召喚
山中にある小国、サイ。その王城は、常にない緊張に包まれていた。
王城の地下にある儀式の間、そこに国中の名の知れた魔術師、そしてサイの王であるライドン、更にその傍らには腹心たる大魔術師のジュガンまでもが揃っている。
ライドンは金の刺繍をした朱色の絹服を身に付けた格好をした小太りの中年男であり、ジュガンは真っ黒い布を体にきつく巻きつけた猫背の男で、まだ二十代と見える若さがあった。
儀式の間の床には、竜の血で描かれた巨大な魔法陣があり、それを魔術師が囲み、先程から全員が一心不乱にずっと呪文を唱えている。
魔法陣の中央には、一振りの長剣が寝かせられている。
白銀に輝くその剣は、細身ながら弱弱しいところが一切なく、装飾など一切ないに等しいシンプルなものなのに気品のある美しさを備えている。
それこそはサイの建国王ライセがその手に持ち、魔物や魔族、敵兵を斬り捨てたと言われる聖剣、建国以来伝わっている国宝だった。
世界が騒乱の渦に飲み込まれていく。
それは識者ならずとも、この世界に生きる人間ならば今や誰でも持つ実感だった。
群雄割拠、下剋上の時代だ。いくつかの国で臣下が君主にとって代わり、大陸でも最大の国土国力を持つ帝国が分裂し、それらの隙を突くように魔人が暗躍している。
その時代の波は山中の小国といえでも無縁ではなく、サイもまた大国に翻弄され、魔人の影に怯えて、亡国の危機を現実のものとしていた。
その危機に、王であるライドンは右往左往した挙句に、国宝である聖剣に頼ることにした。元より、血筋を誇りにしていた王であるから、建国の国宝に頼るというのはそこまで驚くことではなかった。
聖剣には伝説があった。その聖剣を遣う者は、神気が宿り向かうところ敵なしとなるという伝説だ。
だが、伝説は伝説。ライドンが持っても、サイのどんな武人に持たせても、聖剣はただの長剣にしか過ぎなかった。
「言わないことはない。伝説は伝説です。それに縋ろうなどと惰弱なことは無駄です」
最初からそれに反対していたジュガンはそれみたことかと冷笑を浮かべた。
ジュガンはライドンに最も信頼されている懐刀であり、「サイに過ぎたるもの」と称される大魔術師だった。
「召喚魔術で救世主を召喚するようなものです」
ジュガンはそんなことを言い加えた。自分の言を採らず、聖剣に頼ったライドンを暗に皮肉ったのだ。
「そうか、召喚魔法、それだ」
だから、そう言ってライドンが飛び上がって喜ぶのを見てジュガンは驚いた。自分の喩えがまさか王を喜ばせるとは思ってもみなかったのだ。
「聖剣を媒体に、国中の魔術師を使って召喚魔術を行えばよい。聖剣の遣い手を召喚すればいいのだ」
喜色満面にアイデアを話すライドンを止めることはもはやジュガンにさえできなかった。
諦めて、うまくいくはずもないそれを見物することに決めた。
そして、今日。
ついにその召喚魔術が行われようとしている。
魔術師達は魔法陣を囲んで、一心不乱に呪文を唱えている。
それをライドンの傍で眺めながら、ジュガンは不思議な心持ちがする。
こんな明らかに無謀な真似を、どうしてそこまで必死で行うことができるのか。国の危機だからか、王の命だからか。
ジュガンには理解できない。
ジュガンは下級貴族の末弟として生まれた。物心つく頃には既に異様なまでの魔術の才を認められ、また体も同年代の子どもの二倍はあった。知恵もあり、頭が切れた。神童、傑物として、周りの誰もが敬った。
だがジュガン自身は、自分のことを冷静に判断していた。いや、余りにも周りが大げさに騒ぐので、幼少の時より斜に構える癖がついていたのかもしれない。ともかく、自分が何故か才に溢れているが同時に大人物にはなり得ないことを早くから自覚していたのだ。
器がない。それがジュガンが自分自身に下した評価だった。才はある。力も知恵もある。だが、志がない。運良く生まれ持った才でもって楽をして、いい暮らしをしたい。贅沢三昧をしたい。周りの人間に敬われたい。そんな欲はあるが、それ以上の大欲あるいは高潔な志、野心というものが自分自身の中にどれだけ探しても見つからなかった。
だからこそ、サイという小国に身を寄せて、王に次ぐ厚遇を受けるのをよしとした。大国での立身出世など興味がなかったからだ。
王であるライドンが優柔不断であり、大魔術師であるジュガンが自分の国に来てからは、自覚もなしに彼の言う通りに動く傀儡と化したのもジュガンの居心地を良くした。
そんな理由で今、ライドンの隣に立っているジュガンとしては、必死に詠唱をしている魔術師達はまるで理解のできない生き物だった。
表面上だけ必死な振りでもすればいいのに、本当に必死に魔力を注いでいるのが大魔術師であるジュガンには分かる。どうしてそこまで真面目なのだろうと本当に不思議だった。
そうやって不思議がっているうちに、場の空気が揺れ始める。
「これは?」
即座に、魔術師達とライドンはもちろん、ジュガンを顔色を変える。
この空気の振動は、大規模な魔術師が発動する際に時折起こるものだと経験から知っているからだ。
まさか、本当に聖剣を媒体に召喚魔術が?
半信半疑のジュガンの目の前で、かたかたと聖剣が震えだし、そしてその輝きが増していく。
「うおっ」
閃光が儀式の間を貫き、白光の中でライドンが叫ぶ。
その場にいた誰もが、あまりにも強い光に目を閉じて顔を背ける。
そして、目を再び開いたその時には、
「これは」
「何と……」
魔法陣の中心、聖剣の傍に見たこともない服を着た少年が仰向けに倒れているのを見て、魔術師達がざわつく。
「おお、遣い手だ。聖剣の遣い手様がいらっしゃったぞ」
狂喜するライドンの横で、ジュガンは面倒なことになった、と唇を噛む。
「うん?」
目が覚めて、朽木刃の第一声はそれだ。
石造りの床に寝ていたのを、慌てて体を起こす。
どこだ?
単純な疑問が頭を過ぎるが、解答は一切でてこない。
薄暗い、石造りの部屋。床にある意味不明な模様。四方にある松明による明かり。自分を囲むローブで身を包んだ者達。
全てが意味不明だ。
更に、意味不明な事態に朽木刃は怯んでいるのだが、ふと見れば相手側、ローブ姿の者達もまた明らかに怯んでいた。
どうなっている、これは?
ふと傍らを見ると、白銀の長剣がそこにある。
細身の両刃の剣だ。刀ではなく、西洋のブロードソードに似ている。何の装飾もないそれを見た途端に、朽木刃の胸は高鳴る。
一目惚れだ。こんな美しい剣はないと思う。
気づけば、手に取って両手で柄を握りしめていた。
よろしくのお。
声が、聞こえた気がした。
「遣い手殿」
野太い声がして、ローブ姿の者達を割って、二人組が魔法陣の内部まで入ってくる。
一人は野太い声の主、煌びやかな服を着た小太りの男だった。赤茶けた薄い髪と弱弱しい目が、雨に濡れた野良犬を思わせた。
もう一人はその斜め後ろに控える、猫背の男だ。布を巻きつけたような服装と猫背のせいで体格はよく分からないが、どうやら自分よりは体格がいいようだと朽木刃はあたりをつける。灰色の髪と目をしており、顔には冷笑が張り付いていた。
「聖剣の遣い手殿、ようやく表れた、ああ、ありがたい。我が祖のようにこの国を救いたまえ」
そう言って小太りの中年男が拝み始めたので、朽木刃は長剣を持ったままでどうしていいか分からず硬直してしまう。
そして中年男は朽木刃の様子などおかまいなしで、いきなりその場で己の窮状を喋り始める。
自分がサイの王、ライドンであること。魔術師を使って国に伝わる聖剣の遣い手を召喚したこと。自分の横にいるのは最も信頼している大魔術師ジュガンであること。今や、周りの国は豺狼のごとくサイを狙い、魔人が跋扈していること。
言葉は通じるが、朽木刃には喋っている内容についてはよく分からなかった。だが、断片的に理解できる内容から組み立てていくと、一つ、確実な事柄があった。
この世界は、自分の知っていたものではない。
それを朽木刃は確信すると共に、あまりのことに凍結していた思考がまともに動き出し、直前の記憶が蘇る。
ああ、そうだ、俺は師範に頭を叩きつけられたんだった。そして、目が覚めたら別の世界か。面白い。
半信半疑ながら、それでも朽木刃には受け入れる心の準備がすんなりとできていた。意識を失う直前の刹那の三上との戦い、その時の高揚がまだ残っていて何でも来いという心境になったのかもしれない。
ともかく、何かに憑かれたように喋り続けるライドンからもっと整理された情報聞き出そうと、そう朽木刃が決心したその時だった。
「王よ。それは聖剣の遣い手などではありません。召喚魔法は失敗し、滅びの遣いを呼び出してしまったようです」
冷笑を浮かべて黙っていたジュガンが口を開いた。
「黙れ、何を言うか、不敬な。いくらお前といえども」
激昂し、なおも詰る言葉を続けようとするライドンだったが、
「その男、魔力がありません」
そのジュガンの一言に動きを止めると、一瞬のうちに顔色を変える。
「何だと、馬鹿な」
ライドンは否定するが、
「うう」
「本当だ」
「ない、魔力がない」
囲んでいる魔術師達が、ジュガンの言葉によってそれに気づいたのか、ざわつき恐れだした。
「ほ、本当なのか?」
ライドンが肩を震わせながら手近な魔術師に問うと、その魔術師も声を震わせて、
「確かです、確かに、この者には魔力がありません!」
「ジュガン!」
悲鳴のようにライドンが名を呼ぶのと、
「もうしています」
ジュガンが手のひらを朽木刃に向けるのが同時だった。
「あの……?」
突然に騒がしくなった状況に混乱した朽木刃が質問しようとしたその時、
「う」
突如として、重力が何十倍にもなったかのように感じた。
そのまま、朽木刃は再び石造りの床に頭を激突させ、潰れた蛙のように床に張りついた。
再び遠くなる意識で、朽木刃はただ剣を離さないこと、そして「また負けたか」という無念の思いだけを刻んだ。