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第12章 第3話「祠が、欠けていた」

三日目の朝の鐘五つは、サヴリーニュ村の中央広場の、低い鐘の塔から、鳴った。


村長の家の客間で、私は、装備を、整えた。


旅の鞄の中の、麻布の包みは、寝床の枕の下から、もう一度、旅の鞄の小さな仕切りに、戻した。


仕切りの蓋を、閉じた。


ジルは、白い小石の束を、革で巻き直して、自分の腰の革帯に、結びつけた。


腰の右側で、小石の束は、ジルが歩くたびに、わずかに、揺れた。


ライナル先輩は、地形図を、四つ折りにして、自分の革袋の中に、入れた。


革袋の口を、紐で、二回、結んだ。


ロッタ老師は、薬瓶のベルトを、もう一度、腰に、巻いた。


八本の薬瓶が、ふだんと同じ順序で、並んでいた。


首の拡大鏡は、首から、軽く、垂らした位置。


ヴァサール教官は、短剣を、磨かれた状態のまま、革のシースに、納めた。


応急道具の革袋は、左肩に、提げた。


ヴァルニエ教授は、手帳を、自分の上着の内ポケットに、収めた。


筆と、小さな壷の墨も、別の内ポケットに、入れた。


「全員、揃ったか」


ヴァサール教官の声で、6名は、客間の中央に、集まった。


「……揃いました」


「よし。出る」


村の入口で、村長が、待っていた。


村長は、革のジャケットの襟元を、朝の冷気で、軽く、押さえていた。


朝の空気は、昨夜の客間の窓辺で、感じた青い気の薄さを、わずかに、地表に、近付けていた。


「祠は、丘の南斜面を、半刻ほど、登った先の、窪地に、ございます」


「道は、細い、ですか」


「……はい。お一人ずつ、お進みください」


ヴァサール教官は、頷いた。


「先頭は、ライナル。次に、ジル、テオ、ロッタ、教授、私が、最後尾」


「この順は、変えるな」


「何か、感じたら、即座に、止まれ」


6名は、村の入口を、出た。


丘の南斜面の細い道は、村長の言う通り、お一人ずつ、しか、通れなかった。


足元の質感は、村の中央広場の踏み固められた土から、放牧地の草の道に、変わり、さらに、石灰岩の白い岩の、わずかに、苔の張った段差に、変わっていった。


私は、ジルの背中の、右肩の少し上の位置を、目印に、歩いた。


ジルの腰の右側の、白い小石の束が、ジルの歩幅と同じ速さで、わずかに、揺れていた。


ライナル先輩は、先頭で、ときどき、足を、止めた。


止めるたびに、足元の岩の苔の、湿り気を、指の腹で、軽く、確かめた。


「ここから、地脈の、走り方が、半呼吸ぶん、ねじれている」


ライナルが、自分の後ろを、振り返らずに、つぶやいた。


「村の井戸の方向と、わずかに、ずれている」


ジルは、ライナルの言葉を、聞いて、自分の腰の小石の束を、軽く、押さえた。


「陣の組み方、二番目だな」


「そうだ。三番目は、まだ、保留しておけ」


「……了解」


ジルの言う「組み方の二番目」が、どんな陣なのか、私には、まだ、分からなかった。


ジルは、現地で、見て、決める、と昨夜、客間で、言っていた。


ライナルの「地脈のねじれ」の観察が、ジルの二番目を、決めた。


それが、現地で、見て、決める、ということか、と私は、内側で、頷いた。


道の途中で、私は、一度、後ろを、振り返った。


サヴリーニュ村の白い石板の屋根が、丘の麓に、わずかに、小さく、見えた。


村の井戸の中央広場が、屋根の隙間から、半分ほど、覗いていた。


「テオ、前を、向け」


ヴァサール教官の声が、最後尾から、来た。


「……はい」


「振り返るのは、止まった時だけだ」


「……はい」


私は、前を、向き直した。


ジルの背中の、右肩の少し上の位置に、もう一度、目を、戻した。


丘陵中腹の窪地に、6名は、半刻で、着いた。


窪地は、丘の南斜面の、平らな、円形の、わずかに、低い土地だった。


直径は、馬車三台分、ほど。


窪地の中央に、倒壊した祠の跡が、あった。


石灰岩の白い壁は、半分以上が、崩れて、内側に、倒れていた。


倒れた壁の隙間から、内側の、三段の石組みが、露出していた。


三段の石組みは、円形の段が、三段、重なった構造だった。


最下段の半径が、いちばん大きく、馬車一台分ほど。


中段は、その半分ほど。


最上段は、私の身長と、同じほどの直径。


最上段の中央は、わずかに、窪んでいた。


ロッタ老師が、最初に、祠の跡の脇に、近付いた。


崩れた壁の石片を、ひとつ、拾い上げた。


石片を、首の拡大鏡で、軽く、覗いた。


「ふぅむ」


ロッタの声は、いつもの工房の調子から、呼吸ひとつぶん、落ちていた。


「この破片は、古い」


「千年は、経っている」


ロッタは、石片を、もう一度、拡大鏡で、覗いた。


「石の中の、結晶の並び方が、ふだんの石灰岩と、ちがう」


「千年の間に、地脈の気を、吸い込んで、ゆっくり、結晶が、組み変わっている」


「ハンマーレムでも、見たことが、ない、変わり方だ」


ヴァルニエ教授は、手帳を、開いた。


手帳に、ロッタの言葉を、ゆっくり、写した。


「結晶の、組み変わり方は、どの方向に、進んでいますか」


「……石の、上面の側に、わずかに、寄っている」


「つまり、地脈の気は、下から、上に、抜けている」


ロッタは、頷いた。


教授は、手帳に、矢印を、ひとつ、書き加えた。


ライナル先輩は、窪地の縁を、ゆっくり、一周した。


足元の苔の、湿り気を、指で、確かめながら、ときどき、足を、止めた。


「窪地の南東の縁が、指の幅ぶん、湿気が、多い」


「地脈の気の、抜け道が、その方向に、ある」


「……それは、地表に、出てくる、ということですか」


「いや。地表の、もう少し、下で、横に、抜けている」


「だから、ここから、村の井戸の方向と、わずかに、ずれているんだ」


ジルは、窪地の中央の、祠の跡の手前で、足を、止めた。


「陣を、組む位置、ここでいいか」


「いい。観察用の、薄い陣だけだぞ」


ヴァサール教官が、最後尾から、答えた。


「触れない陣だ。見るだけ。それなら、いい」


ジルは、腰の革帯から、白い小石の束を、外した。


革で巻いた束を、自分の足元の、平らな苔の上に、広げた。


それから、革の上の小石を、ひとつずつ、地面に、並べていった。


並べ方は、円形だった。


直径は、私の身長と、ほぼ、同じ。


円の上の小石は、十二個。


時計の十二の位置に、ひとつずつ。


ジルは、円の中央の、土の上に、しゃがんだ。


腰の革袋から、銅の細い線を、一巻き、取り出した。


銅線の端を、円の北の位置の小石に、軽く、巻きつけて、固定した。


それから、銅線を、円の中央まで、引いて、中央で、結び目を、作った。


「これで、観察用の、薄い陣だ」


「触れる魔力は、ほとんど、ない。ただ、円の中央に、立った者の、見る能力を、半呼吸ぶん、強める」


「テオ、お前が、入れ」


私は、円の中央に、ゆっくり、足を、運んだ。


円の北の小石を、跨ぐ時、足の裏に、わずかに、銅線の張りを、感じた。


円の中央の、銅線の結び目の、半歩、手前で、私は、止まった。


「入ったら、まず、深呼吸を、三つ」


ジルが、円の外から、声をかけた。


私は、深呼吸を、三つ、した。


胸の中の、空気が、ふだんよりも、わずかに、温かく、入ってきた。


陣の効果だった。


私は、真理の眼を、意図的に、発動した。


祠の跡の、三段の石組みの上に、淡い、線が、重ね合わせとして、見えた。


三段の石組みの中央に、薄く、青い気の気の残りが、窪みの底から、わずかに、立ち上っていた。


ロッタ老師が言った「結晶の組み変わり」の方向と、青い気の方向は、一致していた。


下から、上に。


私は、目を、もう少し、深く、開けた。


三段の石組みの、最下段の、内側の面に、刻まれた文字が、淡く、浮き上がった。


文字は、崩落した壁の隙間から、外気に、触れたばかりの位置だった。


苔は、まだ、生えていなかった。


文字列は、左から右へ、四つの文字の塊で、続いていた。


「……ノ・◯◯・エ・ファルナ……」


私は、文字列を、心の中で、もう一度、なぞった。


完全記憶は、文字列の、すべての字形を、即座に、保存した。


字形の、刻まれた深さ、彫り跡の幅、苔の生えていない外気接触面の境界、すべて、保存した。


「……ノは、読める」


声には、出さなかった。


「エも、読める」


「ファルナは、まだ、読めない」


「◯◯は、何か」


私は、文字列の、◯◯の位置を、もう一度、目で、なぞった。


字形は、私の知らない、二文字の連なりだった。


完全記憶は、別の場所の、似た字形を、検索しようとした。


検索の先には、麻布の中の、祖父の三枚目があった。


私は、検索を、止めた。


陣の中央で、ジルの声を、待った。


「テオ、何か、見えたか」


「……構造は、見えます」


「だが、構造の、目的は、見えません」


「それでいい。出ろ」


私は、円の南の小石を、跨いで、陣の外に、出た。


ジルは、銅線を、ゆっくり、巻き戻した。


小石を、ひとつずつ、革の上に、戻していった。


円の中央の、土の上には、何も、残らなかった。


ライナル先輩が、私の隣に、立った。


「お前、何を、見た」


「……三段の石組みの、最下段の、内側に、文字列が」


「読めたか」


「……二文字、だけ。ノと、エ」


「それで、十分だ」


「……ライナル先輩、二文字で、十分、ですか」


「今日は、十分だ。明日は、また、別の話」


ライナルは、それだけ言って、ロッタ老師の方を、見た。


ロッタは、自分の手の中の、石片を、もう一度、拡大鏡で、覗いていた。


ヴァルニエ教授は、手帳の、新しい頁を、開いた。


「ライナル」


「はい、教授」


「地脈の気の、抜け道の、方向と、強さを、もう一度」


「抜け道は、窪地の、南東の縁の、地表下、半身ほど」


「強さは、村の井戸まで、届く、ぎりぎりの強さ」


「……分かった」


教授は、矢印を、もう一本、書き加えた。


それから、ロッタ老師に、目を、向けた。


「ロッタ老師」


「ふぅむ、何だ」


「石片を、お持ち帰りに、なって、結晶の組み変わりを、学院で、もう一度、調べる、ことは、できますか」


「できる。だが、外気に、長く、触れすぎると、結晶が、もう一段、組み変わる、可能性が、ある」


「麻布に、二重に、包んで、密封すれば」


「……三日は、もつ」


「それで、十分です。お願いします」


ロッタは、頷いた。


腰の革帯から、麻布を、二重、取り出した。


石片を、丁寧に、二重に、包んだ。


包みを、自分の薬瓶のベルトの、空いた一枠に、収めた。


教授は、最後に、ヴァサール教官の方を、見た。


「ヴァサール」


「はい、教授」


「今夜、村に、降りる。明朝、出立する」


「……了解しました」


「学院に、戻って、準備を、整える」


「再来する、時期は、霜月の、初旬を、目処に」


「全員、これで、いいか」


ライナル先輩は、頷いた。


ジルは、自分の革帯の小石の束を、軽く、押さえてから、頷いた。


ロッタ老師は、薬瓶のベルトの、新しい一枠を、指で、確かめてから、頷いた。


ヴァサール教官も、頷いた。


私は、最後に、頷いた。


「……はい、教授」


ヴァルニエ教授は、手帳を、閉じた。


「今、無理に、手を、出す、時ではない」


「祠の中央の、青い気は、まだ、強くはない」


「だが、強くなる前に、準備を、整えて、再来したい」


「それが、賢明だ」


ヴァサール教官が、頷いた。


「それが、賢明です。教授」


私は、もう一度、祠の中央の、三段の石組みの、最上段の窪みを、見た。


青い気の気の残りは、まだ、薄く、立ち上っていた。


完全記憶は、その光景を、即座に、保存した。


帰路は、来た時と、同じ順序で、丘の南斜面の細い道を、降りた。


ライナルが、先頭。


ジルが、次。


私が、三番目。


ロッタ、教授、ヴァサール教官の順で、最後尾までが、続いた。


私の旅の鞄の、小さな仕切りの中の、麻布の包みは、降りる間中、振動で、わずかに、揺れた。


枕の下で、なぞった時と、宿駅の長い間で、移した時と、同じ、わずかな粗さの手触りが、肩越しに、戻ってきた。


村の入口に、戻ったのは、午後の鐘三つの、少し前だった。


村長は、村の入口で、待っていた。


「……お早い、お戻りで」


「今夜、お世話に、なります。明朝、出立、いたします」


ヴァルニエ教授が、答えた。


「現地は、もう、調査が、終わったのですか」


「……今日の調査は、終わりました。本格的な調査のため、いったん、学院に、戻ります」


「……承知しました」


村長は、深く、礼を、した。


それから、客間の方に、私たちを、案内した。


午後、客間で、ヴァルニエ教授は、手帳を、開いて、調査の記録を、整えた。


ロッタ老師は、薬瓶のベルトから、石片の包みを、取り出して、もう一度、密封を、確かめた。


ライナル先輩は、地形図に、新しい矢印を、いくつか、書き足した。


ジルは、白い小石の束を、革で巻き直してから、自分の旅の鞄の中に、収めた。


ヴァサール教官は、明朝の出立の動線を、客間の中で、確認した。


私は、自分の旅の鞄の、小さな仕切りを、開けた。


麻布の包みは、行きと、同じ位置で、横向きに、寝ていた。


包みの厚みは、行きと、変わらなかった。


私は、包みを、取り出さなかった。


仕切りの蓋を、閉じた。


夕の鐘四つは、村の中央広場の鐘の塔から、鳴った。


夕食は、昨夜と、同じ、羊の薄切りと、丘の麓の野菜の煮込みだった。


香草の匂いも、昨夜と、同じだった。


夕食後、私は、客間の窓辺から、丘陵中腹の、祠の方角を、もう一度、見た。


夜は、まだ、深くはなかった。


丘の中腹の、ある一点で、夜の闇が、ふだんの夜の闇よりも、わずかに、薄く、青い気を、含んでいた。


昨夜、客間の窓辺で、感じたのと、同じ場所、同じ濃度。


「強くなって、いない」


私は、内側で、確かめた。


「だが、消えても、いない」


ヴァサール教官が、私の後ろに、来ていた。


「テオ。見ているのか」


「……はい」


「強くなっているか」


「……いえ、昨夜と、同じ濃度です」


「よく、見ている」


「……教官、これは、消えるものですか」


「消えるか、強くなるかは、誰にも、分からない」


「だから、戻って、準備を、整える」


「……はい」


ヴァサール教官は、それだけ言って、客間の中央に、戻った。


私は、自分の寝床の上に、座った。


旅の鞄の中の、麻布の包みを、寝床の枕の下に、移した。


枕の下の、麻布の手触りは、行きの宿駅と、行きの今朝と、同じ、わずかな粗さで、戻ってきた。


ろうそくが、客間の中で、ひとつずつ、消えていった。


ヴァサール教官が、最初。


ヴァルニエ教授が、次。


ライナル先輩は、地形図を、丁寧に、巻いてから。


ジルは、白い小石の確認を、終えてから。


ロッタ老師は、薬瓶のベルトを、整えてから。


私は、最後だった。


ろうそくの炎を、消す前に、私は、新しい実験ノートを、開いた。


合金溶解の五枚分の手順の、次の頁の、さらに次の頁を、開いた。


新しい頁の、最初の行に、私は、書いた。


祠の中央の、青い気が、まだ、目の奥に、残っていた。


二行目に、私は、書いた。


ロッタ老師の「千年は、経っている」が、内側で、もう一度、響いた。


三行目に、私は、書いた。


ジルの陣の中で、私は、構造を、見た。だが、構造の、目的は、見えなかった。


三行、書いて、しばらく、動かなかった。


それから、私は、続けた。


銘文は、四つの語の塊だった。


ノは、読めた。


エも、読めた。


だが、ファルナは、まだ、読めない。


◯◯は、まだ、見たことのない、二文字だった。


それから、私は、ペンを、いったん、置いた。


旅の鞄の中の、麻布の包みを、寝床の枕の下から、ふたたび、取り出した。


机のない、寝床の上で、麻布を、開けないまま、膝の上に、乗せた。


麻布の手触りは、変わらなかった。


機械的な、繰り返しの手触り。


引き出しの中で、なぞった時と、宿駅の長い間で、移した時と、行きの客間の枕の下で、移した時と、丘の中腹の道を、降りた時と、いまの膝の上で、変わらず。


「祖父の言葉は、ここまで、来ていた」


声には、出さなかった。


内側で、一度だけ、確かめた。


「だが、私は、まだ、繋げない」


繋げない、と書いて、ペンを、もう一度、取った。


新しい実験ノートの、最後の頁に、私は、書いた。


学院に、戻ろう。


準備を、整えて、再来しよう。


二行、書いて、ペンを、置いた。


実験ノートを、閉じた。


麻布の包みを、もう一度、旅の鞄の小さな仕切りに、戻した。


仕切りの蓋を、閉じた。


旅の鞄を、寝床の脇に、寄せた。


ろうそくを、消した。


客間の闇の中で、五人の呼吸が、半呼吸ずつ、ずれて、続いていた。


私の呼吸も、その中に、入った。


夜の街道筋の、虫の声は、昨夜と、わずかに、違って、聞こえた。


リューヴェルの寮の窓で、聞いた虫の声よりも、低い、別の音の高さで、続くのは、昨夜と、同じだった。


ただ、今夜は、その低い音の高さの、奥に、もうひとつ、別の音が、薄く、混じっていた。


その別の音が、何の音かは、私には、分からなかった。


私は、目を、閉じた。


虫の声の、低い音の高さを、ひとつずつ、数えながら、私は、眠りに、入った。

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