第6話
とりあえず1時間ほど自分のペンネームや名前なんかでいろいろと調べてみた。
結果、眼精疲労がきつくなったということ、今の技術や自分のこれからのことが見えてきた。
「……なるほどなぁ」
200年前、俺はここにきて、それを夢だと思っていたらしい。
この経験を作品や技術開発に移すためにスタートアップ企業を立ち上げ、そのうえで極めて多方面に影響を及ぼしたそうだ。
手野グループの一角、元々は手野在所新聞の連載を持っていたそうだが、そこから手野重工業、さらに手野総合研究所へと異動を繰り返したらしい。
ちなみに連載はずっと手野在所新聞でしていたのと、途中から手野新聞にももつようになり、さらに手野出版で本も何十冊と出版をしたそうだ。
ちなみに手野新聞は全国紙、手野在所新聞は手野市のみを対象にしている地方紙だ。
またさまざまな賞や栄典も受けたらしい。
特に生前にはノーベル文学賞をはじめとしてノーベル物理学賞を2度受賞したそうだ。
文化勲章、、旭日大綬章を賜り、その後に桐花大綬章、さらには大勲位菊花大綬章を受けている。
菊花大綬章の前には民間人閣僚として文部科学大臣を10年にわたり担当していたようだ。
死後、従二位大勲位菊花賞頸飾を賜り、そして今に至るとのこと。
また、自身のペンネームをもとにした文学賞も設立され、今は手野財団賞の一分野となっている。
そこまでとてつもないことになったきっかけが、今日のこれらしい。
ただ、問題が一つある。
これはおおよそ1週間程度しかない。
その間にここまでの記録を持って帰ることができたのだろうか。
本当に、全部が俺がしたことなのだろうか。




