22 婚約者の功績
季節が一つ、動いた。
春の終わりに仕込んだ調合たちは、夏の盛りに形を変え、秋の入り口でようやく確かな輪郭を持ちだした。7年越しの研究に手応えを感じはじめていた。
リディアは今日も机に向かう。
調合室の窓から差しこむ光は、少し前まで白かったのに、いつの間にか金色を帯びている。
季節がどれだけ変わっても、部屋の景色にはほとんど差がない。
薬草の束。
試験管の列。
びっしりと書き込まれた手帳。
そして、少しずつだが着実に、完成へと近づいている調合の記録。
指先が震えた。
興奮からだった。
「……。これなら!」
思わず、口から声が出る。
今日試みた調合は、これまでのどれとも違う感触があった。
副作用の原因として疑っていた成分の効果を、別の薬草で中和することに成功したのだ。
「でも、まだ……」
確認が必要だ。
再現性を確かめなければならない。
それでも今日、夢の薬に大きく前進した。
もうすぐ手が届く。
本当に、助けられるかもしれない。
リディアは大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
あと少し、もう少しだけ……。
✿✿✿❀✿✿✿
夕刻、ヴィクターが調合室を訪ねて来た。
珍しいことだった。
いつもは夜遅くにひょいと顔を出す程度だが、今日はずいぶんと早い時間だ。
しかも、どこか改まった様子で扉を開けている。
「少しいいか? 話をしたい」
椅子を勧めると、ヴィクターは素直に腰を下ろした。
そうして、向かいに座ったリディアをまっすぐに見つめる。
「あの薬なんだが……そろそろ、王宮への申請を考えてもいい頃じゃないか?」
リディアは首を傾げた。
「申請? まだ完成していないよ」
「だが、もうおおよそのものはできているんだろう?」
「それは……そうだけど、ちょっとまだ問題が残っていて――」
言いかけたリディアを、ヴィクターが穏やかにさえぎる。
「それについては、申請しながら改良を続ければいいさ。王宮への認可が下りるまでには、時間がかかるからな。その間に調整すればいい」
理屈としてはわからなくもない。
だが、少し横暴な気がする。
「今のままじゃ、まだ患者に使えないよ。認可が下りても、未完成の薬じゃ届けられないよ」
「もちろん! 薬は完成してから届ければいい。申請と完成は別の話だ」
ヴィクターの言葉は、一つひとつは筋が通っているとリディアも思う。だが、すんなりと受け入れるには、やはり抵抗を感じた。
「……」
ヴィクターが少し声のトーンを変えた。
「それから、申請はランドール家の名義で出そうと思う」
リディアの手が止まる。
「どういう意味?」
「そのままの意味だ。いくらリディアが有名とはいえ、平民の薬師で申請するよりも、侯爵家の名義が入ったほうが話が通りやすい。王宮というのは、そういう場所だからな。それはリディアだってわかっているだろう?」
否定はできない。
それが現実だということはリディアも知っている。
貴族社会の壁は厚いのだ。
腕を磨くだけでは難しい部分がある。
その意味では、ヴィクターの言っていることは正しかった。
リディアは慎重に言葉を選ぶ。
「……。……でも、これは私の研究だよ。7年かけて積み上げてきたものなの」
リディアはそこで一旦、言葉を区切る。
あの子供たちが救えるのであれば、名義にこだわる意味はないのかもしれない。
だが、子供たちもリディアが薬を作っていることを知っているのだ。完成させるのはリディアだと信じている子供だっている。
期待に応えたいというのとは少し違うが、信頼を裏切るような真似はしたくない。自分の名前が入っている薬を、子供たちが安心して飲める薬をリディアは届けたかった。
だからこそ、はっきりとヴィクターに告げる。
「私の名前を残してくれない?」
ヴィクターはかすかに表情を曇らせた。困ったような、それでいて意外そうな顔だった。
「リディアは俺の婚約者だろう? 婚約者の功績は夫の功績でもある。そういうものじゃないか」
「……」
リディアは返す言葉を探した。
だが、見つかりそうになかった。
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