蛇足 主の勝利は、最初から決まっていた
お嬢様が、目を覚まされたあの朝。
私はいつも通り、紅茶を用意して部屋を訪れた。
「お嬢様、よろしいですか?」
返ってきた声は、いつもと同じ。
けれど、どこが違うことを私は確かに感じていた。
気配。
あるいは雰囲気とでも呼ぶきか。
うまく形容することができないが、異質な何かを私は感じ取ったのだ。
それは扉を開けた瞬間、確信へと変わった。
そこにいらっしゃるのは、これまでのキャサリン様ではないと、侍女としての本能がそう告げていた。
視線。
立ち居振る舞い。
空気。
目に見えてわかる差異は、ほんのわずかなものだが、これを見誤るようではお嬢様の侍女など務められない。
「舞踏会は、7日後で間違いないわね?」
最初の問いで、私は理解した。
これから何かが起こるのだ、と。
そしてそのことをお嬢様が承知していることも。
「その通りでございます、お嬢様」
それならば私から問うことは何もない。
これまでと同じだ。
お嬢様が語らないのであれば、そこにははっきりとした理由がある。
気を揉むことに意味はない。
私の役目は今までと変わらない。
お嬢様をお支えすること。
それだけだ。
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「ここ数日でジェームズ様や……ミレイユ嬢が、どんな動きをしているのか。調べてちょうだい」
そう命じられたその日から、私はすぐに動きだしていた。
情報は足で稼ぐものだ。
そして人で稼ぐものでもある。
「久しいですね、マルク」
王宮の裏手。
人気のない回廊で、1人の男に声をかけた。
「……。エマか? 珍しいな、こんなところに」
振り返ったのは下級役人。
表向きはただの事務方。
だが、情報の流れには聡い男だった。
「少々、伺いたいことが……」
声を落として私は話す。
それを聞くにつき、ただ事ではないとマルクも姿勢を正した。
「内容によるな」
「書記官の動きです」
ぴくり。
マルクの表情がわずかに曇る。
「……。穏やかじゃないな」
「ええ。ですが、報酬は弾みますよ」
努めてにこやかに私は言った。
「……」
短い沈黙。
そして、観念したようにマルクがため息をついた。
「どこまで知りたいんだ?」
取引が成立した。
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数時間後。
私の手元には、十分すぎるほどの情報が揃っていた。
「……やはりですか」
グレイソン書記官。
最近の不審な金の動き。
頻繁な外出。
何よりも、男爵家との接触が決定的だった。
「わかりやすい方々で助かりました」
これほど露骨であれば、たどるのは容易いでしょう。
問題は、得られた情報をどう使うか。
証拠はただ集めればいいというものではない。
出すタイミング。
組み合わせ。
見せ方。
それらすべてが揃って、初めて意味を持つ。効果的になる。
「……。お嬢様なら、どうなさるでしょうね」
考えるまでもないのかもしれない。
あの方は、すでに戦場を見据えていらっしゃる。
ならば私は、その盤面を少しだけ整えるだけでいい。
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ほどなくして私は、お嬢様から一通の手紙を預かっていた。
「これを例の書記官へ」
「……承知いたしました」
内容は確かめない。
しかし、その意図だけは私にもはっきりと理解できた。
これは罠だ。
確実に獲物を仕留めるための猛毒だった。
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舞踏会当日。
私はお嬢様の後ろに控えていた。
きっとすべてお嬢様の予定どおりに運んでいるのだろう。
お嬢様は一切の迷いなく、この場を支配していく。
言葉一つ。
視線一つ。
それら全部が計算され尽くされたかのようだった。
――お見事です。
思わず、内心で感嘆した。
グレイソン書記官が崩れた瞬間、私はお嬢様に祝福を挙げていた。
そうして、全部が終わったあと、バルコニーで夜空を見上げるお嬢様の背中を、私は少し離れた場所から見守った。
風に揺れるドレス。
静かな横顔。
そこにはもう、かつての面影は一切なかった。
お嬢様は新しいステージに向かわれたのだ。
最初からわかっていた。
初めてお仕えしたときからずっと、この方はだれにも負けはしないと感じていた。
たとえ一度は敗れたとしても、必ず立ちあがる方だと私は信じていた。
「お嬢様」
静かに声をかける。
「どうしたの、エマ?」
振り返ったお嬢様の表情は、とても穏やかだった。
「お見事でございました」
短く告げる。
それ以上の言葉は余計だろう。
お嬢様は一瞬だけ目を細め、そしてふっと口元を緩ませた。
「ありがとう」
私は深く一礼する。
この方に仕えていることを、私は誇らしく思った。
これからも、たとえこの先にどのような未来が待ち受けていようとも、私は変わらずにお嬢様のそばに立ちつづけるだろう。
主の勝利を疑うことなど、一度もなかったのだから。
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