12 老研究者の訪問
クラリスからの手紙が届いたのは、穏やかな午後のことだった。
「お嬢様、レーヴェル伯爵家より文が届いております」
「クラリスから?」
エマから手紙を受け取り、キャサリンは目を通す。
近況報告と、他愛ない研究の話。
そして最後に、一文だけ添えられていた。
『近く、ホーウッド教授よりご連絡が入るかと思います。どうかよろしくお願いいたします』
「……。ホーウッド教授」
その名前には、聞き覚えがあった。
先の発表会場で、エミリアの欺瞞を真っ先に見抜いた白髪の老研究者だ。クラリスが信頼して、自分の研究データを預けた相手でもある。
王立魔導研究院でも最長老格にあたる人物だった。
「どのようなご用件でしょうね?」
「さあ」
エマからの質問に、キャサリンは手紙を折り畳みながら答える。
「来てみればわかるでしょう」
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数日後、アルバート・ホーウッド教授が約束どおりキャサリンの屋敷を訪ねて来た。
白髪をきちんと整え、年季の入った上着を丁寧に着こなしている。
研究者らしい実直な佇まいの老人だった。
「突然の訪問をお許しください、キャサリン嬢」
「いいえ。クラリス嬢からも話は聞いております。どうぞ」
応接室に通し、向かい合って座る。
エマが紅茶を用意して、静かに部屋の端へと下がった。
アルバートはしばらく、カップを両手で包むようにして黙っていた。
「……」
話し出すための間を作っているのではなく、どこから話せばいいのかを迷っているようだった。
相手が相手だ。
フィリップのときとは違う。
キャサリンも急かさない。
ただ、静かに待った。
「……孫娘のことで、お力をお借りしたいのです」
やがてアルバートが、ゆっくりと口を開いた。
「孫娘?」
「ソフィアと申します。20歳になりました」
その名前を口にした瞬間だけ、老人の表情が柔らかくなった。
自分でも気がついていないのだろう。
ごく自然な変化だった。
「今年の春に婚約が整いまして……相手はドリアン子爵という方です」
「存じております。社交界での評判はよろしいようですわね」
「ええ」
アルバートが、そこで言葉を止めた。
続けようとして、止まる。
また続けようとして、さらに口が開き切らなかった。
「……。何か、ご不満が?」
さすがに不自然だ。
キャサリンが穏やかに問えば、アルバートは困り果てたように眉を寄せた。
「不満というほどのものでは……ないのかもしれません。証拠もない。ただ……」
「ただ?」
「どうにも、腑に落ちないのです」
絞り出すような一言だった。
「研究者として長く生きてまいりました。違和感というものは、たいてい何かを示しています。けれど今回ばかりは、その何かが見えなくて……」
アルバートが深いため息をついた。
要領を得ないが、深刻らしいことはキャサリンにも伝わっていた。
クラリスが自分を紹介したのも無理はないだろう。
「……。ソフィアは疑うことを知らない娘です。だれに対しても真っ直ぐで、相手の善意を信じる。それが長所でもあり……」
「心配の種でもある?」
キャサリンが言葉を引き取ると、アルバートが小さくうなずいた。
「ソフィアのそばにいるドリアン子爵を見ていると、どこかが引っかかるのです。笑っているのに、どこかその笑みが薄いような気がして……老いた祖父の見当違いであればそれでいいのです。しかし、もしも……」
言葉が途切れた。
仮定の先を口にすることが怖いのだろう。
その話を無理に言わせるほど、キャサリンは無粋ではなかった。
「教授」
キャサリンが静かに呼びかける。
アルバートは沈鬱な表情でキャサリンを見返していた。
「一つだけ、お聞かせください。もし最悪の結果が待っていたとして……それでもソフィア様に、幸せになってほしいですか?」
老人は一瞬だけ目を細めた。
そして、迷いのない声で答える。
「当然です」
キャサリンが、静かに微笑んだ。
「わかりました。お力になりましょう」
アルバートの肩から、すっと力が抜けていくのがわかった。
長く抱えてきたものを、ようやく少し降ろせたような、そんな様子だった。
「……。クラリスの言うとおりの方でしたな」
ぽつりとアルバートがつぶやく。
「なんと言っていましたの?」
「頼りになる方だと」
キャサリンは少しだけ目を細めた。
「あの子らしいですわね」
窓の外では、穏やかな風が木々を揺らしていた。
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