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Key-Online  作者: スバル
2/12

プロローグ2 ゲームは七時半より

 梅雨が明け、風薫る夏。

 東京より列車に揺られて一時間半、S県の中央部に位置する七星市は猛烈な暑さに包まれていた。周囲を山々に囲まれ、盆地となっている市街地には容赦なく熱気が流れ込み、空気が歪んで蜃気楼が見えそうなほど。熱さにうんざりした人々は建物に逃げ込んでいるのか、昼下がりの今は通りを歩く人影すらまばらである。

 ぐったりとしてやる気のない街の繁華街を、異様な人影が進む。全身を黒に包み、足にはこれまた底の厚い黒のブーツ。頭には深い三角帽子をかぶり、小さな顔にはサングラスをかけている。布地の隙間から覗いて見える肌は色素が全くなく、白い。それは黄色人種にはおよそあり得ない色合いで、また天然のものとは思われなかった。さながら悪魔的な手術か何かで、皮膚の色を白く染めてしまったようである。

 黒い人影――たぶん男だろう――は繁華街を抜けて、小さな公園に差し掛かった。ビルの隙間に取り残されたような公園で、ベンチが一つにジャングルジムと滑り台が一つずつという非常に簡素なつくりをしている。

 殺風景で小っぽけな公園であったが、その奥には大樹と言うのがふさわしい一本の木が聳えていた。背はそれほどでもないが、とにかく幹と根の大きな木で、大人が五人束になってもその幹を抱え込むことはかなわないだろう。公園の一角をどっしりと占領したそれは、都会には滅多に見られないほどの圧倒的な生命力にあふれている。

 男は懐から懐中時計を取り出した。相当古いのかあちこちに細かな傷がつき鈍い金色のそれを、彼は木の幹に思い切り押し付ける。


 カシーンカシーン。


 工場の機械が鋼を打ち鳴らすような音がすると、時計は幹に埋もれた。文字盤の部分だけを残して、時計は木と一体化したのだ。その象牙色の文字盤の上で針が狂ったように踊り始めた。ジリジリと歯車が唸る。二つの針はその間を狭めたり広げたりしながら、勝手気ままに時を刻んだ。

 そうしてクルクルと動いていた針であったが、やがて居心地のいい場所を見つけたようにぴたりと止まった。七時半。針は七時半きっかりを示して、それきり元の無機物へと戻った。時計は再びチクタクと退屈な音を響かせる。


「七時半、半、半。これはいい」


 壊れたラジオのように酷くくすんでいるが、うれしそうな声。男はそのまま勢いよく公園を飛び出していった。彼はスウッと幻影のように風景の中へと姿を消してしまう。それはさながら、夏の暑さが見せる蜃気楼のようであった。






「キター! キタキターー!!」


 自分宛てのダンボールを開いた瞬間、上坂 修太は歓喜した。まずは拳を天井に付き上げ、高らかに勝利の雄たけび。お次は箱を手に何度も回転。さらにはコサックダンスもどきまで披露してしまうほどの喜びようだ。

 箱に入っていたのは梱包シートでぐるぐる巻きにされたヘルメットのようなものと、それに付属の説明書らしき書類。最近世間を騒がせているVRゲーム機こと通称ソリッドビューのセットだ。

 アリスライン社が五月の連休中に発表したVRMMOは、発表から二カ月を経てもはや社会現象となりつつあった。当初の悪評を吹き飛ばし、クローズドβのすぐ後に実施されたオープンテストは一万人規模で実施されたものの当選倍率は脅威の四百倍越え。正式サービス開始に至ってもソリッドビューの生産は需要に全く追い付いておらず、半年待ちなどは当たり前だ。ネットオークションの対象となったソリッドビューに、原価の二十倍にあたる六十万円もの値段がついたことさえある。おそらく、ソリッドビューは現在世界で最も入手困難な物の一つに当たるだろう。それだけ日本中、いや世界中がアリスライン社の開発したKey-Onlineに度肝を抜かれたのだ。

 上坂 修太もその一人だった。テレビで僅かに流された――驚いたことに、アリスライン社は大々的な宣伝をほとんどしなかった――Key-Onlineの映像に心を奪われたのだ。

 その映像は決して、斬新なものではなかった。赤銅色の巨大なドラゴン相手に何人かのプレイヤーが挑むという良く言えばシンプル、悪く言えば陳腐なものである。しかし、迫力が違った。

 ドラゴンの体には作りものではない生命が満ちあふれ、それに対するプレイヤーの緊張までもが伝わってきた。放たれるブレス、魔法の一つ一つに熱や力が籠もっており、それのもたらす現象がすべて現実であるかのような錯覚を覚えさせる。プレイヤーの額より流れ落ちる汗にドラゴンの筋肉の躍動。まさに、冒険できる現実の存在がテレビを通して修太に伝えられたのだ。

 それから修太はどうにかこのゲームを手に入れようと奮闘した。あちこちのゲーム販売店に問い合わせることから始め、ゲーム産業に関してわずかにでもつながりのある友人を探してはそのつど伝手をたどり、果てはお菓子の懸賞にまで手を出した。

 とはいっても、上坂 修太は七星学園に通うただの高校生である。出来ることは限られていたし、確実に手に入れられる保証などどこにもなかった。だからこそ、手に入れた喜びと言ったらたとえようがないほどである。


「やっふー!」


「兄ちゃん、何やってんの? 頭でもおかしくなった?」


 大騒ぎしすぎていたからか、隣の部屋から妹が来たことに修太は気付かなかった。眉をへの字に曲げて、不審者でも見るような冷たい視線を送ってくる彼女に、修太は慌てて釈明をする。


「ソリッドビューが届いたんだよ! ソリッドビュー!!」


「ふーん、あれ。そういえばずいぶん熱心に頑張ってたもんね」


「そうそう、だから――」


「別に兄ちゃんがどれだけゲームしてもいいけどさ、私の勉強の邪魔になることはしないで」


「……以後気をつけます」


「よろしい」


 妹はそういうとさっさと修太の部屋から出て行った。別に仲が悪いというわけではないが、思春期の兄妹なのでこのような感じである。特に高校受験を来年に控えている妹の七海は、最近ピリピリしていて兄に対して不機嫌だった。しかし、いい年した七海が修太とべたべたしているよりはつんけんしている方がよっぽど自然だろう。

 七海に注意されて若干落ち付いたのか、修太はソリッドビューのセットアップに取り掛かった。丁寧にビニールを引き剥がすと、黒く輝くヘルメットのような物が姿を現す。修太はそれをしっかりと被ると、横に置いた説明書を手に取った。


『このたびは弊社のソリッドビューをお買い上げいただき誠にありがとうございます。

ソリッドビューを使用するに当たって三つの注意事項がございますので良くお読みください。


1.ソリッドビューは非常に特殊な機械です。万一の故障の際は必ず弊社の方までご連絡ください。一般の電気店などに修理に出されますと、ソリッドビューが修復不可能になる恐れがあります。


2.ソリッドビューは月に三時間程度、月光に当てる必要があります。月光に当てなかった場合、ソリッドビューが動作しなくなります


3.ソリッドビューを地下室などで使用すると重大な事故が起こる可能性があります。必ず電波環境の良い場所(携帯電話のアンテナが二本以上たつ場所であれば大丈夫です)でご使用ください』


 修太は冒頭の説明の内容に奇妙な物を覚えつつも、ページを繰った。彼はP11の初期設定と書かれた項目に眼を通す。するとそこには『ソリッドビュー左側の緑のボタンを押すと初期設定が始まります。詳細については内部ガイドに従ってください』とだけ書かれていた。あまりにあっさりとした説明に拍子抜けしつつ、修太は緑のボタンを押した。意識が不意に遠のき、彼は予め敷いておいた布団の上へと倒れてしまう。

 修太がボタンを押した時、すでに外では日が没して月が昇っていた。真円を描く月はいつにも増して紅く、魔性の光を滾らせている。この時間にしては不思議と人通りも少なく、外はがらんとしていて、さながら丑三つ時のようだ。

 時刻はちょうど七時半。七星の街にどこからともなく錆ついた鐘の音が響く――。

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