1 師匠の言うことは絶対
師匠が具合が悪いというので夜勤明けに見舞いに訪れた。
俺が寝室に通されると師匠はベッドに胡坐をかいて白いボウルを膝に乗せ山盛りのドーナツを両手で食っていた。
「師匠、大丈夫ですか?」
「もう長くないよ」
長くない人がドーナツをこんな風に食べるものだろうか。
師匠は大変な健啖家であらせられるから、師匠基準では食欲がない方なのかもしれない。
「カノン、もう一度言う。俺はもう長くないよ」
両手のドーナツと師匠の言動は必ずしも一致しているわけではないが、師匠が言う以上そうなのかもしれない。
この人は王国最高の魔法使いであり、史上初の大賢者候補なのだから。
「カノン、俺はもう長くないよ」
「何回言うんですか。聞こえてますよ」
「俺はもう長くない」
「気に入ってるんですね、それ」
俺がベッドの傍の椅子に腰かけると師匠は右手に持っていた苺チョコレートでコーティングされたドーナツを俺にくれたので、有り難く頬張る。
夜勤明けに沁みる味だ。
「カノン、俺は今日まで頑張って来た」
「はい。師匠は誰よりも頑張ってこられたと思います。身を粉にして王国のために尽くしてまいられました」
「弟子のお前にそう言って貰えると嬉しいよ、そうだ、俺は頑張って来たんだ」
「はい」
「カノン、俺は心残りがある」
「何でしょうか?」
「聞きたいか?」
「言いたいんじゃないですか?」
「お前が聞きたくないって言うんなら言わない」
「何ですかそれ。聞きたいですよ」
「カノン、何だと思う?」
五人の娘さんが誰一人結婚していないことだろうか。
孫の顔を見ずに亡くなることを悲しんでおられるのか?
嫌、この人は大賢者になる人物だ。
そんな普通の感覚を持ち合わせているとは思えない。
「それは魔法使いとしてですか?それとも一人間としてでしょうか?」
「お前は賢いな、流石我が愛弟子」
ということは魔法使いとしてか。
流石師匠。
まだ魔法を極めたいと、まだ強くなれる、強くなりたいと、やはり向上心の塊。
かっこいい人だ。
「カノン、俺の心残りはお前だよ」
「はい?」
「俺の心残りはお前だ、カノン」
「俺ですか?」
「お前にしかできないよ」
「俺にしか?」
「お前は天才だよ。俺を超える天才、大天才だ」
「俺はまだ何もしてませんよ」
「お前は才能がある。才能があるだけじゃない。お前には何があろうとやり遂げようとする強さがある。お前は妥協しないだろう。それが魔法使いとして一番大切なことだ」
「そうでしょうか。自分ではわかりませんが、師匠が言うならそうなんだと思います」
「そう、そこでだ。お前に頼みがある」
「俺にできることなら何でも致します」
「そうか、頼もしいな」
「師匠のためなら俺は何でもしますよ」
「そうか、じゃあお前、嫁を貰いなさい」