#4・私の幼馴染と彼の恋人
「蛇女とラブソングを」の「幼馴染にラブソングを」を先に読んでいただけると、もしくは読み返していただけるとわかりやすいと思います。
「正面に、礼ッ!」
社会人の男の号令で、稽古に来ていた全員が神棚に向かって三つ指をつき、礼をする。
「お互いに、礼ッ!」
『ありがとうございましたッ!!!』
今度は道場の向かいに居る師範に向かって礼。これで稽古は終わりだ。一気に場がざわめく。
「ふぃ~、疲れた疲れたっ」
千歳の横で、クラスメイトであり小学生からの親友でもある白雪深雪が足を崩しながら胴の紐を解く。男っぽい性格の彼女だが、お下げにしていた髪を解いた姿は、千歳から見ても十分可愛いと思う。本人にモテようという気が一切ないのが困ったところだが。
時刻は二十一時。いつも通りの時間だ。だが、辛木中の剣道部は活気があるとはいえ、こんな時間まで稽古はしない。
ここは辛木中から車で二十分ほどの距離にある、一文字中の武道館。通称、誠心館。毎週金曜日の二十時から一時間、一文字中OBを中心に、地域の剣士が集まって稽古が行われている。辛木中の生徒は自主参加であり、今回は大会が近いせいもあってか、男子三名、女子四名が参加している。顧問以外の社会人と剣を合わせるのは厳しくもいい稽古になるのだ。なお、顧問が一文字中の校区に住んでいることも併せ、辛木中と一文字中の剣道部は親交が深い。
「それにしても、ちぃも頑張るねぇ。五級は声さえ出せば大丈夫だってば」
同じように参加していたあおばが竹刀を点検しつつ話しかけてくる。
深雪とあおばは二日後の日曜日に行われる大会に出場するため、今日の稽古に参加している。辛木中剣道部の女子は二年生五名、一年生四名の計九名であり、深雪とあおばは二年生に混じってレギュラーとなっている実力を持っている。もっと言えば、深雪は三年生在籍時も試合に出ることがあった。出なくても補欠には入っており、辛木小女子のエースと自称していたのは伊達ではなかったのだ。
千歳といえば、日曜日に控えている昇級試験を受けることになっている。中学校から始めた千歳にとっては初めての昇級試験で、不安な部分は隠せない。今日、ここに来ているのはそのせいだ。
「そうそう。でも、いい心がけだ。白雪も衣笠も、見習わないといけないんじゃない?」
先輩であり、女子主将である川原千夏が、深雪とあおばの頭を軽く叩く。もう防具袋をかついでいて、剣道着の上から辛木中剣道部のウインドブレーカーを羽織っている。薄手だが、防具の上からでも着れるように胴周りには余裕があった。
「いたた、先輩、見習ってるからこそ来てるんすよー」
「そうっすよ、大丈夫っす! 千夏ちゃん先輩、明後日は任せてくださいっ」
「それもそっか。あと白雪、今のセリフ、覚えとくよ? それじゃ、お先。また明日ね」
「「「お疲れさまでーす」」」
千夏が一礼して、武道館から出た。
「てっちゃん、声出せば受かるって、本当なの?」
あおばのあだ名である「鉄人」をさらにアレンジしたあだ名。由来がもうわからないが、あだ名というのはそんなものだろう。
「ほんとほんと。大丈夫、ちぃぐらいなら余裕だって」
「五級かー、懐かしいなー」
深雪とあおばは一級を所持している。一級の後の初段は十三歳以上でないと受けられない。二人は来年の夏に初段を受ける予定だ。
防具をしまって、身体を軽く拭く。そして、申し訳程度の制汗スプレー。あぁ、気持ちいい。いくら十月とはいえ、稽古をすれば汗をかくのだ。深雪とあおばも防具をしまい終えていた。目配せをして、三人揃って武道館から出る。
「「「失礼しましたー」」」
一礼してサンダルを履き、防具と竹刀を顧問のミニバンの前へ。こうしていれば顧問が学校に持っていってくれる。土曜日は朝練をやっていないので、ちょっと早めに出て荷解きして、小手や面を乾かさないといけないが。放課後の稽古で気持ち悪い思いをするのは自分なのだから。
十月の夜に剣道着一枚というのは肌寒い。次回からは一枚羽織ってこよう。……臭いが移っても気にならないやつを。川原先輩が着ていたウインドブレーカー、早くくれないかな。
そんなことを考えながら、迎えである白雪家の車を待つのだった。
「じゃ、ちーちゃん、また明日ね」
「うん、ばいばーい」
団地の入り口で降ろしてもらい、あとは帰って風呂に入るだけ。それにしても、ちょっと肌寒い。ちらりと自販機に目をやってみれば、あたたか~いという六文字の誘惑。よし、疲れたし、自分へのご褒美だ。手拭いやテーピングなんかを入れた巾着袋から小銭入れを取り出し、百円を投入。ココアのボタンを押して、出てきた熱い缶を両手で包む。うん、あたたかい。極楽極楽。
ふと正面を見てみれば、見慣れた二つの人影。街灯だけでもすぐわかる。皐月と霞だ。こんな時間になんなのだろう。お使いだろうか。
何気なく目線を落としてみれば、しっかりと繋がれた二人の手が見えた。
って、手を繋いでる? 親戚同士で?
確かにあの二人は仲がいいが、それでも、手を繋ぐって。
まさか、皐月の好きな人って――いや、考えないでおこう。見なかったことにしよう。それに、あの時に諦めたはずだ。今年のバレンタインに告白して、玉砕して以来。深雪は励ましてくれたが、他人の好きな人を奪うなんてこと、自分にはできそうにない。そう、皐月は友達なのだ。大切な、友達。それ以上を望むことは諦めたのだ。
慌てて目をそらし、ココアを飲む。ココアは予想よりも熱くて、思わずむせる。
「……あれ、ちーちゃん。こんな夜遅くに、そんなカッコで、どうしたのさ」
むせたせいか、やっぱり気付かれた。まぁ、この辺でこの年頃で剣道着を着てたら、間違いなく特定されるだろう。
「あ、さっちゃん。それに、霞さん」
今気付いたような演技。何をやっているのだか。
「こんな時間まで稽古か? ずいぶんと精が出るのう」
霞が労をねぎらうかのように千歳の頭を撫でる。思わず目が細まってしまう。美女である霞からこんなことをされるのは正直恥ずかしい。
「自主練行ってたの。明後日、昇級試験受けるから」
「へー、試験とかあるんだ。何を受けるの?」
「五級。一番下だよ。てっちゃんは声出せば受かるって言うけど、不安なものは不安じゃない」
「あー、確かにわかる。初めて受けるんだもんな。俺も最初の記録会は緊張したし」
「それで、さっちゃんと霞さんは? お使い?」
手を繋いでいたことには触れないでおこう。
「うん。八時にコンビニの新しいプリン紹介してたんだけど、姉さんがどうしても食べたいって言うから。ロードショーもつまんなかったし」
「そうなんだ。弥生さん、相変わらず人使い荒いね」
皐月が弥生の使い走りをやらされている姿は何回か見かけている。なんでも母親代わりの弥生には頭が上がらないらしい。なんだかんだで姉弟仲は良いようだが。
「そんなわけで、コンビニ行ってくる。ちーちゃんも一緒に来る?」
「私!?」
唐突なお誘い。受けようかどうか少し考えたが、仲のよさそうな二人を邪魔したくはない。自分の推理が正しければ、皐月の好きな人というのは霞なのだろう。親戚同士というのが引っかかるが、そうでもなければ二人の仲の良さは理解できない。そう、この年にもなって、親戚と手を繋ぐなんて。
「ううん、遠慮しとく。こんなカッコだし、ココア買っちゃったし。プリンは気になるけどね」
剣道着の袖をつまんでアピールしてみる。
「あ、それもそっか。……それじゃ、また明日」
「夜は冷えるからな、風邪などひくでないぞ?」
「はい、おやすみなさい」
二人に会釈して、回れ右。団地のほうに向かう。
あの二人、また手を繋いでるのかな。
そのことを考えると、なんだかもやもやとした気持ちになる。
……って、諦めたんじゃないのか、私。
それに、相手が霞だとすれば、勝てるわけがないじゃないか。何せ彼女は女優と言われても違和感のない美貌を持っているのだから。
ココアを飲む。ぬるい。
……よし、決めた。
明日、皐月に聞いてみよう。そして、結果がどうであれ、今度こそきれいさっぱり諦めよう。
皐月との関係をこれ以上変にしたくはないから。
翌日。の、放課後。
土曜日ということもあって、帰宅している生徒も多い。そんななか、敷地の一番端にある技術室―工作室のようなもの―の裏に千歳は居た。表は毎日掃除されているが、裏となれば月に一度の大掃除でしか掃除されていない場所なので、雑草が伸びきっている。季節が季節なので、虫が少ないのが救いだ。
「悪い悪い、話してたら遅くなった」
皐月が来た。学校指定の鞄とは別に、ビニールの鞄を持っている。水着入れだろうか。
「ごめんね、呼び出しちゃって。部活は大丈夫?」
「一時半に海洋センターだから、余裕はあるよ。大丈夫」
この季節は水泳部のオフシーズンとはいえ、週に四日、近くの温水プールで練習しているらしい。それ以外はランニングだそうだ。
「それで、話なんだけど……」
「うん」
「……さっちゃんが好きな人って、霞さん?」
おずおずと切り出してみる。皐月は少し驚いたような様子を見せ、少し間を置いてから頷いた。
「……うん。一つ付け加えると……付き合ってます」
ああ、やっぱり。霞が相手、しかも両想いだなんて、付け入る余地なんかないじゃないか。諦めに似た乾いた笑いが出た。
「……そうなんだ。いつも仲がいいし、昨日は手を繋いでたから、そうじゃないかな、って思ったんだけど……」
「話す前にバレたのは初めてだよ。女子はやっぱり、見るとこ見てるのかな……」
皐月が恥ずかしそうに頭をかいた。話す前に、ということは、他の人には説明しているのだろうか。
「他に知ってる人いるの?」
「なるちゃんとエドワード。あの二人には、俺のほうから説明したんだけど」
いつもの仲良しメンバーか。その中に入れないのは寂しいが、それはしょうがないことかもしれない。
「そっか……。うん、納得したし、すっきりしました」
「すっきりした?」
「うん。霞さんには勝てないな、って。ごめんね、時間取らせちゃって」
未練を断ち切るかのように、少し早口になる。
「……いいよ。ちーちゃんにも言おうかな、って思ってたけど、なかなか言いにくかったし」
皐月はなんだか申し訳なさそうだ。確かに、昔振った相手に今の恋人のことを報告するなんて、気まずいだろう。
それにしても、年の差があるうえに親戚同士なんて、障害の多い恋愛である。
「さっちゃん、応援してるからね」
「うん。……何かあったら、アドバイス聞くかも。そろそろ行くから、またね」
「うん。部活、がんばって」
「ちーちゃんも、試験がんばって」
皐月は手を振って、自転車置き場のほうに歩いていった。大きく息を吐く。
なんだろう、このすっきりした感じ。やっぱり、皐月の好きな人というのがわかったからなのだろうか。今までずっと、顔の見えない相手を気にしていたから。それが霞だとわかれば、張り合う気は起こらなくなる。二人の仲の良さは日頃から見ているから。そんな二人を引き裂くことなんか、できるはずがない。
玉砕後も生き残って抵抗を続けていた兵士も投降。これでよかったのだ。これで平和が訪れる。
「……あのー、ちーちゃん?」
教室の陰から深雪がおずおずと顔を出した。
「みゆ? どうしたの?」
「あー、いや、ちょっとキサ君がここに来るのを見かけて、気になって覗いてみたら、ちーちゃんがいて……」
深雪は二人の関係を知っているだけに気まずそうだ。いらない心配を与えたくないから、笑顔を見せる。
「ちょっとだけ、秘密のお話があって」
秘密のお話。あ、ちょっといい響き。
「秘密のお話? え、どうしたの? どうだったの?」
深雪が心配そうにこちらの袖をつまんでくる。これだけ気にしてもらえるのは、ちょっと嬉しい。ただ、結果は今まで応援してくれてた彼女に少し悪い気がするが。彼女をがっかりさせるのも嫌だし、勝手にバラすのは皐月にも悪いだろう。内容は秘密にしておこう。
「だから言ったでしょ、秘密、って。さ、部室行こっ」
「え、もう、気になるなぁ!」
深雪をあしらいつつ、千歳は武道館に向かうのだった。
如月家。
土曜日の昼下がりということで、霞以外の住人はいない。サスペンスドラマの再放送をBGMに、霞は冷蔵庫の中から昨日買ったプリンを鼻歌混じりに取り出した。自分用にこっそり隠していたものだ。これぐらいは許してもらえるだろう。
一口、口に運ぶ。うん、美味しい。口の中でとろけるこの感覚、安物のプリンとはひと味違う。このプリンは贔屓にしよう。
プリンを堪能していると、呼び鈴が鳴った。誰だろう。宅配便だろうか。
「はい」
霞は人間に化けると、玄関を開けた。そこには見知らぬ女の姿。長袖のワイシャツにスラックス。黒髪のショートヘア。人懐っこい笑顔を浮かべている。
「どーも、如月霞さんっすね?」
「う、うむ」
なぜ自分の名前を知っているのだろうか。いぶかしむ霞を尻目に、女は胸元から名刺を取り出す。
「私、こういう者っす」
名刺を受け取る。セールスの類なら帰ってもらおう。名刺に書かれていた文字。それは――。
『魔術省 正常社会保全局 鈴谷翼』
「いや、探したっすよ。『大角山の蛇女』さん?」
「ッ!?」
そのことを知っている。彼女はいったい。魔術省とは、正常社会保全局とは、なんなのだろうか。
「ほらもう、図星ってまるわかりじゃないっすか。わかりやすいっすねー。ちょっとはこう、演技するとかさー」
「お、お主、何者じゃ……? なぜ、わしのことを……」
「それはもう、同じ穴のなんとかっすから」
翼はくすくすと笑い、ワイシャツの袖とスラックスの裾をめくって、靴を脱いだ。その直後、煙が辺りを包む。これはまさか。
「私も、あなたと同じ。普段は化けてますけど、普通の人間じゃないんすよ」
翼の二の腕から下は鮮やかな青色の翼となっており、膝も逆方向に曲がっている。鳥の脚。
「ちょっとお時間、いいっすか?」
翼が笑った。
更新が遅れたのは艦これが悪い。
ついに他の魔物娘も出してしまいましたなぁ