42 他愛のない駆け引き
夜会の喧騒が遠ざかっていく。
広間を出たキャサリンは、廊下の窓辺に立って夜の庭を眺めていた。秋の終わりの夜風が、開いた窓から静かに流れ込んでくる。
「お嬢様」
エマが隣に立った。
「フィリップ様から、先ほど文が届きました」
差し出された封筒を開ける。短い文だった。
『うまくいったか?』
それだけだ。名前も署名もない。この簡潔さが、いかにもフィリップらしかった。
キャサリンは小さく笑って、エマに突き返す。
「『問題なく』とだけ」
「かしこまりました」
エマが下がっていく。キャサリンはもう一度、夜の庭に目をやった。
風が、庭の木々を揺らしていた。
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騒動から数日後。
フィリップがキャサリンの屋敷を訪ねて来た。
応接室に現れた彼は、前回よりもずっと表情が軽かった。
肩の荷が下りた人間の、自然な軽さだ。
芸術家として頭角を現しつつある近ごろのフィリップには、以前の幸薄そうな空気が、ほんのわずかだが薄れてきた気がする。
「礼を言う」
席に着くなり、フィリップがまっすぐにキャサリンを見て言った。前置きも世間話もなかった。それがこの従兄弟らしかった。
「そして、これを受け取ってほしい」
差し出された封筒は、以前の薄さとは違った。
きちんとした依頼への対価だ。
報酬をもらうほどではないのだが、恐らくは前回のぶんを含んでいるのだろう。
独り立ちしたということの証しにほかならない。
もらわなければ、かえって失礼になる。
「お役に立てて光栄ですわ」
キャサリンは素直に受け取った。
短く返す。
フィリップが小さくうなずいた。
それから二人はしばらく、他愛のない話をした。
フィリップの近況。
最近描いている作品のこと。
次の展覧会の予定。
以前に比べて、フィリップの言葉から刺々しさが消えていた。芸術家として自分の場所を見つけつつあるので、その自信の現れなのだろう。
やがてフィリップが立ち上がり、一礼して部屋を出ようとする。
その背中にキャサリンが、一言だけ声をかけた。
「フィリップ様。メアリー嬢はご無事でしたよ」
フィリップが一瞬だけ足を止める。
振り返りはしない。
ただ「そうか」とだけ言って、静かに廊下へと消えていった。
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翌週。
メアリーがキャサリンの屋敷を訪ねてきた。
お礼の挨拶という名目だったが、その目には「確かめたいことがある」という色があった。
聡明な人物だ。
礼だけを言いに来る顔ではないと、キャサリンはすぐに察した。
――タイムリープが発覚することはないから、探られて困ることはないわね。
二人が向かい合って席に着く。
エマは紅茶を用意して、すぐに下がった。
「この度は、本当にありがとうございました」
メアリーが丁寧に頭を下げる。
「おかげさまで、最悪の事態を免れることができました」
「お役に立てて良かったですわ」
キャサリンが静かに返す。
メアリーがカップに視線を落としてから、ゆっくりと顔を上げた。
「ひとつ伺いたいことがございます」
「どうぞ」
「なぜ、私を助けてくださったのですか。私どもには、これまでお付き合いもなかったはずですが……。やはりどうしても、その点が気になるのです」
予想通りの問いだった。
「以前にも申し上げましたが、私の性分なのです。困っている方がいれば、手を差し伸べたくなってしまって……あなただって、自分の手で解決できることを、見て見ぬふりはしないでしょう?」
キャサリンが静かに微笑む。
メアリーもかわいらしい笑みをキャサリンに向けたが、その言葉は表情ほど柔らかくはない。
「どうでしょう。私に人助けの趣味があったならば、孤児院にでも働きに出かけているんじゃないかなと思います」
「……」
キャサリンは何も答えない。ただ、探るようにメアリーに視線を向けている。
まさか助けた相手への言葉だ。
皮肉ではあるまい。
――これだ。違和感の正体は、この芯の強さにある。
キャサリンが思索の海に沈むよりも早く、メアリーは重ねてキャサリンに問う。
「私ならば、誰かに頼まれなければ、わざわざ子爵の娘を助けようとは思いません。背後には、フィリップ様がいるのではありませんか?」
メアリーがキャサリンをしばらく見つめた。
その目は穏やかだったが、そこにはキャサリンの一挙手一投足を絶対に逃さないという意思がはっきりと感じられる。
――フィリップ様……。あなた、こんな強い子がいいの? 絶対に尻に敷かれるわよ。
キャサリンが少しだけ間を置いた。
約束は約束だ。
こちらも決して気取らせはしない。
「いいえ」
静かに首を横に振る。
「期待させたのなら、ごめんなさいね。絵画の一件からしばらく、お会いしていませんの」
キャサリンには自信があった。
完璧に隠し通せたという自信があったのだが、対するメアリーは確信したように息をついていた。
「……そうですか。もし彼が関わっていたとしたなら……彼は絶対に、自分の名前を出したがらないでしょうね」
「私からは違うとしか言えませんわ
次にメアリーが話すまでには、少しの間があった。
窓の外では風が木々を揺らしている。
メアリーがカップを持ち上げ、一口飲んでから、視線を遠くへと向けた。
「フィリップ様は、このまま芸術家として大成できると思いますか?」
「……」
一見すると脈絡のない質問にも見える。
だが、その問いの奥にあるものを、キャサリンは読み取っていた。
――そうか。メアリー嬢もフィリップ様のことを……。
単に、出世を心配しているだけではないはずだ。
もしも、2人がお互いに慕いあっているのだとすれば、そこには身分の差が生じてしまう。
――フィリップ様は爵位を受け継がない。メアリー嬢のほうが、肩書は遥か格上になってしまう。
完全に自立できていないフィリップにとって、そのハードルは大きいだろう。いざ、メアリーに手を伸ばそうとしても、愛だけではどうしようもない現実的な問題が存在している。
だが、裏を返せば、経済の障害さえどうにかなれば、関係ないのだろう。
少なくともメアリーにはその覚悟を感じ取れる。
だからこそ、キャサリンは即答した。
「ええ、きっと。あの方の絵は本物ですもの。時間をかければ必ず届きます」
メアリーが静かにうなずいた。その横顔に、柔らかな色がにじんでいた。
「そうですね……きっと」
「ただ、大成する人間には決まって、近くで信じ続けてくれる人間がいるものですわ。自分一人の才能に驕るだけでは、人は長く走れませんから」
メアリーの手が、カップの上でわずかに止まる。
「……」
「そのことが心配だというのなら、あなたが隣で支えてあげればいいのではないですか?」
メアリーが目を丸くする。
それから、頬にほんのりと赤みの差した顔で、メアリーがはかなげにうなずく。
――まあ、フィリップ様のことを告げたわけじゃないから、このくらいはセーフよね。
キャサリンが静かに紅茶を口に運ぶ。
「ほかにご用がなければ、私はこれで」
キャサリンが立ち上がる。メアリーも立ち上がり、深く礼をした。
「本当に、ありがとうございました」
キャサリンは軽く一礼して、部屋を出た。
廊下を歩くキャサリンに、エマが横に並ぶ。
「メアリー様はよいお顔をされていましたね」
「そうね……」
気がかりな点がないわけではい。
――メアリー嬢ほど聡明な方であれば、ロナルド様のたくらみくらい、ずっと前に看破していたんじゃないかしら……。
「……」
ふと恐ろしげな考えが脳裏に浮かんだ。
思わず、キャサリンが窓の外を見る。
そこには馬車に恭しく乗りこむ、淑女然としたメアリーの姿があった。
――さすがに考えすぎよね……うん。
キャサリンは首を横に振った。
抱いた考えが間違いでなかったことに気がつくまでに、そう時間はかからなかった。
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