40 仕込みの一週間
タイムリープは、いつも唐突におわる。
目を開ければ、そこは夜会の7日前だった。
秋の終わりの朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいる。キャサリンは天井を見上げたまま、数秒そのままでいた。
頭の中を整理する。
ロナルドの手口はシンプルだ。つまりそれは、崩すのも簡単だということだ。
「エマ」
起き上がりながら呼べば、すでに部屋の隅に立っていた侍女が一歩前へと出る。
「おはようございます、お嬢様」
キャサリンは窓辺に歩み寄り、カーテンを開けた。
朝の王都が、柔らかな光の中に広がっている。
「フィリップ様の件だけど、まずはロナルドの証言者からあたりましょう」
「承知しました」
「たぶん、取り巻きがいるんだと思うわ。その手の人間は、たいてい自分の保身を最優先に考える。正直に話したほうが得だと理解させれば、こちらの望むように動くはずよ」
「脅すのではなく、ですね」
「ええ。脅しは後腐れが残るわ。それはフィリップ様にとっても、メアリー嬢にとってもよくない。相手が自分の意思で翻すように、持っていきなさい」
エマがうなずいた。
その表情に迷いはない。
こういう指示を受けたとき、エマはいつも過不足なく動く。余計なことを聞かず、しかし必要なことは確かめる。
長年仕えた侍女の落ち着いた優秀さだった。
「それともう一つ」
キャサリンが続けた。
「メアリー嬢に会いに行きます。今日中に」
「アポイントメントはいかがいたしましょう?」
「正式な形で取ってちょうだい。突然押しかけるのは無粋だわ」
――それに背後にフィリップ様がいると気取られたくはない。
エマが一礼して部屋を出ていく。
キャサリンは窓の外を見ながら、静かに紅茶を一口飲んだ。
今回は、本当に楽な相手だ。
リディアみたいな難題はしばらく相手にしたくない。
――さてと、本当はどんな顔をした令嬢なのかしらね。
フィリップが慕うだけの人物であることは、昨夜の夜会で十分に確認した。あとは直接、話してみるしかない。
キャサリンは静かにカップを置いた。
✿✿✿❀✿✿✿
メアリー・フィグマーの屋敷は、王都の中でも落ち着いた一角にあった。
華美な装飾はなく、手入れの行き届いた庭が、訪れる者に穏やかな印象を与える。屋敷の主の人柄が滲み出るような、そういう場所だった。
応接室に通されたキャサリンは、向かいの席に座るメアリーをまっすぐに見た。
金色の髪に、落ち着いた茶色の瞳。
昨夜の夜会で遠目に見た印象よりも、近くで見るとさらに芯の強さが伝わってくる。
初対面の相手をきちんと観察しながらも、しかし警戒心は決して表に出さない。育ちの良さと、それ以上の聡明さが同居していた。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
メアリーが静かに口を開いた。
「エルフェルト公爵令嬢がわざわざ……正直に申しますと、いくらか驚いております。これまで、直接お言葉を交わす機会もございませんでしたから」
「突然のお訪ねをお許しくださいませ」
キャサリンも率直に返した。社交辞令を重ねても、時間の無駄だ。
「単刀直入に申し上げますわ。メアリー嬢、近いうちにロナルド様から、婚約の破棄を宣告されます」
一瞬の静寂。
メアリーの表情が、かすかに揺れた。
しかし、すぐに表情を整える。
その速さは、それなりに覚悟があった人間のものだ。
「……なぜ、そのようなことを」
「私のほうにも、色々と情報が入ります。詳しい出どころは申し上げられませんが、理由は不貞の疑いという名目になるようです。証言者も、すでに用意されています」
メアリーが静かに息をついた。
「……。でたらめです」
静かだが、揺るぎない声だった。
「存じております」
キャサリンがうなずく。
「だからこそ、お力になりたいのです」
メアリーがキャサリンをまっすぐに見た。値踏みするような目ではなく、確かめようとしている目だ。あなたはどういう人間か、信用できるか、と。
「……なぜ、私を助けようとしてくださるのですか?」
予想通りの問いだった。
「困っている方がいれば、手を差し伸べたくなる性分なのですわ」
キャサリンが静かに微笑む。
「それだけですか?」
「それだけです」
メアリーがしばらく考えるように視線を落とした。
キャサリンは急かさなかった。
やがてメアリーが顔を上げ、静かにうなずいた。
「……わかりました。お話を聞かせてください」
その目には、もう迷いがなかった。
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その日の午後から、エマは動き始めた。
ロナルドの証言者の1人目は、馬鹿騒ぎをする遊び仲間だった。
家の格はロナルドよりも低く、社交界での立場もロナルドの庇護によって成り立っている部分が大きい。そういう人間は、守ってくれる相手が失脚したとき、真っ先に切り捨てられる側になる。
エマはその事実を、丁寧に、しかし明確に伝えた。
もしロナルドの計画が露見したとき、虚偽の証言をした人間はどういう立場に置かれるか。逆に今、正直に話した人間はどうなるか。損得の話として、感情を交えずに。
翌日、1人目が翻った。
2人目はやや手間がかかった。ロナルドへの忠誠心というより、単純に事を荒立てたくないという人間だったからだ。
エマはアプローチを変えた。
正直に話すことへの恐れを取り除くことに集中した。証言を翻しても、ロナルドから直接的な報復を受けない状況を整えてから、改めて話をしに行った。
5日目に、2人目も翻った。
エマがキャサリンに報告したのは、夜会の2日前のことだった。
「証言者は2名とも、こちらの意向通りに動く見込みです」
「ご苦労様」
キャサリンが侍女を静かに労う。
「メアリー嬢は?」
「夜会の当日、密会などなかったことを証明できる方を2名、ご本人が確保されたとのことです。同席していた侍女と、訪問先の屋敷の主人だそうで」
「それで十分ですわ」
キャサリンが窓の外に目をやった。夜会まで、残り2日。準備は整っている。
「今回は随分と早い仕上がりでございますね」
エマが静かに言った。
「相手が単純だっただけよ」
キャサリンが肩をすくめる。
「それに……」
言いかけて、少し間を置いた。
「メアリー嬢が、きちんとした方だったから。話が早かったわ」
――むしろ、なんだか素直すぎるくらいに……
キャサリンは紅茶のカップを手に取り、静かに口をつける。
――考えすぎかしら。
ロナルド側に、これ以上の仕掛けはないはずだ。
「……まあ、いいわ」
あとは当日を待つだけだ。
今度は最初から、すべてが手の内にある。
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