提案
最初は唖然とし、また警戒していたライネだったが、何度かレフティアと噛み合わない会話をしていくうちに、ようやく落ち着いていく。
「なるほど、分かりました。つまりあなたはあの聖剣に宿っている精霊だということですね」
「正確には違うんじゃがのお、妾の主様も同じ表現をしたが。精霊ではなく、妾があの、主のいう聖剣なんじゃ。遣い手に握られて何百年ぶりに覚醒しての、剣から精神だけ抜け出して主らの前におるわけじゃ」
「それ、聖剣の精ってことでいいんじゃないか?」
朽木刃が口を出すと、
「のう主様よ、もしも主様の魂がその体から抜け出すことができたとして、『人間の精』と呼ばれて嬉しいか?」
この反論にはなるほどと思い朽木刃は黙って引き下がる。
元来、朽木刃は素直なたちだ。
「ともかく、あなたは魔人ではないのですね」
「魔人? ああ、あの偏屈者どもと一緒にするでない。妾は正真正銘の剣よ。ところで、お主らの疑問に、このレフティアが答えてやろうと思うてな、ここに出てきてやった、感謝するがよい」
えへん、と胸を張る少女に、朽木刃とライネは顔を見合わせる。
「じゃあ、俺からいいか?」
「もちろんじゃ、主様」
「俺はどうして召喚されたんだ、ここに? というより、ここはどこだ?」
「うむふむ、答えようではないか」
質問されたのが嬉しいのか、童子のような笑みを浮かべて、
「主様が召喚されたのは、もちろん主様が妾の遣い手として相応しいからじゃ。神聖武器の遣い手召喚では、双子世界からもっとも相応しい人間が選ばれる」
「双子世界?」
「この世界と双子のように似ている世界のことじゃ」
「元の世界のどこがこの世界と似ているって、いや、待てよ」
朽木刃は反論を止めて、考え込む。
なるほど、確かにこの世界は双子のように似ているかもしれない。魔術師や魔力などで誤魔化されていたが、よく考えてみれば少なくとも同じような外見の人類がいて、呼吸できているということは大気の構成も同じなのだろう。重力も違うようには思えない。こんな環境が出来上がるのは何兆分の一の確率か。
「そう言えば、言葉まで同じだな」
その呟きに、
「ああ、それは妾の力で双方向翻訳しているだけじゃ」
とあっさりとレフティアに答えられる。
なるほど、それはそうか。さすがに言語まで同じわけが無い。
朽木刃は己の浅慮を恥じて頭を掻く。
「ちょっと待ってください」
困惑を隠そうともせず、ソファーから立ち上がったのはライネだ。
「では、遣い手様は、やはりあの召喚魔術で呼ばれたのですか?」
「無論じゃ。ああ、もちろん、やり方は本来のものとは大分違うんじゃがのお。本来なら、まず妾に魔力を注いで、それから妾が遣い手を呼び出すんじゃが。不完全ながら、瓢箪から駒でお主の父が行った召喚魔術が本物を呼び出したわけじゃ」
「なるほど」
頷いて、ライネは座りもせずに何事か考え込む。
だが、再び口を開く前に、どたどたと大きな足音が部屋に向かって近づいてくる。
「忙しないのお」
眉を寄せて、レフティアが消える。
ばん、と音を立てて扉が開かれて、
「ライネ! 無事か!?」
叫ぶようにしてライドンが部屋に入ってくる。当然のように、その斜め後ろにはジュガンの姿がある。ジュガンは引きつらせたように笑いながら、灰色の目でじっと朽木刃を見ている。
「お父様」
「貴様、ライネから離れろ!」
何か言おうとするライネを完全に無視して、激昂したライドンが獣のように吼える。
「ジュガン、殺せ」
ライドンの怒鳴りに反応するように、
「仰せのままに」
灰色の目に笑みを浮かべたまま、ジュガンがずいと前に出る。
そのジュガンの笑みが、瞬時に消えた。
それは、朽木刃の微かな笑みを見たからだ。
愛想笑いでもなければ、虚勢の笑みでもない。心の奥底、原始的な部分から湧き出るかのような、獣の笑み。
「遣い手様……」
「主様」
ライネとレフティアもまた、その状況にそぐわない朽木刃の笑みに、不安の色を浮かべる。
朽木刃自身も、自分が笑みを浮かべていることは自覚していた。
そして、その原因も。
楽しいのだ、この修羅場が。
朽木刃が剣術を習い始めた当初から、自身に巣食うそれを自覚していた。剣を振るえる、危険への憧れ。そして道場での試合などの時に感じる、疑似的なものとはいえ危険、それに対する喜びを。
それはつまり、命の危険を求める強烈な衝動でもあった。
とは言うものの、朽木刃自身は、それを冷めた見方をしていた。
なるほど、自分は危険に憧れ、そして危機的状況を喜んでいる。だが、それは本当に命の危険があるような状況に遭遇したことがないからだ。
そして、今まで大して褒められてこなかった自分が剣術に関しては見どころがあると褒められた喜び、戦う技術を手にした偽りの全能感、そういうものが混然となってそんな思いを抱いているのだろう。
結局、安全の中で危険を求める調子に乗った青二才の気の迷いだ。
自分で自分のその衝動のことをそう分析していた。
だが、それでも危険を、剣を振るえる状況を求める衝動は高まる一方で、ついには極道の用心棒まで引き受けてしまった。
その時にも朽木刃は、心のどこかで、これで実際に死ぬような目に逢い、あるいは自分が殺すつもりで剣を振るわなければならないような状況になれば、自分のこの衝動も収まり、夢から覚めたように危険を恐れるようになるのだろうと。
いや、そう信じたかったのかもしれない。自分は普通の学生だと、無意識のうちに自分に言い聞かせていたのかもしれない。
ともかく、結果は思ったものとは違った。
初めて用心棒を引き受けたその日、拳銃や短刀を持った男数人を木刀で打ち倒した朽木刃は、血塗れで微笑した。
心の中は、言葉にできない歓喜が嵐のように吹き荒れていた。
そうして、朽木刃は、自分が異常者であることを受け入れたのだ。
その異常者の笑みに、ジュガンは目の前の男を獲物ではなく、敵だと確信した。
今にも始まろうとする戦い。
朽木刃はもう素手でも構わないと決めて、掴みかかる準備を内心整えていた。
「やめて、ジュガン」
だが、その二人の間の緊張は決死の形相で割って入ってきたライネによって四散した。
「ライネ、そこをどけっ」
慌てるライドンだが、
「いいえ、どきません。まず、私の話をお父様が聞いてください」
毅然としてそう言い放つライネに、ジュガンも引き下がり、ついにはライドンは黙ってしまう。
「私と、そこのレフティア様のお話を聞いてください」
「レフティア?」
そこで初めて、ライドンはライネと朽木刃以外に、自分の見知らぬ少女が部屋にいることに気づく。
「だっ、誰だ貴様っ」
「あの方は、聖剣の化身です」
「なっ、何を言う!?」
懸命なライネの説明と面倒そうにしながらのレフティアの補足によって、最初は疑念に満ちていたライドンもようやくにその話を受け入れた。
「しかし、聖剣の化身とは……」
それでもまだ、疑わしそうにライドンはレフティアを見ている。が、さっき消えたり現れたりを目の前で繰り返したため、でたらめだと言い捨てることもできないでいるようだ。
「しかも、魔力のない人間が遣い手とは……ジュガン、どう思う?」
混乱しきったライドンは、救いを求めるようにジュガンを見る。
「何とも言えませんね。偉大なるアニマ神の教えからすれば、万物の源である魔力を持たない人間など、忌むべきものでしかないはずですが、聖剣の化身が遣い手と認めているのですから。というよりも、ええと、レフティア」
「なんじゃ?」
不機嫌な様子のレフティアだが、ジュガンはそれには構わず、
「当然、遣い手は魔力がないわけだから魔術が使えないと思っていいのか? つまり、聖剣を持っていようと、だ」
「うむ。主様は聖剣を持ったところで魔術なぞ使えん。元の魔力がないからの」
「ということです、ライドン様」
話は終わったとばかりにジュガンはライドンを振り返る。
「魔術が使えない人間に、戦力としての期待はできないでしょう。本当に聖剣の遣い手だったとして、我が国にとっての利用価値はゼロです」
「なんじゃ貴様、その言い方は!」
激昂するレフティアとは対照的に、朽木刃は黙ってそれを聞いていた。
むしろ興味深くすらあった。使えなければ戦力としてみなすことすらできないという魔術、それが一体、どれほどのものなのか。
今や、朽木刃の興味はそこにしかないとすら言っていい。
「う、うむ、ジュガンの言うとおりだ。だが、我が国の象徴でもある聖剣の遣い手を一体、どのような扱いをするべきか」
困惑するライドンに、
「お待ちください。聖剣様、少しよろしいですか?」
「おう、ライネ、お主はあそこの無礼な者と違って礼を知っておるのお。いいぞ、何でも聞け」
ぱあっ、とレフティアは童顔に笑いを広げる。
「例え魔術が使えなくとも、聖剣の遣い手様は何か特別な力をお持ちなのではないですか?」
「ん? うむ、もちろんじゃ。まず、神聖武器の遣い手に選ばれた者は、高い自己再生能力を得る」
それは便利だ、と言葉に出さずに朽木刃は感心する。
しかし、誰も指摘しないが、神聖武器とは何のことだ? 聖剣でいいじゃないか?
疑問はあるが、この場で口に出すようなまねはしない。
「更に、妾の固有能力として、遣い手は魔術を斬る、ことができるのじゃ」
えへん、と胸を張るレフティア。
「ほう、それは」
思わず、というようにジュガンが目を丸くして声を上げるが、すぐに冷静な顔に戻って、
「面白いが、ディスペルの魔術の効果が付与されている、というだけか。ある程度魔術が使えるなら、ディスペルくらい誰でも使える。やはり、魔術が使える人間以上の戦力になるとは思えませんね」
「うむむむ、こ、こやつ」
レフティアの顔が怒りのため真っ赤になっていった。
「うむ、うむ、ジュガンの言うとおり。では、どう扱うのが適当かの?」
すがるようにジュガンを見ているライドンに、
「お父様、お待ちください、聖剣なのです、今この場での言葉では測れない力を持っているかもしれません」
ライネが言い縋り、
「う、むう。では、どうすればいい?」
狼狽するライドンが、ジュガンとライネの顔を交互に見比べる。
「提案があります。対外的には私の護衛騎士として傍に置いて、遣い手様の実力を測る機会を作ってはいかがでしょうか?」
「なっ、何?」
慌てて「危険だ」「ありえない」と喚くライドンに対して、ライネはあくまでも冷静に、譲るべきところは譲歩しながら、自らの提案を認めさせるために粘り強く交渉していく。
これは、ライネの要求が100%ではないにしても、通るな。
傍から見ていてそう思った朽木刃は、興味を失ったようにその親娘から、ジュガンへと目を移す。
ジュガンと朽木刃の目が合う。
灰色の目は、紛うことなく敵意に塗れていた。