怪話篇 第六話 老人
1
「お母ちゃん、ただいま。見て見て、こんなにもろうてしもた」
「おやおや、柿じゃないか。おいしそうだねえ。どこでもろうたんじゃ?」
「あのなあ、白いお髭のじっちゃんにもらったんよ」
「白いお髭の? そんな人、この辺におったかのう」
「この辺じゃないんよ。あののぉ、前の田圃のとこをずっと行くと林があるじゃろ。そしたら、その林のとこをずっと行くと神社があるじゃろ。そしたら、その神社のとこをずっとずっと、田圃があってもずっとずっと行くとなあ、川に出るんじゃ。そんでの、川んとこを流れて来る方へなあ……」
「ああ、川向こうのじっさまか」
「お母ちゃん、知っとるのか。たかちゃんも、よねちゃんも知らんかったのに」
「ああ、知っとるよ。そうさなあ、お母ちゃんもなあ、かずんくらいの時にの、そんな風にいっぱいもろうたんよ」
「ふうん。じゃが、かずみはのう、いっぱいいっぱいお話してもろうたんじゃぞ」
「ほう、そうかそうか。そりゃあ、良かったの」
「何じゃ、かずみは、どこさ行っとったんかいね」
「あっ、お父ちゃん。かずなあ、ずっとずっと向こうのなあ……」
「川向こうのじっさまのとこまで行っとたんじゃと」
「川向こうの? あの、じっさまか。随分とまあ、遠くまで行っとったのう」
「ほんで、ほれ、こんなに柿をもろうて来おった」
「ほうかほうか。お父ちゃんも、子供ん時のおうた事があるで。川でのう、いっしょに釣りしたんじゃぞ」
「お父ちゃんもか?」
「そうじゃ。お父ちゃんは、あのじっさまに釣りを教えてもろうたんじゃ」
「あんたが、じっさまに釣りを教えてもろうたなんて、初めて聞くのう」
「ほうか? わしだけじゃのうて、家のじっちゃんも教えてもろうたそうな。あそこの川で、ようやっとったそうじゃ」
「じっちゃんと、川向こうのじっさまが幼馴染みとは、知らなんだのう」
「そうか? わしもよう知らんがのう」
2
「お母さん、ただいま。見て見て、こんなにもらっちゃたのよ」
「あらあら、なあに?」
「これ、こんなにいっぱいの柿」
「あらまあ、凄いわねえ。どうしたの?」
「あのね、お猿のおじいさんにもらったの」
「お猿のおじいさん? 誰の事?」
「あのね、お家の前の道をずうっと行くと工場があるでしょう。そこの所をずうっと行くと林が有ってねえ、そこをずうっと行ったら神社があるの。そこの所をずっとずっと行ったら田圃になっててねえ、そこをもっと行くとねえ川に出るのよ。それでねえ、その川をねえ、上って行くとねえ……」
「なんだ、川向こうのじいさまの所まで行ってたの。随分遠くまで行ってたのねえ。でも何だって、川向こうのじいさまのこと猿のおじいさんって言ったの?」
「だって、おじいさんが自分のこと猿だって言ったんだもの」
「バカねえ、『猿だ』じゃあなくって『猿田彦』って言うお名前なのよ」
「お母さん、おじいさんの事知ってるの?」
「うーん、ほんの少しだけね。あのね、お母さんがさおりちゃんくらいの時に、何回か会った事があるのよ」
「ふうん」
「それでねえ、お母さんもそんな風に、柿をいっぱいもらったのよ」
「本当。じゃあ、お父さんが帰ったら一緒に食べようよ」
「そうねえ。お父さんも、会った事あるのよ」
「なんだ、誰の話だ?」
「あっ、お父さんだ。おかえりなさい」
「ただいま。どうしたんだい? こんなに沢山の柿」
「さおりが、川向こうのじいさまのとこでもらって来たのよ」
「川向こうのじいさまか……、懐かしいな。まだ生きてたんだなあ。子供の頃は、よく一緒に釣りをしたもんだがなあ」
「お父さん、おじいさんと釣りしてたの?」
「ああ、そうさ。あそこの川でね」
「あら、そんなこと初めて聞くわよ」
「あれ、そうだったけ。そうだ、かずみ。そこの戸棚の奥にスクラップがあるだろう。ああ、それそれ。これになあ、あん時釣ったやつが……」
「うわあ、凄い。これ、おじいさんと釣ったやつ?」
「そうさ。お父さんはなあ、さおりくらいの時に、川向こうのじいさまに釣りを教えてもらったんだ」
「あらまあ。あなたの釣り好きは、死んだお祖父さんからじゃなかったの?」
「まあ、似たようなもんだけどな。家の親父や祖父さんも子供の頃、じいさまに教えてもらったらしいからなあ」
「じゃあ、川向こうじいさまって、思ったよりお歳なのねえ」
「そうだな、家の祖父さんと同時代になるんだからなあ」
3
「お母さん、ただいま。見て見て、こんなにもらっちゃった」
「あらまあ、どうしたの?」
「お母さん、これ、柿って言うのよ。とってもおいしいんだから」
「まあ、本当。最近は、スーパーにもあまり置いてないからねえ。だけど、どこでもらったの?」
「おじいちゃんにもらったのよ。あのね、お家の前の道を行くと工場があるでしょう。そこをどんどん行くと空き地があってねえ、それでもどんどん行ったらねえ、神社があるのよ。そしたら、その神社のとこをどんどんどんどん行くとねえ、団地があってね、それでも行くとねえ、川に出てね、そしたらねえ……」
「ああ、川向こうのおじいさんね」
「何だ、お母さん知ってたの」
「そうよ。お母さんもねえ、小さい頃にあきちゃんと同じ様に、柿をもらったものよ」
「ふーん、でもあきちゃんは大っきなかぶと虫見せてもらったんだから」
「かぶと虫ですって? 今時、かぶと虫なんかいたの」
「うん。あきちゃんよりも大っきいの。それで、金色の角が二つこんなふーに付いててねえ……」
「あらあら、それはかぶと虫じゃなくて鎧兜のことでしょう」
「そうなの、よろよろのかぶと虫」
「おーい。何の話だ。おっ、美味そうな柿だなあ」
「あきちゃんがもらってきたの」
「あきみが、川向こうのおじいさんのところでねえ」
「ほう、そうなのか。いや、懐かしいなあ、川向こうのじいさんなんて、もう二十年ぶりくらいだなあ」
「あきちゃんねえ、かぶと虫見せてもらったのよ」
「えっ?」
「ほら、鎧兜のこと」
「ああ、あれか。それなら、お父さんも見せてもらった事があるぞ。そういや、源平合戦の話を聞かせてもらったもんだなあ。真に迫っててなあ、まるで見て来た様に話すもんだから、ついつい長話に聞き入ったもんだ」
「そうでしたねえ。でもあの話、学校で習ったり本で読んだのと、少し違ってませんでした?」
「そうそう。それで俺、先生に笑われてなあ。平知盛に褒美にもらったっていう短剣も見せてくれたから、きっと先祖の誰かから代々受け継いだ話なんだろうな」
「それじゃあ、随分と由緒ある家柄なんですねえ」
「そこまでは、よく知らないがなあ。しかしまたあの川で一緒に釣りをしてみたいもんだな」
「あらあら、そんな事があったんですの?」
「そうさ。俺は、あのじいさんに教えてもらったんだよ」
「まあまあ、お父さんも釣好きだったからてっきりお父さんからとばっかり」
「おいおい、さおり、そう何でもかんでも遺伝してたまるか。まあでも、当たらずといえど遠からじってとこかな。なんせ親父もじいさんに教えてもらったそうだから」
「あらあら。そんな昔から住んでたんですねえ」
4
「ママ、ただいま。見て見て、こんなにもらっちゃったのよ」
「あらあら、なあに。まあ、沢山の柿。どこで、もらって来たの」
「お髭のおじいちゃん」
「お髭のおじいちゃん? どこの人?」
「あのねえ、お家の前の道を歩いてくと工場があるでしょう。そこをずっと歩いてくとマーケットがあってね、もっと歩くとねえ学校に出るのよ。それでも歩いてくと団地があってね、もっともっと歩いてくと川が流れてるの。その川の……」
「ああ、なんだ、川向こうのおじいさまね」
「そう、そのおじいちゃん。大っきなお庭があってねえ、そこでもらったの。ママ、柿って、木にぶら下がってるのよ。知ってた?」
「それはねえ、生るって言うのよ。でも、この時代に柿の木のある庭なんて信じられないわねえ」
「本当よ、みさと嘘なんかつかないもん」
「はいはい、分かりました」
「なんだ、賑やかだなあ。おっ、柿か。これは、美味い。最近は、水耕栽培も進歩したもんだなあ」
「違うもん。木の枝にぶら下がってたんだもん」
「川向こうのおじいさまの所でもらったんですって」
「川向こうの? 信じられんな。もう死んだとばかり思ってたがなあ。おまけに、自然のままの柿なんてねえ」
「そうでしょう。でも、この味は……」
「そうだ。正真正銘本物の柿だな」
「けれど、懐かしいですねえ。もう、何年になるんでしょう」
「そうだなあ。よく、あそこの所の川で釣りをしたっけ」
「あら、そんなこと初めて聞きますわ」
「うわあ、パパ、おじいちゃんの事知ってるの?」
「そうとも、パパはなあ、あのおじいさんに釣りを教えてもらったんだぞ」
「ママだって、知ってるわよ。ママもねえ、そんな風に柿をもらったのよ」
「なんだ、あきみ。俺なんか戦争の時の傷まで見せてもらったぞ。ロシアと戦った時のだそうだ」
「あなたったらもう。日本がロシアと戦争したことなんてないでしょう。もう、日露戦争じゃあるまいし」
「あれ、そうだったけ?」
「歴史で習ったでしょう?」
「そうだったけ。ソ連の民主化なら知ってるけどなあ。じゃあ戦争って、150年前の日露戦争の事か。それにしては昔過ぎやしないか」
「もう、よく大学出たなんて言ってられるわねえ」
「そう言うなよ。だが、釣りなら負けんぞ。大学シミュレーションフィッシングのチャンプだからなあ」
「はいはい、分かっております」
「もう、あの川も釣りなんてできなくなってるんだろうな」
「本物の魚でですか?」
「そうさ。俺は、本物で覚えたから今だってA級フィッシャーなんだぞ。あの頃は、良かったなあ」
「でも、初耳ですわ。私はまた、お父さんにでも教えてもらったとばかり」
「なあに、大して違いはないさ。父さんも川向こうのじいさまに教えてもらったんだそうだからなあ。父さんが生きてたら、懐かしがるだろうに」
5
「ママ、ただいまー。見て見て、こんなに沢山もらって来たのよ!」
「まあまあ、どうしたの」
「おじいちゃんにもらったのよ。これねえ、『カチ』って言うの」
「まあまあ、そうなの。でも、どこのおじいさん?」
「あのね、お家の前の道を行くとね、工場があって……」
eof.
初出:こむ 6号(1987年5月5日)