベストポジション。一列目の席でも良かったのだけれど、以前に〝五列目以降十列目までの場所が一番好きなんです。〟と言ったことを先生は覚えていてくれていたみたい。既に五列目に座っていた方たちにお礼をいいながら、席まで辿りつく。
「えっと、最初は先生方のピアノと子どもたちの合奏からなのね」
会場に入って受付をした時に渡されたパンフレットにざっと目を通す。パッと見ただけでも、それなりに有名な演奏家の名前がちらほらと目に入った。
――これは、満員確実ね。
『 音を楽しむ 』
ということがコンセプトのコンサート。メインはもちろん、大人も子どももプロもアマも全員が合奏するミニというには盛大なオーケストラ。厳格なルールはなく、演奏者も観客も楽しめるような演奏を、雰囲気づくりを、という考えの下に開かれた今回のコンサート。普段は見られない、プロのはっちゃけた部分を楽しみにしているファンが大勢押しかけることは必至。もちろん、楽しんでくれるのならばプロのファンでも歓迎するのだが。普段、音楽にふれる機会のない人たちのために、開いている。という想いもあるため、まずは主催者・参加者自らチケットを配り、それであまった席を一般に売り出す。という方法をとっている。もちろんそんなに席が余るわけもなく、参加するプロのファンは必死でチケットをゲットしようと躍起になる。そうなれば考えられるのは、チケットの法外な高騰。それを防ぐため、購入者以外の使用は不可能とし、又ネットオークションなど正規以外で売買されているのを発見次第そのチケットを正規で購入した人の立ち入り、購入を拒否するという徹底ぶり。
そんな、この音楽界の中ではかなりの人気のコンサートをみることができることになった偶然という名の運命に感謝は尽きない。
今回のコンサートで最初に演奏するのは、主催者の四人。因幡先生のヴァイオリンと他の教室の先生である笹田明里さんのヴィオラ、それからプロの相馬綾人さんと伊藤那岐さんのチェロとピアノの四重奏となっている。この四人は先生に聞いた話だと、以前留学中に同期だった人達なのだとか。
プロとアマの合奏。
なぜこのような組み合わせがトップバッターにくるのか。それは、因幡先生やその仲間・友人が開催する硬すぎないコンサートの場合は、ほぼ確実に選択している案でもあった。その理由は完璧すぎず、子どもたちや聴きにきてくれている人たちが委縮しないように。緊張をほぐして背中を押せるような。そんな思わず笑顔が浮かぶ、楽しい演奏を奏でることを目標としているからだ。最初に良い雰囲気づくりに成功していると、次から演奏する人たちも程よく緊張が解けて気負いすぎず演奏が可能となるし。聞いている人もリラックスして、構えず聴ける準備ができるからだと以前に聞いたことがあった。ちなみに私は先生だけでなく、笹田さんに相馬さん、伊藤さんの全員と畏れ多くも合奏をしたことがある。コンサートといった公の場ではなかったけれど、とてもとても有り難いことだったけれど、本当に緊張して演奏中は頭が真っ白になってしまい殆ど何も覚えていないという非常にもったいないことになってしまったことだけが悔やまれる……。
先生らの四重奏が終わった後は、参加している教室の先生と生徒の一対一の合奏が記載されている。それが終わったあとは、プロアマの区切りはなく成人がそれぞれ独奏であったり合奏であったり様々な形で演奏するというプログラムになっていた。後半の方には子どもたちと大人たちとの合奏が組まれているものもあり、中々に楽しめそうな内容だった。
「楽しみだな」
心の声がつい、言葉として外に漏れていることにも気づかずパンフレットに集中していると、上から声がかけられた。
「すみません、前、構いませんか?」
声が降ってきた方向には、申し訳なさそうに目尻を下げた男性が立っていた。
「あ、すみません」
私は慌てて足と体を引き、男性が通れるように道を開けた。足はそれほど出してはいなかったけれど、パンフレットを読むのに集中し過ぎていたために体が少々前のめりになってしまっていた。
「ありがとうございます」
お礼を言う男性に軽くお辞儀をして、男性が通り過ぎた後に再び飽きることなくパンフレットを眺めはじめた。
ハプニングもなくコンサートは無事閉幕。私は満ち足りた気分のまま、会場を後にした。控え室に出向き、労いの言葉や感想を先生にかけようかとも思ったけれど。きっとコンサートが終わった今、出演者やスタッフで大いに盛り上がっていることだろうと思い。そこに水をさすような無粋な真似をするのははばかられたので、そのまま会場を後にすることにした。
(きっと先生なら快く迎えてくれると思うけれど、今の私はただの観客だし。わきまえなきゃね)
後でお礼と感想を書いて簡単にメールをしておこうと、そう思いながら今日のコンサートを思い返しながら短すぎず長すぎないメールを通行人の邪魔にならないように道端によって立ち止まってから打っていく。
打ち終わり、送信されたことを確認してから再び歩き出そうとしたその時。
「すみません」
「はい?」
突然後ろから声がかかり、振り向くと夕暮れ時。夕日を背に立つ男性が立っていた。顔は逆光になり、影が落ちて見えない。
「先ほどのホールで開かれていたコンサートで、G15―26に座っていらした方……ですよね?」
そう問われ、財布から半券を取り出して座席を確認すると確かにその番号だった。
「あ、はい。そうです。それで、何か?」
「座席にこちらが残されていたので、まだ近くにいればと思って探していたところなんです」
差し出されたのは、水色の蝶がワンポイントのハンカチでそれは確かに自分の物だった。蝶の下に自分で刺繍した、自分のイニシャルであるS・Kがあったから間違いないだろう。
「あ、ありがとうございます」
慌ててお礼をいい、その人からハンカチを受け取った。
「いえ、無事お渡しできてよかったです」
「本当にありがとうございます。お時間があれば、今からでも何かお礼をしたいのですが……」
「かまいませんよ。たまたま気がついて、こちらが勝手にお探ししていただけですから」
男性は笑顔でそう言うと、去ろうと踵を返し私は慌てて彼を呼び止めた。
「あ、あの! せめてお名前だけでも教えて頂けないでしょうか? もし、またお会いする機会があったらその時にお礼をさせていただけたら」
「そうですね。せっかくこうして話す機会ができたことですし、もしまたお会いすることがあればその時にでもお礼を受けましょう」
その言葉に、ほっと安堵の息を漏らす。
「私の名前は京田渉といいます」
「私は河原紗佳、といいます」
(――あれ? きょうだわたる……?)
何かがひっかかるが、それが何なのかわかる前に男性に声をかけられそのひっかかりは霧散した。
「では、私はこれで。気をつけてお帰り下さいね」
「は、はい。本当にありがとうございました」
男性の顔は結局はっきりと目視することはかなわず、彼は最後まで紳士に去っていった。
そして家に帰ってお風呂でまったりしている時に、「京田渉」の名を脳が正しくインプットしお風呂で叫んでしまうのはお約束のこと。
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文法上誤用となる3点リーダ、会話分1マス空けについては私独自の見解と作風で使用しております。