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聖剣

 朽木刃が意識を取り戻した時、当然のように必死で握っていた聖剣の姿はなく、そして寝ていた場所もあの魔法陣の描かれていた儀式の間ではなかった。


 なるほど、牢か。

 特に深く考えることもなく、朽木刃はそう納得する。

 石壁に三方を囲まれ、残る一方には鉄格子。寝具と思われるぼろぼろの布きれだけがある状況を見れば、それだけで現在の自分の立場を理解するのに十分だった。


 囚人となったか。

 何故か。更に思考を進める。

 魔力がない、と言っていた。それが罪か。この世界の状況が何も分かっていない現時点では、そんなこともあるかもとしか言えない。自分が床に這いつくばらされたあれは、ジュガンの魔術か? あれが魔術、だが本当にそうなのかどうか分からない。そもそも魔術を知らない。

 無駄だな。

 朽木刃はそう結論づける。材料が少なすぎて推論すらまともにできない。


 鉄格子の向こうは薄闇で、人の気配はない。看守すらいないらしい。


 薄闇を見ているうちに、ふと朽木刃の体のうちから震えが起こる。

 ああ、恐怖だ。

 それは、朽木刃が用心棒をしている時にも、何度か襲ってきた感情だった。

 原始的な、死への恐怖。

 いきなり牢獄へぶち込まれているのだから、死を連想するのも自然なことか。


「ふう」


 息を大きく深く吐き、朽木刃は自分を落ち着かせる。そうして、楽な姿勢でその場に座り直すと目を閉じて、心を無にしようと努めた。

 用心棒をやっていた時も、恐怖で体が震えだしそうな時は心を無にしたものだ。心を無にするとは、けっしてぼうっとするわけではなく、雑念を払い平常心を取り戻すことだ。

 これを迅速かつ確実に行うには、平時からの精神鍛錬が必要となる。


 そう、精神鍛錬は常より朽木刃も行っていた。風魔一刀流の流儀においても、精神鍛錬は必要不可欠だった。

 極意の一つである「無禅」は、精神の絶対性の否定であり、決して精神の有り様が勝敗に関係ないということではない。むしろ、精神的なコンディションが勝敗に深く関わることは、どのようなものであれ武芸者ならば常識以前に実感しているところだろう。

 だが、精神の状態は重要だが、同時に絶対的なものではない。正道の剣が邪道の剣に倒れることもあるし、平常心の武者が錯乱した鉄砲兵に撃ち殺されることもありうる。「無禅」とは、剣術が過剰に精神論に傾くことを戒める極意である。


 何故風魔一刀流が無禅を極意の一つとするのか。

 それを語るには、剣術というものが持つ性質と、風魔一刀流の成り立ちについて語らなければならない。


 そもそも、日本において武芸とは心技体が揃ってこそのものとされ、古来より武芸、特に剣術を通して士が精神をも鍛えるというのは当然のことだった。

 技や力に優れた剣が心を磨くのに怠ったために敗れた講談なども数多く残っている。

 剣術と武士道が切っても切れない関係であるのだから、これは自然なことだろう。


 だがそれを更に推し進めた者がいた。兵法者の異端にして頂点、徳川将軍家兵法指南役、柳生新陰流の柳生宗矩である。

 彼は剣禅一如を唱え、剣術と心の鍛錬を結びつけた。徳川家光の教育役として、剣を通して禅や政治、天下太平の道を語った。単なる敵を殺める剣術から、敵を殺すことによって万民を活かす「活人剣」を説いた。

 そう、この異能の天才は、単なる技術である武術を、精神的高みを目指して極めるべき道である武道へと昇華させたのだ。その功績は今も燦然と輝いている。

 そうなれば、当然その影響を受けてあらゆる武術は精神を重視するようになる。タイミング的にも、江戸時代、柳生宗矩の登場以降に剣術が流行るため、最早ありとあらゆる剣術は禅、心、精神を重視せざるを得なくなってしまったと言っていい。

 その流れは現代に至るまで途絶えていない。

 これまでが、剣術が精神を過剰なまでに重視する傾向がある理由である。


 一方、風魔一刀流の成り立ちを説明するには、まずは一刀流において説明しなければならない。

 一刀流とは、大剣豪、伊藤一刀斎が打ち立てた流派であり、それは後継者の神子上典膳に受け継がれる。神子上典膳は後の柳生宗矩に並ぶ徳川将軍家兵法指南役、小野忠明である。

 俗説によれば、小野忠明の技量は柳生宗矩を越えていたとされる。だがあくまでも単に敵を倒す剣術にしかすぎず、柳生宗矩の「天下太平の剣」にはスケールで叶うことはなかったと。

 どこまでが史実に基づいているのかは分からないが、柳生新陰流に比べて一刀流が実践的であったとは言えるだろう。

 さて、後の小野忠明である神子上典膳は、一刀斎の後継者となる際に、決闘をしていた。同じく一刀斎の弟子である善鬼と、後継者の座をかけて殺し合ったのである。

 この決闘において神子上典膳は勝ち、善鬼は敗死したとされている。


 だが、風魔一刀流の伝書によればそれは違う。

 善鬼は、その決闘の後も、僅かな余命ながら生き延びていたのだという。ただし、もう床から起き上がることはできなかったらしい。

 その善鬼の最期を看取ったのが、乱波(忍者)である風魔一党の一員だったというのだ。その代わりに風魔一党は口伝ではあるが一刀流の理法を手に入れ、それを己の忍術に取り込んだ。

 やがて江戸時代になり、風魔一党が盗賊集団となった後でもその技術は生き延び、風魔一党が壊滅した後にも盗賊の間で細々と忍術と一緒に伝わり、最終的には忍術と一刀流の剣術は混ざり、変化し、正当な剣術では混じるはずもない様々な技術を加えて、その果てに風魔一刀流として今に伝わっているのだ。

 だから、精神を重視するはずもない。風魔一刀流は、少なくともそれが剣術として一応の形を成すまでの過程において、一度も人間的な高みを目指そうとする人間に使われていないのだから。


「さあ、て」


 深くゆっくりと呼吸をしているうちに、気分が落ち着いてくる。生まれ持ったものではない、鍛錬と実戦経験によって作り出した鉄の心が宿る。


 よし、と朽木刃が目を開いたところ、至近距離で顔を覗き込んでいた少女と目が合い、硬直する。

 なんだ、こいつ?

 密室の牢の中に、突然出現した少女に、何も言えず固まる。


 少女は朽木刃と比べてもだいぶ年下の、ぎりぎりで幼女と呼ばれることが無い程度の年齢に見える。体躯は小さく、肌は抜けるように白く、目鼻立ちはフランス人形のように整っている。石床につきそうなくらいに長く伸ばされたさらさらの金髪と碧眼。そして、真っ白いワンピース。

 どう見ても、薄暗い牢内に相応しい少女だとは思えなかった。


「誰だ?」


 戸惑いはしたが、心を落ち着けていた朽木刃は取り乱すことはなく、そう訊く。


「ほお、若いが肝は据わっとるのお」


 見た目通りの可憐な声と、見た目に反する言葉遣いで少女は反応する。


「誰というのは、名前を訊いておるのかの? 妾はレフティアじゃ」


「ああ、ええと」


 もちろん、朽木刃が訊きたいのは名前ではない。

 どう質問するべきかと考え頬を掻いていると、


「ふむ、名前ではなく、妾が何者かと訊いておるのか」


「そう、そうだ。何者か、だ」


 言いえて妙だ、と朽木刃は頷く。


「ふむ。それだけ答えても主様には意味が分からんじゃろうが、よかろう」


 少女は威厳たっぷりに胸を張って、


「妾こそは神聖武器の一つ、剣たるレフティアじゃ」


「なるほど」


 なるほど、というのは少女の説明に納得したものではあく、少女の「意味が分からんじゃろう」という前言が的中したので発した言葉だ。

 朽木刃は少女、レフティアの説明を聞いても何も理解できない。


「さっき主様が握っておった剣、あれが妾じゃ」


 追加の説明でようやく、


「ああ」


 おぼろげながら朽木刃の頭にもレフティアの言っている意味が分かってきた。


「つまり、あの剣の精みたいなものか」


「厳密には違うが、とりあえずはそれでよい。それより、主よ。いきなりこの別の世界につれてこられて我を失っていないとは大物じゃな」


「やはり、別の世界か」


 大して驚くこともなく、朽木刃は納得する。

 その考えは、あの儀式の間で目覚めた瞬間から、無意識のうちにも朽木刃の脳裏に浮かんでいた考えだった。魔術師や聞いたともない国の王、明らかに全時代的な部屋の造り。そういったことからいつの間にかその答えを受け入れる準備ができていたのだ。


「ううむ、ますます大物」


 そんな朽木刃の態度を見て、レフティアはしかつめらしく唸る。


「魔力とやらがないのは、俺がこの世界の住民じゃあないからか?」


 頭の中で拾った情報を適当に組み合わせて、朽木刃は質問を作っていく。


「頭の回転も早い。これは、素晴らしい主様じゃ。今回は目的を遂げる目もあるのぉ」


 嬉しげに目を輝かせてレフティアが続けて答える。


「無論、そうじゃ。そういうことじゃ。さて、詳しく説明したいところなのじゃが、どうもそういうわけにはいかんらしいのお。しばらく、さらばじゃ」


「は、え?」


 どういうことか問おうとした時には、レフティアの姿は幻の如く消えていた。


 なすすべも無く、朽木刃が消えたレフティアの残滓でもないかと牢内を探していると、どこからか足音が聞こえてくる。


 足音は、複数人。一人は、非武装。

 足音だけで朽木刃は分析していく。

 どうやら、この牢に近づいてくるようだ。

 ふむ、一体?


 とはいえ、今のところどうすることもできない。もしも、死刑にでもなって刑場に引きずり出されることになれば、その隙に逃げ出すことはできても、今この状態で何ができるわけでもない。

 そう判断した朽木刃は黙ってその場で座って待つ。


 やがて鉄格子の向こうに現れたのは、数人の武装した兵士と、兵士に囲まれて静々と歩み寄ってくる一人の女性。いや、さっきのレフティアよりは育っているが、それでもまだ少女か。

 純白と金の刺繍によるドレスを身にまとった、黒髪の深窓の令嬢といったいでたちだ。整った顔、特に目は優しげで美しいだけでなくこちらの心を融かすような色を浮かべている。

 だが真っ直ぐ伸びた背筋ときっちりとした眉が、意志の強さを示している感もある。


「遣い手様」


 少女は、凛とした声で開口一番、


「申し訳ありませんでした」


 と鉄格子越しに深々と頭を下げる。


 突然の展開の連続に、朽木刃はもうとりあえず考えるのを諦めて、まずは流されてみようと決心する。





 牢から出され、これまでとはうって変わって手厚くもてなされた朽木刃は、令嬢の案内で一室に通される。

 絨毯に天蓋付きのベッド、そしてソファーといういかにもお嬢様の部屋というような場所に通されて、朽木刃は落ち着かない。


「二人にしてください」


 令嬢の言葉に一緒に来た兵士達は戸惑い、


「姫、それは」


「責任は私が持ちます。お願い」


 お願いするにしてはあまりにも力強い目をして、令嬢は頭を下げる。


「いやしかし」


「お願い」


「……我々は、部屋の前で待機しています。何かあれば、すぐにお呼びください」


 やがて、根負けして兵士達が出て行く。


「どうぞ、座ってください」


 令嬢は、朽木刃を促す。


「そうする」


 どうにでもなれ、と開き直っている朽木刃は、言葉通りにソファーに腰を下ろす。


「それでは、改めて」


 令嬢は深々と朽木刃に向かって頭を下げてくる。


「この度は、父が申し訳ありません、遣い手様」


 令嬢は、この国の姫、ライネと名乗った。

 サイの王であるライドンの娘であるという少女は、ひたすらに謝る。


「父は己の血統を誇りに思うあまり、伝説をそのまま鵜呑みにしてしまっているのです。複数の伝書を当たれば、すぐに聖剣の遣い手がこの世のものではないことが分かるというのに」


 ライネの話としてはこうだった。

 確かに、サイに伝わっている話では、建国の王が直接その手に持って聖剣を振るうとされている。

 だが、少しでも調べれば、特に偽りであると国によって封じられた書を読めば、実は建国の王が自ら聖剣を手に取ったのではなく、軍を指揮したのであり、その軍の先頭に立ったのが聖剣の遣い手だということだった。そして遣い手はこの世のものではなく、魔力を持たなかったという。


「確かに、実際に王が自ら聖剣を持って前線に出るわけがないな」


 伝説と史実は違うはずだ。

 朽木刃はすとんと納得する。


「でしょう? だというのに、父は建国の王が聖剣を振るい敵を倒したという伝説を信じ込んでいるのです」


 参りました、と正面に座ったライネはため息をついた。


 だが疑問が残る。いや、疑問しかない。

 朽木刃はそれを訊こうとするが、それよりも先にライネが質問してくる。


「ところで、一体遣い手様は何者なのですか?」


「おそらく、別の世界の人間、ということだと思う」


 考えながら朽木刃は推論を口にする。


「それは、天界の使者ですとか、そういうことでしょうか?」


「いや、違うが」


 朽木刃はここで自分の立場を説明するのが思ったよりも難しいことを感じる。

 自分がこの世界を知らないように、向こうも自分の元いた世界を知らないのだ。一体、どこから説明すればいいのか。

 それに、ライネが即座に天界の使者だとという素っ頓狂な発想に辿り着くのも無理は無い。聖剣の遣い手として召喚されたのだから、そう考えるのも自然だ。

 というより、何故自分が召喚されたのか。

 朽木刃は悩む。


「詳しいことは、あのレフティアに訊いたらいいと思う」


 悩んだ末、朽木刃は丸投げすることにした。


「レフティア、とは、その、誰ですか?」


 だが、予想外のことに、ライネは困惑した顔でそう返してくる。


「ん、む」


 これは、どう返すべきか。まさか、あの聖剣の精である少女を知らないとは。

 逡巡している朽木刃を嘲笑うかのように、


「妾じゃ」


 ぽん、と何もない空間からレフティアが出現する。


 唖然とするライネ、困る朽木刃を前にして、


「妾こそは、神聖武器の一つ、剣のレフティアじゃ」


 レフティアは小さな体でふんぞり返る。

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