19 もう遅い
ドリアンが言う。
「ソフィアのご友人でしたか、これは失礼しました。僕とも仲良くしてくだされば、幸いです」
「ありがとうございます。私から代わりにお話ししましょう。ソフィアはここであなたに、自分の父親のことを話しているんですよ。仕事で遠くに行っているので、中々会えず、寂しい思いをしていると。あなたには以前、父親の代わりを求めたことがあったものですから、今回も同じことを求めてしまったんですわ」
無論、出まかせだ。
ソフィアが目を丸くしながらキャサリンを見つめている。
いったい何を話しているのかと言わんばかりの表情だった。
「なんだ、そのことでしたか。もちろん、覚えていますよ。まだ御父上にはお会いできていませんが、会える日を私も楽しみにしています。仕事はネーベルシュリアのほうでしたっけ?」
「……。父ではありません。母です」
ソフィアが唇を噛んでいた。
ぎろり。
今度こそ隠すことなく、ドリアンがキャサリンを睨みつけた。
「ええ、そうでしたね。お母さまでした。キャサリン嬢も人が悪いな……あはは」
「それに両親とも生きていません。他界しています」
ドリアンが息をのんだ。
婚約者としてやってはいけないミスをしたと気がついているのだろう。
――勝った。
ソフィアの中で、ドリアンへの信頼が静かに崩れていく音が、キャサリンにまで聞こえて来たようだった。
ドリアンの額には大粒の脂汗が浮かんでいる。
必死に言い訳を考えているのだろう。
――もう遅いのです。
キャサリンが穏やかに口を開く。
「ソフィア嬢。もう一つだけ、見ていただけますか?」
キャサリンの言葉に合わせ、エマが静かに書類を差し出す。
それはドリアンの愛人との接触記録。
資金の動き。
婚約後に財産を移転させる計画を示す書状にほかならなかった。
ソフィアは黙って、それらを一枚ずつ読んだ。
泣かなかった。
怒りの声も上げなかった。
ただ、読み終えたあとで、静かに紙を膝の上に置いた。
「……そう、でしたのね」
「違う、違うぞ。ソフィア! それはこの女のでっち上げだ!
「では、どうして母の話を覚えていなかったんですの?」
低い声だ。
ソフィアにこんな冷たい声が出せたのかと、思わずキャサリンでさえ冷や汗を浮かべるほど、その声音は冷たかった。
空気が凍てつく。
ソフィアが前に出る。
「……。それは……。だから、その……」
ドリアンが後ずさる。
あからさまにソフィアの迫力に気おされていた。
か弱いただの娘だと、自分の思いどおりに動かせるはずだと思っていた小動物による、苛烈な反撃。
「ごめんなさい、キャサリン嬢」
「いいのよ。あなたは何も間違っていないのだから」
キャサリンが、ゆっくりと首を横に振った。
ソフィアが顔を上げた。
その目には、涙の代わりに静かな光があった。
「……私から、婚約破棄を申し入れます」
迷いのない一言だった。
「待て……待ってくれ」
「待つわけがないでしょう」
ソフィアが無表情にドリアンを見返す。
そんなドリアンの視界に、驚愕のものが映った。
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