第18話 匂いの正体は“場所”から
朝、戸を開けた瞬間に風が変わっていた。
冷たい。乾いた。
鉱山から吹く風に、鉄の匂いが混じる。そこまではいつも通り。
けれど今日は、その奥に、甘い金属みたいな匂いが一筋だけ乗っている気がした。
レイナの声がすぐ入る。
今の時点で走ったら負け
匂いは報酬じゃなく罠
今日の目的は場所を決めるだけ
分かってる。
俺は机の上の砂時計を指で弾いた。さらさらと砂が落ち始める。
十五分。今日はそれだけ。
レイナが続ける。
今日の勝利条件
1つ、噂の熱を逃がす
2つ、点検で足場を固める
3つ、A・B・Cで一点に縫い止める
縫い止められないなら封印
ノックが鳴る。
入る!
フィンが肩で息をしながら入ってきた。
ギルド前、もう騒いでる
匂いの話が回ってる
勝手に奥へ行く奴、出るよ
レイナが即答する。
出るね
止めるより先に、行き先を作る
走る人は、仕事があると走れない
ガイルがその後ろから顔を出す。
その通りだ
走る奴の足を止めるには、手を塞げ
ミナは小さな札を三枚、机に置いた。A、B、C。文字はそれだけ。
記録、短くします
匂いの強さだけ
粉の色だけ
風が揺れたかだけ
レイナが少しだけ柔らかく言う。
ミナ、えらい
短い記録は強い
短いと迷いが入らない
最後にラルカ。珍しく朝からいる。
俺も行く
止めるのは俺の役目
お前は止められる段取りを作れ
レイナが、ラルカに向けるみたいに言う。
止め役がいるのは助かる
止める筋肉がある人が現場にいると事故率が下がる
俺は頷いて、砂時計を掌に乗せた。
じゃあ行く
ギルドの熱を逃がしてから、鉱山
十五分だけ嗅ぐ
レイナが短く返す。
うん
帰還までが検証
忘れないで
ギルド前は想像より熱かった。
目が光っている。声が尖っている。匂いの話は宝の話にすり替わりやすい。
ここで説教を始めたら逆効果。
レイナが先に言う。
言い訳を聞く時間はない
札を貼って、行動を揃える
言葉は短く
俺は依頼板に札を貼る。レイナが横で文面を削ってくるみたいに言う。
余計な説明を消して
報酬小、見張り、整理
これでいい
あと一行、参加条件を付ける
俺は書き足す。
旧鉱山 入口見張り/道具整理
報酬:小
備考:今日の検証に協力した者は、明日以降の調査に優先参加
ざわっと空気が変わる。
宝じゃなく、参加の権利。形にすると足が止まる。
ユハが柱にもたれて見ていた。
うまい
走りたいのを見張りに回せば、勝手に走れない
……文句は出るけどな
レイナが淡々と言う。
文句は出していい
足が止まるなら勝ち
走られる方が負け
俺はもう一枚、小さく札を追加する。レイナが最後に釘を刺す。
禁止も短く
破った後の処理も短く
長いと突っ込まれる
奥への勝手な侵入は禁止
破った者は、以後の依頼から外す
それだけでいい。
人は、穴を探せる文章ほど燃える。穴を無くすなら短くする。
ギルド前の熱を背中に置いたまま、鉱山へ向かう。
道すがらレイナが言う。
今の段階で噂は止まらない
止める必要もない
暴走だけ止めればいい
暴走は入口で止めた
鉱山の入口に着くと、空気が少し重くなる。
昨日整えた煙は弱く、石灰の線は細い。境界が見えると、人は余計な一歩を出しにくい。
レイナが落ち着いた声で言う。
まず点検
匂いより先
足場が不安定だと、鼻が暴走する
支柱①②③を順に見る。触らない。揺らさない。目と音だけ。
ゼフが現場にいた。木工の手で支柱を軽く叩く。響きが硬い。
まだ締まってる
湿りは増えてない
ミナが帳面に印を落とす。
①異常なし
②異常なし
③注意(湿り)悪化なし
悪化なし。それだけで胸の奥の雑音が減る。
レイナが短く褒める。
よし
行ける
でも、十五分
絶対に十五分
検証に入る前にフィンが砂時計を入口の石の上に置いた。
レイナがフィンに言う。
助かる
時間を外に置くのは強い
現場の気分に時間が負けなくなる
フィンが笑う。
呼ぶぞ
聞こえなくても鐘鳴らす
ユハが肩の力を抜く。
決めた時間で戻る
それだけ守れば、欲が暴れにくい
ラルカが先に言う。
三点だけ
これ以上は見ない
見たら帰る
レイナが即返す。
完璧
A・B・C
一点を決めるだけ
拾わない
触らない
掘らない
入口から鉄臭側の通路へ入る。
Aは入口寄り、第二支柱より手前。
嗅ぐ。
鉄の匂いが強い。甘さは混ざってるだけみたいに薄い。
レイナが冷静に言う。
Aで甘さが弱いなら
匂い源は近くない
迷いが減った
それが成果
ミナが札Aに刻む。
弱
粉なし
風一定
次、B。第一支柱付近。
壁の継ぎ目に、灰っぽい粉が薄く落ちている。黒殻虫の黒粉とは色が違う。
俺が視線でレイナに確認すると、レイナが即答する。
灰は情報
黒殻虫の黒じゃないなら、別ルート
鉱石由来の可能性が上がる
でも、まだ確定しない
嗅ぐ。
一瞬だけ、甘い金属の匂いが鼻の奥に刺さった。長く吸うと薄れる。
風が揺れた瞬間にだけ濃くなる。
ラルカが低く言う。
流れてきてる
壁の奥に道がある匂いだ
ユハが継ぎ目を見る。
亀裂……細い
ここが通り道になってる
粉が灰ってのも気になるな
レイナが、結論だけ刺す。
風揺らぎで濃くなる
通り道
匂い源は一点じゃなく、その先
次のCで固定できるかが勝負
ミナが札Bに刻む。
中(瞬間だけ強)
灰
風揺らぎ
最後、C。第二支柱の手前。
ここで終わりにする。そう決めて、一歩だけ近づく。
石灰の線は踏まない。境界を守るのは命を守るのと同じだ。
レイナが小さく言う。
一歩だけ
それ以上は要らない
欲が混ざるから
嗅ぐ。
来た。
甘い金属臭が、壁の一点から真っ直ぐ刺さる。風が揺れても消えない。
場所が動かない。
固定されている匂いは、良い兆しであるほど怖い。
レイナの声が、いつもより低い。
固定
ここ
これ以上は危険が増えるだけ
目的達成
撤収
ラルカがすぐ手を上げた。
止め
ここで終わり
これ以上は取れるものより失うものが増える
ユハも頷く。
十分だ
場所が決まったなら勝ち
戻ろう
ミナが札Cに刻む。手が迷わない。
強
灰(少)
風一定
第二支柱手前、鉄臭側の壁一点
入口の方からフィンの声が飛ぶ。
あと二分!
レイナが背中を押すみたいに言う。
今
帰還
帰還が勝利条件
俺たちは言われる前に戻る。
いい兆しほど、早めに切り上げる。これが一番難しくて、一番効く。
外の空気を吸って、頭の中の甘い匂いを追い出す。追い出してもまだ残る。
レイナが少しだけ、からかうみたいに言う。
残るのは正常
だから危ない
残ってるうちに距離を取る
今日はそれができた
ラルカが笑う。
良い匂いほど、人を引っ張る
引っ張られる前に離れたのは正解だ
ユハが短く言う。
欲に勝ったな
……次は欠片だ
でも欠片は一つでいい
拠点に戻ると、案の定ブラントが来た。速い。嗅覚が速い。
右腕殿
匂い、固定できたらしいな
買う
押さえる
今が早い
レイナが即答する。
今買わせたら燃える
燃えると鉱山が死ぬ
鉱山が死ぬと街も死ぬ
だから買えない
俺は短く、先に釘を刺す。
まだ掘らない
明日、拳サイズを一つだけ
鑑定してから
ブラントが目を細める。
買わせろ
今なら安い
レイナが淡々と、でも刺さる言い方をする。
安いは噂の値段
高いのは事故の値段
あなたは損をしたくない側でしょう
ブラントが一瞬だけ黙る。
黙ったら勝ちだ。
俺が続ける。
買えない
確定前は動かさない
確定後も独占はしない
保管は領主
鑑定はギルド
売るなら公開
お前は運搬として参加する
レイナが最後に一言だけ足す。
運搬で利益は出る
独占で燃えたら利益は消える
どっちが得か、分かるよね
ブラントは不満そうに口角を上げて、すぐ笑った。
運べるなら儲けは出る
……いい
燃えたら、俺も損だ
余計な噂は流さない
枠ができた。
レイナが小さく息を吐くみたいに言う。
よし
商会の火種は消した
次は冒険者の火種
でも入口の札が効く
今日のあなたの仕事は、もう終わり
終わりにする。余力で事故らない。
最後に日課。入口近くで一台分だけ掘る。運ぶ。戻す。
量じゃない。繋ぐだけ。繋がっていれば明日が作れる。
戻ってミナが帳面に三行だけ残す。レイナが読み上げる。
匂い:一点に固定
粉:灰(正体不明)
次:拳サイズ一つ採取、鑑定へ
レイナが静かに言う。
今日は勝ち
場所を取った
明日は欠片を取る
それ以上は取らない
あなたは守れた
俺は頷いた。
拳サイズ一つ。
結果が出てから次の形を決める。
異世界十八日目、終了。




