名前のない誓い
―結婚出産義務法が支配する国で―
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【登場人物】
新海 梓:29歳、未婚の保育士。親を制度で失いながらも、信念を守る。
安堂 壮馬:31歳、元市役所職員。制度に失望し、今は「名前を捨てた者」として地下で暮らす。
白河 澪:19歳。政府推薦の結婚希望者。出産義務を“栄誉”と信じて育った。
MSS(Marriage & Social Security)AI:全国民の結婚・出産を監視する国家システム。
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【第一章】 義務のはじまり
2051年4月1日。
政府は「結婚出産義務法」を施行した。
テレビでは「愛と未来の架け橋」として法案が歓迎され、街には「あなたの愛が、この国を救う」という標語が躍っていた。
新海梓、29歳。
保育士として働きながら、ずっと結婚を避けてきた。
過去、義務婚によって壊れていった両親の姿が忘れられなかったからだ。
そして彼女にも、ついに通告が届く。
> 「あなたのマッチング候補者:白河 壮馬(元公務員・国家評価B)
交際準備期間:残り12日
拒否時、社会評価-30、住居制限措置が適用されます」
「これは結婚じゃない。命令よ」
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【第二章】 マッチングと沈黙
指定された面談日に、梓は壮馬と出会う。
だが、現れたのは「壮馬本人」ではなかった。
代理人を名乗る男が、「壮馬は登録を解除し、地下へと潜った」と告げる。
国家に反逆した者、“無届け者”。
代理人は、政府に追われながら生きる“元婚姻者たち”の居場所を密かに梓に伝えた。
> 「もし、あなたが“誰かと生きる”ではなく、“どう生きるか”を選びたいのなら──彼に会うべきです」
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【第三章】 ナンバーゼロの街
梓はすべてを捨てて、制度の網をかいくぐり、“名前を持たない者たち”の町に辿り着く。
そこでは、制度の外で暮らす人々がいた。戸籍を失い、社会から切り離された存在。
壮馬はそこで小さな農園を営んでいた。
彼は言った。
「結婚が“手続き”になった瞬間、
それはただの“国民管理”になった」
梓は言葉を返せなかった。
でも、その夜、眠れずに彼の背中を見ていた。
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【第四章】 愛なき母たち
都市ではすでに、結婚と同時に妊娠が義務付けられる「同時義務登録制度」が開始されていた。
19歳の白河澪は、制度に従い“理想の母”を目指していた。
だが妊娠が近づくにつれ、深い恐怖と孤独に飲み込まれていく。
「これって、私の子じゃない。
国家のための……“国有胎児”なんだよね?」
彼女はひとり、公的診療所のベッドの上で、涙を流した。
そしてある夜、逃げた。
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【第五章】 拒否者リスト
政府は拒否者への締め付けを強化。
全国に「未登録者情報」が公開され、協力者には報酬が支払われる。
「あなたの近所に、独身のまま出産を拒否している人はいませんか?」
報告された者は「再教育センター」へと送致される。
そこには澪の姿もあった。
梓は、壮馬とともに、澪を奪還するための行動に出る。
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【第六章】 再教育施設の光景
再教育センター。
そこでは「家族のすばらしさ」「母性の社会的価値」「結婚こそ人間の本質」と刷り込まれた教育が連日繰り返されていた。
澪は笑顔で話すようになっていた。
「私、やっぱり産むよ。これが幸せなんだって、わかったから」
けれど、目が笑っていなかった。
梓は彼女の手を取り、囁いた。
「もし、本当は嫌だったら、戻ってこなくていい。
でも、あなたの心がまだここにあるなら……私たちは一緒に行ける」
澪の瞳が、わずかに揺れた。
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【第七章】 名前のない誓い
脱出は成功した。
梓・壮馬・澪の3人は山中の“旧集落跡”に逃げ延びる。
国民番号も婚姻IDも、家族管理コードも、もうない。
あるのは、ただ“生きていたい”という感情だけだった。
ある夜、焚き火の前で、壮馬が言う。
「俺たちは結婚してない。子もいない。
でも、きっとここに“家族”がある。
誰にも登録されない、名前のない誓いが」
梓はその言葉に、初めて涙を流した。
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【終章】 未来の国で
2060年。
制度はさらに強化された。
出生登録されなかった子どもたちは、「無籍児」として教育・医療から排除される。
でも、山には笑う子どもたちがいた。
泥だらけで、裸足で、名前も知らないが、誰よりも生きていた。
「ねぇママ、パパって誰?」
そう聞いた子に、澪は答えた。
「みんなだよ。あなたを守るために、ここにいるみんな」
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「結婚」「出産」「家族」
それらが義務になったとき、人は“愛”をどう語れるのか。
この物語は、制度に奪われた心を、取り戻そうとする人々の静かな抵抗の記録です。