魔霊《まれい》
フリックとともに執務室の中へと入ると、父さんが難しい顔をして立っていた。
だけど俺たちに気づくと、何事もなかったかのように笑顔で近づいてくる。しかも両腕を広げて。
「シェリスー! パパの胸に飛びこんでおいでー!」
癒しがほしいんだと、俺へと腕を伸ばしてきた。だけどフリックがそれを阻止せんと、俺と父さんの間に割って入る。
そんな弟は耳の先まで赤くなっているようだ。俺をチラッと見ては、うっと言葉を詰まらせている。
だけどわかる。フリックが俺の手をしっかりと握って、自分以外の誰にも触らせたくないっていう意思があった。
俺は、弟の独占欲に苦笑いしてしまう。だけどそれが嬉しくて……胸の奥が熱くなっていくのがわかった。
「汚ならしい手で、兄さんに触れないでくれますか? 父上」
「私が汚いというなら、お前は泥以下だな」
「僕が泥以下なら、父上は兄さんを汚す獣ですよ?」
「お前が言うな!」
俺と父さんのツッコミが見事に重なった。
父さんは脱力し、片手でフリックを追い払うような仕草をする。だけど俺を見る目は優しくて、すごく暖かかった。
この落差は何だろうかと、内心で苦笑いしてしまう。
「それはそれとして……父上、いったい何があったんですか?」
弟からは、数秒前までのお茶らけた雰囲気が消えた。騎士として礼儀正しく立ち、父さんと目を合わせている。
父さんは頷き、慌てている人たちを見下ろした。
「実はな。彼らが商談のためにと持ってきた魔石なんだが、どうにも空っぽらしくてな」
「空っぽ?」
今度は、俺と弟の声が重なる。
「はは。本当にお前たちは、そっくりだな。……空っぽという言い方は、些か違うやもしれんが。それでも、ないということは事実だからな」
慌てている商人たちをその場に置いて、俺たちを執務室の中へと入れた。
執務室の中央にある大きなテーブルには、手のひらサイズの石が置かれている。それは緑色の石で、珍しい色だ。
俺たちは父さんに促されるまま、ソファーに腰かける。
「この魔石は、商人たちが持ちこんできたものだ。かなり珍しいという理由でな」
「確かに、色は珍しいかもだけど……父上が納得するような魔石とは思えない」
フリックは魔石に触れた。だけど魔石はうんともすんとも言わない。
「……まあ、な。リュミレール領が魔石の宝庫である以上、交渉材料として同じ魔石をというのは無理がある。というか、弱い」
父さんの言うことは、もっともだった。
魔石の生産地である以上、普通に手に入る。そんな地の人が、他の土地の魔石を欲しがるとは思えなかった。
お土産とかがいい例だろう。そこで売られている土産を、その土地の人が欲しがるかって話。答えは否だ。
「じゃあ何で、今回の商人たちはこれを交渉材料にしようとしたんだろう? 僕からすれば、たくさんあるから普通にいらないってなるし」
「ああ。普通ならば、な。だがこの魔石は、少し違う」
「違う? どういうふうに?」
フリックが尋ねると、父さんは魔石を手にした。そして弟……じゃなく、なぜか俺を見る。
「……シェリス、魔力の高いお前なら、何か感じ取れるのではないか?」
そう言って、魔石を渡された。
俺は魔石をじーと見つめる。確かに魔石だ。しかも、かなり珍しい色の。
本来魔石は、深い茜などの、赤系統の色をしていた。それは魔石が魔物の血でできているからとも言われている。本当かどうかは、知らないけどね。
「…………うーん。微かだけど、魔物とは違う魔力を感じる。本当に少なくて、気にしなきゃわからない程度って感じだけどね」
「……やはりか」
俺が魔石をテーブルの上に置けば、父さんはソファーから立った。俺達に背中を見せ、領主専用の椅子へと腰かける。机の上にある資料の束に手を伸ばし、一枚の紙を差し出した。
「この魔石に宿っていたのは、魔物の魔力ではない。魔霊と呼ばれる、精霊のような存在だ」
俺たちは父さんの机の前まで歩き、見せられた紙に目を通す。
魔霊は、魔石の上位版。魔石を作り出す魔物が、何かのはずみで精霊へと変化する。その変化した魔石を持つ者は魔霊と呼ばれ、神に近い神聖な者として崇められる。
また、魔石とは違い、石に精霊が宿り続ける。非常に珍しく、とても高価なものとされていた。
「魔石が豊富に取れるリュミレール領ですら、魔霊は滅多に見ない。だからこそ彼らはこれを材料にして、私に交渉を持ちかけてきたのだよ」
けれど彼らの思惑は、あっさりと破られてしまう。なぜなら、この魔石ならぬ魔霊には、肝心の精霊……魔霊そのものがいなくなっていたからだ。
ここへ到着した直後はいたようだけれど、いつの間にか石から抜け出してしまっていたよう。
ああ、だから商人たちはあんなに慌てていたのか。だけど裏を返せば、商人たちの道具になんかされなくてよかったって思ってしまう。
父さんと弟は、俺の気持ちを察したらしい。二人は俺の頭を撫でては「いい子だ」と、褒めてきた。
褒められて嬉しくないわけじゃないけど、この子供扱いだけは納得いかない。
俺の頬が、ぷくうーと膨らんじゃったじゃないか。
「まあまあシェリス、そう、怒るな。それよりも魔霊についてだが……」
父さんとフリックの二人が平謝りしてきた。俺からすれば、そんなことするぐらいなら始めから可愛がらなければいいのにって思う。
「この屋敷のどこかに隠れている可能性がある。お前たち、探してきてくれないか?」
父さんの提案に、俺たちは渋った。めんどくさいってのが一番だし、魔霊を道具のように扱うやつらなんざ、知ったことじゃないからな。
俺とフリックは顔を見合せ、阿吽の呼吸で立ち上がった。すると父さんは慌てた様子で「まっ、待ちなさい!」って、言ってくる。そして……
「シェリスは小遣いアップだ! それからフリックは、欲しがってた額縁を買ってやろう!」
この必死の声に、扉へと向かっていた俺たちの足は止まる。聞き耳をたて、後ろ向きで、無言でソファーに座った。
「引き受けた!」
「本当に、わかりやすいな。お前たちは!」
意気投合した俺たちの声が、父さんの目を丸くさせる。父さんの眉間にはシワがよっていて、かなりあきれているようだ。
でもそんなこと言ったって、やる気になるなにかが必要なのは確かだしね。
「あ、でもさ? その魔霊は、どんな形なの?」
「ん? ああ……形、という形はないそうだ。キラキラした粒子を纏いながら、ふわふわ浮いているそうだ」
「……へえ。なんか、不思議な生き物だな? ……ん? あれ?」
そういえば最近、それに似たような何かを見た気がする。んーと、眉根をよせて考えていると、隣に座るフリックに軽くつつかれた。
「ん? どうした?」
弟の視線と指先は、俺のポケットに向いている。
「ポケット? ここがどうし……あっ!」
そうだ。思い出した。執務室に入る前、廊下でふわふわしたやつ見たよ。ポケットに入れてた……
急いでポケットから取り出す。そこには説明どおりの、小さな何かがいた。それは俺の手を離れ、宙をふよふよと飛び回る。かと思えば俺の周りにきて、暖かい光をくれた。
「……し、シェリス? それは?」
「ん? ああ、こいつ? 廊下でバッタリ会ったんだ。何か、懐かれちゃって」
「おいおい……それが、探していた魔霊だぞ?」
「え? ふーん……そうなんだ」
「いや、そんな他人事みたいに……ああ、いや。いい」
言葉が見つからないんだろうか。まあ、気持ちは、わかるけどね。
「シェリス、一応聞くが、名前はつけているのか?」
「名前? うーん……キラキラ光ってて、星みたいだよね?」
「その様子だと、まだつけていないみたいだな? いいか! 決してつけるんじゃ……」
「あっ! スターだと在り来たりだし……んー……レイなんてどうかな?」
「つけちゃった! 名前つけちゃったよ、この子ー!」
父さん、五月蝿いな。
喜んだかと思えば、慌て出して、青ざめて……いつになく百面相になっていた。しまいには頭を抱えてしまう。
「どうしたの?」
父さんの顔をのぞきこめば、この世の終わりみたいな表情をしていた。
俺とフリックは顔を見合わせ、肩をすくませる。
「……魔霊に名前をつけたということは、お前はそれの主になった。つまり今回の交渉は、どんなにこちらが頑張っても、向こうの言いなりになるしかないということだ」
名づけをした時点で、所有権は俺に移った。もう俺以外のものが扱うことができず、魔霊そのものを買い取るしかなくなってしまう。
お父さんは背中を丸めながら、執務室を出て行った。
「……え? 俺、やっちゃいけないこと、やっちゃった?」
大変なことになったのかもしれない。考えなしの軽はずみな行動は、やっぱり控えるべきなのかもしれないって思った。
それでも、なんとなく。そう。なんとなくなんだけど、この魔霊は手放しちゃいけないって感じた。金のなる道具としか思っていない連中のそばには置いておけない。
魔霊の光を見つめながら、言葉にできない何かを感じ取ったのだった。