幕間 (前編)偽りの後援者
来客の知らせを受けたとき、キャサリンは思わず眉を上げた。
「フィリップ・エルフェルト……?」
父方の従兄弟にあたる人物だ。
公爵家の傍系にあたる家の出で、たまに社交の場で顔を合わせる程度の間柄である。
あまり親しいとは言えない。
少なくとも、突然屋敷を訪ねてくるような関係ではなし、そんなに非常識な人間でもない。
「通して」
短く答え、キャサリンは紅茶のカップをテーブルに置いた。
応接室に現れたフィリップは、キャサリンより2つほど年上の青年だった。
整った顔立ちに、どこか線の細い雰囲気。
絵を描く人間というのは、だれしもこういう幸薄そうな空気をまとうものなのかもしれない。
――ちゃんと食べているのかしら?
キャサリンはそんなことを思いながら、向かいの席に座った相手を観察した。
「久しいですわね、フィリップ様」
「ああ……まあ、そうだな」
歯切れが悪い。
目が泳いでいる。
開口一番に本題を切り出せない人間の、典型的な振る舞いだった。
「それで」
仕方ないので、キャサリンのほうが先を促してやる。
「……いや、その前に。近頃の社交界はどうだ? あなたも色々あったと聞いたが」
「フィリップ様。世間話をしにいらしたのでしたら、出直していただいてもよろしいのですよ」
穏やかに、しかしはっきりと遮った。
フィリップが、ぐっと口をつぐむ。
沈黙が数秒つづいた。
やがて、フィリップが観念したように息を吐く。
「……。……頼みたいことがある」
「伺いましょう」
重い口から絞り出された話は、こういうことだった。
グレアム・ノーウッド伯爵。
芸術のパトロンとして社交界に名の通った人物だ。
若い芸術家にも目をかけ、展覧会への出展機会と人脈を提供することで知られている。
フィリップも、その縁で作品を預けた1人だった。
「先月の展覧会で、私の絵が別人の名前で飾られていた」
静かに、しかし声の奥に怒りを滲ませながらフィリップが言った。
「抗議しようとしたところ、伯爵の取り巻きに囲まれて……証拠でもあるのかと」
「なるほど」
キャサリンは相槌を打ちながら、頭の中で情報を整理した。
「それで、私のところへ?」
「……。正直、あなたを頼るのは最後の手段だったのだが」
フィリップが、どこか悔しそうに目をそらした。
「そうでしょうね」
キャサリンはあっさりと言い返した。
傷つく様子もなく、ただ事実として受け取っている。
その反応がかえって居心地悪かったのか、フィリップが小さく咳払いをした。
「力を、貸してもらえないだろうか」
「ええ、もちろんですわ」
即答した。
フィリップが、わずかに目を見開く。
「……。……条件は?」
「特にありませんわ」
首を横に振る。
「なし?」
「ただし、1つだけ確認させてください」
キャサリンがまっすぐにフィリップを見る。
「あなたの絵は本物ですか?」
問いの意味を理解したフィリップが、今度こそ迷いのない目でキャサリンを見返した。
「当然だ」
「よろしい」
慈善事業をするつもりもないが、さすがに血縁を袖にするほどキャサリンも人でなしではない。
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「エマ」
「すでに動いております」
フィリップが帰ったあと、エマが静かに報告書を差し出した。
「……。ずいぶんと仕事が早いのね」
「来客の知らせを受けた時点で、おおよその予想がつきましたので」
さらりと言ってのけるエマに、キャサリンは苦笑しながら紙に目を通した。
内容は予想以上だった。
「被害者がこんなにいるの?」
「調べた限りでは。実際にはもっと多いかもしれません」
いずれも後ろ盾の弱い、若い芸術家ばかり。
そして一貫して、差し替えられた名義は伯爵の息のかかった人物になっている。
名声の横取りだ。
作品そのものは手元に返ってくるため、盗難とも言い切れない。
抗議しようにも証拠がなく、相手は社交界での地位がある。
泣き寝入りするしかない構造が、最初から巧妙に作られていた。
「長いことやっていたみたいね」
キャサリンが静かに眉を寄せた。
「少なくとも5年以上は続いているようです」
「そう……」
短く答えて、キャサリンが考えこむ。
――どうやって釣り上げようかしらね。
証拠がないなら、相手に作らせればいい。
そのためには、もう一度フィリップに動いてもらう必要がありそうだ。
「フィリップ様に連絡を取れる?」
「すでに文を送っております」
「……本当に早いわね、あなたは」
呆れたような、感心したような声でキャサリンが言えば、エマが静かに一礼を返した。
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翌日、再び訪ねてきたフィリップにキャサリンは単刀直入に告げた。
「もう一度、伯爵のもとへ行けますか?」
フィリップの表情が複雑に動いた。
プライドと悔しさが、表に出る前に押さえ込まれていく。
「何をするつもりだ」
「あなたの新作を、もう一度預けるのです」
「また同じことをされるだけではないのか?」
「ええ、させるのです。今度は証拠ごと」
フィリップが黙りこむ。
しばらくして、口を開いた。
「……。私の絵を道具として使うのか」
その声には、かすかな葛藤があった。
真摯に絵を描く人間として、自分の作品が罠の餌に使われること、抵抗があるのだろう。
キャサリンは否定しなかった。
「そうですわ。……嫌ならば、断ってくださって構いません」
正直に言った。
少々面倒だが、したくないのであれば代わりの方法を考えよう。
けれどフィリップは、少しの間のあと、ゆっくりと首を縦に振っていた。
「……できるさ」
「ありがとうございます」
「ただ、本当にうまくいくんだろうな?」
「あなたの絵が本物であれば」
キャサリンがさらりと言ってのける。
「それだけが、唯一の懸念点ですわ」
フィリップが何かを言いかけてやめる。
やがて、ぽつりとつぶやいた。
「わかった」
キャサリンが静かに立ち上がった。
「それじゃあ、始めましょうか。あなたの絵にちょっとした細工を施しましょう」
フィリップが目を丸くするのを横目に、キャサリンはエマへと視線を向けた。
「準備をお願い」
「かしこまりました」
エマが深く一礼する。
仕掛けは整いつつあった。
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