幕間 折れた羽根と小さな依頼②
それから数日が経った。
「先輩、これを見てください」
レナが記録帳を広げる。
びっしりと数字が並んでいるノートだ。
「産地が王都近郊のものと、北部山岳地帯のものとでは、魔力活性の立ち上がりに差が出ています。気温の影響かと思ったんですが、それだけではない気がして」
「……。そうね……。土壌の鉱物成分が関係しているのかもしれない」
ソフィアが記録帳を覗きこむ。
「北部の山岳地帯は魔導石の産地でもあるから。土そのものに魔力を帯びた成分が混じっていれば、そこで育った植物にも影響が出る……かも?」
「じゃあ、採取地の土も一緒に調べた方がいいですね」
「ええ。それと保存方法も変えて比較してみて。乾燥させたものと生のものとで、データが変わるはずだから」
レナがすごい速さで手帳にメモを取る。
「先輩って、クラちゃん先輩と話したりしますか?」
唐突な質問だった。
「……クラリス嬢? ええ、面識はあるけど……どうして?」
「先輩のデータと、クラちゃん先輩の術式研究がつながったら、面白いんじゃないかと思って。クラちゃん先輩って、複数の術式を同時に使ったときの干渉を抑える研究をしているじゃないですか。使う素材によって干渉の度合いが変わるなら、素材の選び方が術式設計に組みこまれる日も近いかもなんて」
ソフィアは少しの間、何も言わなかった。
「……あなた、研究院に来たばかりよね」
「はい」
「どうしてそこまで把握しているの?」
「研究論文を読んでいれば大体わかりますよ」
さらりと言って、レナが豪快に笑う。
釣られて、ソフィアの口元にも笑みが生まれた。
「先輩が笑った」
「……。失礼ね」
「いえいえ、よかったと思いまして。この間から、なんかだずっと苦しそうでしたから」
ソフィアの表情が、すっと固まる。
「余計なことは言わなくていいの」
「ああ、すみません」
レナもすぐに引いた。
だが、気まずそうな顔はしていない。
言いすぎたとは思っているが、後悔はしていないような顔だった。
不思議な子だ。
そう思ったソフィアが、視線を記録帳に戻す。
先ほどの笑いが、まだ胸のどこかにちょこっとだけ残っていた。
✿✿✿❀✿✿✿
事件が起きたのは翌日だった。
廊下を歩いていたソフィアは、角を曲がったところで足を止めた。
少し先にレナがいる。
壁際に追いやるようにして、上席の研究員が2人、レナの前に立っていた。
「見習いが分不相応な真似をするものではないよ」
1人が言った。
声は穏やかだ。
だからこそ、性格が悪い。
「クラリス博士の論文に言及した報告書を提出したそうだね。上席の先生方の研究に、見習いが軽々しく触れるものではない」
「でも内容に関係があると思ったので」
「思った、では困るんだよ。ここは感想を述べる場所ではない。君のような経歴の子が、背伸びをしすぎると恥をかくことになるぞ」
経歴という言葉の含みを、ソフィアは聞き逃さなかった。
レナは俯いたまま反論しない。
ただ黙って、顔を伏せている。
思わず、ソフィアの足が前に出た。
「失礼します」
声をかけると、二人の研究員が振り返った。
ソフィアの顔を見て、表情がわずかに変わる。
「ソフィア嬢……」
「その子の報告書の件……。レナのデータは、私の研究と照合が必要なものです。報告書の内容も、事前に私が確認しています」
嘘だ。
報告書の存在すら、今初めて知った。
だが、声は揺れない。
キャサリンの堂々とした立ち居振る舞いが、ソフィアに勇気を与えていた。
「何か問題があれば、アルバート教授を通してください。私から申し伝えます」
2人の研究員は顔を見合わせる。
アルバート・ホーウッドの名前を出された以上、これ以上続けることはできない。
小さく咳払いをしてから、2人は立ち去っていく。
ソフィアはレナのほうを向いた。
「……。行くわよ」
「はい」
レナがぴたりと後ろをついてくる。
しばらく二人は無言で歩いた。
研究室の前まで来たところで、レナが口を開く。
「ありがとうございました」
「報告書を見せなさい。本当に私の研究と関係があるかどうか、確認するから」
ソフィアが先に部屋に入った。
レナが後に続きながら、小さな声で言った。
「……先輩って、強いんですね」
その問いには答えない。
机の前に座ってペンを握る。
強いかどうかは知らないが、もう黙らなくてもいいことを知っていた。
✿✿✿❀✿✿✿
その夜、ソフィアは1人で研究室に残っていた。
ランプの光の中、握られたペンはすでに動きを止めて久しい。
なぜもっと早くに行動できなかったのだろうという自問が、頭を離れなかった。
ドリアンに対しても、自分自身に対しても。
どこかでおかしいと感じながらも、笑って取り繕っていた。
寂しいと思いながら、忙しい人だからと言い訳をした。
レナのために前に出られたのに、結局、自分のためには一度もできなかった。
目の奥が、じわりと熱くなる。
こらえようとしても、こらえきれなかった。
声は出さない。
静かに涙が頬を伝った。
しばらくして、ドアの外から音がした。
ノックではない。
扉の前に、だれかが立ち止まった音だ。
「……。ソフィア」
アルバートの声。
「おじいさま……」
「ここでいい。ただ、明かりが見えたから」
老人の声は穏やかだった。
「……。なんでもないの」
「そうか」
それだけだ。
宣言どおり、扉も開かれない。
ソフィアは袖で目元を拭った。
扉の向こうに気配はまだある。
帰らずに、そこにいてくれる。
ランプの火が淡い光を揺らした。
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