小さな兄
ため息ばかりが洩れる。
背中を丸めながら、俺はトボトボと廊下を歩いた。屋敷にいる兵やメイドたちの視線が痛くて痛くて……行き交う人々からは哀れみの視線を向けられている。
それもそのはずだ。俺は、男らしい格好とは無縁な姿──メイド服──を着ているから。
「……うう。泣きたい」
俺は立派な男だ。それなのに何で……
「メイド服とか、信じられないよ」
足がものすごく重たく感じる。それでも人目を避けたかった俺は、スカートの裾をむんずと掴んだ。そして勢いよく走り出す。
やがて自室に到着し、素早く扉を開けた。
ベソベソしながら、ベッドに雪崩れこむ。着ている服がシワになろうとも、そんなのお構い無しだ。だってこの服は俺のじゃないから。
「もう、やだ。毎日毎日、メイドたちの着せ替え人形みたいにされてさ。似合うとか言われてもわかんねーもん」
メイドたちに捕まった挙げ句、メイド服を着せられてしまったんだ。脱ごうとすると彼女たちは泣くから、目の前で着替えることすらできない。そして俺はというと……そんな日々に、男としてのプライドが削られていくだけだった。
娯楽の少ない屋敷の中で、彼女たちが俺を着せ替え人形にしてくる。この前なんかメイド長は「かわいらしいお顔立ちなので、ついつい女装させてしまいますわ。おほほ」なんて、言ってた。
どうやらメイドとして貴族の屋敷で働くということは、それなりにストレスが溜まるよう。泣きながらそう訴えられたんじゃあ、領主の息子として答えないわけにはいかなかった。
「……だからって、二つ返事で、着せ替え人形になるよ。なんて、言うんじゃなかったな」
メイドたちがいつも俺をかわいいといって、チヤホヤしてくる。それも納得いかない要因だ。
だけど、メイドたちのストレス発散に一役買えるなら。俺を着せ替え人形にすることで、ストレスが消えると言われてしまったから。そんなことを言われたら、この状況を受け入れるしかないんだ。
それでもやっぱり、男らしい服を着たい気持ちがあるわけで……
「もういっそのこと、魔物退治でもして、ストレス解消するか?」
ベッドに寝そべりながら、愛読書に目を通す。
だけど眩しい日差しに負けて、カーテンを閉めようとした。そのとき、庭が見えた。そこにはたくさんの馬車が停まっていて、次々と若い男女が出てくる。
「あれ? もう、新人さん迎える時期になったのか」
書物を本棚にしまい、部屋から飛び出した。廊下に出ると数人のメイドが窓拭きをし、俺の姿に気づけば会釈をしてくる。
そんなに畏まらなくてもいいのにと思いながらも、これが彼女たちの仕事だと知っている。だから敢えてそこは言わないでおいた。
廊下が終わると、階段が現れる。俺はゆっくりと降りていった。途中、庭をもう一度見つめた。
「あっ、フリックだ」
背の高い青年の姿を見つける。窓を開けて彼の名を呼べば、フリックは俺に笑顔を向けてくれた。
「おーい。フリックー! お前、何やってんの?」
「シェリス兄さんこそ、何をしているの? 今日は鍛練の日じゃなかったの?」
「もう、とっくに終わってるよー」
俺が手を振れば、フリックは返してくれる。
笑顔のまま俺は窓から離れ、急いで庭へと走っていった。
□ □ □ ■ ■ ■
玄関の扉を開ければ、庭が広がっている。俺はキョロキョロとし、弟の姿を探した。数秒後、庭の隅にあるたくさんの荷馬車を発見する。
そこにいる見知った青年、弟の姿を見つけた。
「フリックー!」
「ああ、兄さ……って、えっ!? な、何、その格好は!?」
フリックの目が大きく見開かれる。そして、一気に耳の先まで真っ赤になっていた。
俺はそれを無視し、スカートの裾を掴み、弟の方へと走っていく。本当は女装なんて、めちゃくちゃ恥ずかしい。だけど、フリックがどんな顔をするのか。
俺の中にある悪戯心が、ちょっとだけ働いてしまった。羞恥心よりも、弟の感情変化を見たい。それが俺の今の気持ちだ。
だけどそのとき──
「うわっ!?」
水を蒔いた後だったんだろう。地面がぬかるんでいて、俺は土に足をつまづかせてしまった。そして見事に、画面から地面へ転んでしまう。
近くにいた見張りの兵が慌てて近よってきた。俺を起こそうと、手を差し伸べてくれる。
「たはは」
恥ずかしさを隠しながら、その兵士の手を取ろうとした──直後、フリックが彼の肩に触れた。とてもいい笑顔を見せながら「僕が起こすから」と言う。
そんな台詞を吐くフリックの目が、笑っていないように見えるのは気のせいだろうか? それに、何か兵の肩の辺りから、ミシミシという凄い音が聞こえてくるんだけど。
同時に兵は「い、いだだだ! フリック様、いたいですって!」なんて、悲鳴すら叫んでいた。
これはちょっと、兵がかわいそうだな。そう思った俺は、少しだけ弟に悪戯をしかけることにした。わざとらしく、にやにやする。
「何だー? お前、俺の手を握れる兵に、嫉妬でもしてるのか?」
「うん。してるよ」
逆光が、ハッキリと告げた弟の表情を隠した。だけど口元だけはが見える。とても柔らかく笑っていた。
その瞬間、俺の心臓の奥が、一気に跳ねる。胸が締めつけられて、喉元まで来てたはずの言葉が出てこなくなった。
どう、答えたらいいのか迷っていると、フリックがふふっと微笑んだ。同時に、俺の白髪を指で掬っていく。だけど細すぎて、するすると指から落ちていった。
俺の髪を名残惜しそうに見つめるフリックの整った顔は、ちょっとだけ子供っぽく思える。
「ふふ。兄さん、相変わらずだね?」
「うっ……うるせぇー」
何かよくわからないままに、心臓が早く動いている。
それを隠すために、俺はぶっきらぼうに口を尖らせた。
「そ、それよりもお前、何をしてるんだ?」
まだ治まりそうにない鼓動とともに、見上げる。
そこにいる弟は笑顔を浮かべている。だけど何だろう? フリックの顔が赤い気がした。
「え? ど、どうしたんだ? お前……」
「えっ!? りょ、りょうも、ちないよ? 兄さんの、勘違いでぶぅ!」
「……いや。めちゃくちゃ、挙動不審になってるぞ?」
舌を噛むほどに動揺しているフリックの目はかなり泳いでいた。髪に隠れた耳が風の悪戯で見える。そのとき、真っ赤になっているように見えたのは気のせいだろうか。
ちょっと心配になったから、背伸びしてフリックの前髪を退かしてみた。額に手を当てて、大丈夫かと声をかける。
弟の額は一瞬で熱を帯びていった。どんどん熱くなっていっているようで、かなり心配になる。
「うっぐっ! 兄さんの天然さが怖い!」
「本当に、どうしたんだ? いつもの落ち着きは、どこいった!?」
「うっ! そ、れは……」
「こんなことで、動揺するお前じゃないだろ? 何か隠しているから、そんなふうになるんだろ? ほら。言えよ!」
「……に」
「に?」
フリックの体が震えている。
体調でも悪いのかな? 心配になったから背伸びして、フリックのおでこを触ろうとした。直後、弟に手首を掴まれてしまう。
「兄さんが……かわいい格好してるから、その……」
今にも、抱きしめてしまいたい。押し倒してしまいたい。
そんな衝動に駈られているのだと、赤裸々に言っていた。
「メイド服姿が、すごくかわいくて。小柄でかわいい兄さんに、合っているっていうか……その姿を、み、見ていると、自分の感情が、どうにかなってしまいそうなんだ」
「……んん? いやいや。俺は男だぞ? 男のメイド服なんて、気持ち悪いだけだろ? ……それにさ。俺は、男らしくありたい。見た目が子供みたいだから、無理だってわかってる。でも俺は、大人っぽくて強いお前に……その……」
憧れてもいるから。
声を小さくして話す。
どうやらフリックには聞こえていたいようで、きょとんとしながら微笑んでいるだけだった。そのことに胸を撫で下ろす。
そんな今の俺の格好は男らしさなんて微塵もない。黒いエプロンドレスや、レースのメイド服を着ているからだ。辛うじて頭だけは何もいじられてはいない。それでも俺は……この、プライドが崩れるような服装に絶望しか覚えなかった。
こんな格好の俺に、フリックはいったい何を望んでいるんだろう?
「あ、そういえば……」
ふと、大きな庭のど真ん中にたくさんの馬車が置かれているのが視界に入る。馬たちは暇そうにしながら、ただジッと待っているようだった。
「この馬車たちは、いつまでいるんだ?」
馬が気になった俺は懐から人参を取り出す。そっと馬の口元へと近づけてやれば、彼らはバリバリムシャムシャと食べてくれた。
そんな俺を、背後からフリックがギュッと抱きしめてくる。
「はぁー、兄さんは小さくてかわいいね」
「あのなぁ。俺はお前の兄なんだぞ!? その兄に対してかわいいって……」
言い返しながら、弟の腕の中でジタバタした。だけど強く抱きしめられているからか、ビクともしない。
フリックの香り……だろうか? 大人っぽい香水の匂いが、俺の心をドキッとさせる。心地よい香りだ。
「あー、もう! わかったから、離せって!」
「ふふ。……本当はね? 兄さんのこの姿、誰にも見せたくなんだ。だってすごくきれいだし、僕以外の誰の目にとまるのが……許せないんだ」
僕だけの兄さんなのに。
口を尖らせながら、青い瞳を細めた。
俺とフリックは二卵性双生児……いわば、双子だ。だけど、まったく似ていない。
フリックは俺の双子の弟だ。
さらさらな黒髪は首あたりで切り揃えられている。凪の眉、切れ長の黒い瞳、高い鼻。目鼻立ちはとても整っていて、大人っぽい。
身長百八十センチで、肩幅は広かった。鍛え上げられた筋肉のおかげか、とても逞しい体つきをしている。
その肉体を隠すのが雲のような刺繍がされている、青い燕尾服だ。下に着ている黒い服と相まって、かなりかっこいい。
そんな王子様然とした姿の弟は、兄の俺から見てもイケメンとしか思えなかった。
片や俺は、フリックとは正反対のちんちくりんだった。
立派な黒髪なんてありはしない。俺の髪は老人のように白かった。俺自身、腰まで伸ばした白髪を嫌というほど嫌っている。
女の子みたいに大きな目は赤く、血の色だ。
弟や両親は俺を美少年だって言ってるけど、そんなの嘘なんだろう。
そんな俺は高身長の弟に対し、一五二センチという低さ。筋肉もなく、かなり細くて……子供っぽい、幼い顔立ちだった。
「お前はいいよな。背も高くて、大人っぽく見られてさ。俺なんて、十八歳のはずなのに、十二歳とかに見られちゃうんだぜ?」
「……」
「別に、卑屈になりたいわけじゃないけど……それを抜きにしても、何で……」
ヤバい。体が震える。駄目だ。泣いちゃ駄目だ。こんなことで泣いたらフリックが困ってしまう。
「何でいつも、メイドたちの、着せかえ人形にならなきゃいけないんだよー!」
俺の声は庭いっぱいに轟いた。馬はビックリした様子で両目をまん丸にしている。庭にいる兵士たちやメイドも、俺たちを見ていた。
「それは兄さんが、女装の似合う素敵な男だからじゃない?」
「……その理屈は、明らかにおかしいぞ?」
「そう? あ、女装で思い出したんだけど。兄さんにメイド服を勧めた、メイド長なんだけどね? 実はあの人……」
「…………え?」
ザアーと、俺たちの会話に混ざるのは、風に遊ばれる木々。そして……
思いもよらない真実だった。