自分のために我儘を
「アスノト……」
「父上、母上、俺の気持ちは変わらない。俺は彼女を婚約者にする。今は無理でも必ず、皆が納得する理由を作ります」
彼は決意を胸に、両親に向かって宣言する。
真剣な表情で。
どうしてそこまで、私なんかに拘るのだろうか。
どうしてそこまで、私に本気になれるのだろうか。
私にはわからなかった。
「気持ちはわかる。だが理由もなく、彼女を滞在させることはできない」
「ならばその理由を考えればいい。ないなら作ればいい」
「アスノト……」
「方法は……ある。だがこの方法には……」
アスノトは私を見つめている。
私は彼の考えを悟る。
騎士王様としては、あまり気乗りしない方法だろう。
私を傷つけてしまうと考えているかもしれない。
だから必死に考えている。
他にもっといい方法がないかと。
「ふふっ、頑固なところはあなたにそっくりね」
「笑い事では……」
「ふふっ」
私は思わず笑ってしまった。
まるで子供みたいに我儘を口にして、父親に呆れられている。
そんな光景を見せられたら、なんだかおかしくて、笑わずにはいられなかった。
アスノトが私のほうを見る。
「イレイナ、笑っていないで君も考えてくれ。君だって、あそこに戻りたいわけじゃないだろう?」
「――そうね。戻りたくはないわ」
あそこはもう、私の家じゃない。
ただの地獄になった。
今戻れば、更なる地獄が待っている。
願わくばこのまま……。
「でしたら、旦那様、奥様、私を侍女として雇ってはくださいませんか?」
「――! 侍女?」
「メイドさんとしてイレイナさんを?」
「はい」
驚く二人に私は頷く。
来客ではなく、この屋敷で働く人間の一人としてなら、共に暮らしても不自然じゃない。
いいや、不自然ではある。
貴族の令嬢が、他の貴族の家で侍女として働く……そんな前例はない。
だからきっと皆が疑問に思うだろう。
それなら隠せばいい。
私がこの屋敷で働いていることを。
「私はルストロール家でも侍女として振る舞っていました。ですから侍女として働くために必要な教育は受けています」
「なぜ自分の家で侍女に?」
「それは――」
二人は事情を知らなかった。
アスノトから聞いていなかったようだ。
私のことを気遣って話さなかったのかもしれないけど、こうなったら話したほうが都合がいい。
私は語る。
ルストロール家で私がどんな扱いを受けて来たのか。
「そんなことが……」
「酷いわ。仮にも自分の娘にそんな扱いをするなんて……よく耐えていたわね」
「はい」
この二人は善人だ。
私の話を聞いて、怒りと憐れみを感じている。
低能だと嘲笑うのではなく、私のことを気遣おうとしているのがわかった。
「この事実は今この場にいる皆様と、ルストロール家の人間しか知りません。お父様はこれを隠しています」
「隠す理由は聞くまでもない。それはただの虐待だ。どんな理由があれ、我が子にしていいことではない」
当主様は怒りを露にする。
善人というよりもお人好しなのかもしれない。
他人のことで本気で怒れる人は稀だ。
アスノトがそうだったように、この二人も……。
「だが、わかっているのか? 貴族の令嬢を侍女として雇うことはできない。我々に雇われるということは、君はルストロール家を――」
私は一応、まだルストロール家の令嬢だ。
今の地位で、侍女として雇われることはできない。
というより、ありえない。
その問題を解消するために、私がまずすべきことは一つ。
「私はルストロールの名を捨てます」
「――! イレイナ、それは……」
「構いません。元々あってないような名です。失ったところで何も感じません」
「イレイナ、本当にいいのか。もっと考えれば他の方法があるかもしれない」
「いいのよ。これでいい」
アスノトと視線が合う。
彼は申し訳なさそうに私を見つめる。
見切り発車してしまったことに責任を感じているのだろうか?
それなら気にしなくていい。
私も思っていた。
早く追い出してくれないかと。
私は前世で地獄を見てきた。
だから多少の辛い出来事も耐えられたし、これ以上に酷い未来を知っているから、今ある安定を手放せずにいた。
そうやって、結局あの家に残っていた私だけど、彼のおかげでキッカケができた。
「その代わり、ちゃんと責任はとってもらうわよ」
「ああ、もちろんだ。君の安全は俺が保証する。君の未来も、幸せも、俺が守ろう」
彼は右手の拳を自分の胸に当て、真剣な眼差しを向けてそう宣言する。
左手は腰の剣に触れていた。
騎士として剣に、男として胸に誓う、という姿勢の現れだ。
「わかった。この件は私からルストロール公爵に伝えよう。君がここで暮らせるように手配する」
「ありがとうございます」
「礼は不要だ。今の話を知って、君をあの家に戻そうなどとは誰も思わない。今まで気づきもせずにすまなかった」
「――! おやめください旦那様、旦那様が謝罪するようなことでは」
意味がわからない。
彼には無関係な事情だ。
どうしてそんなにも申し訳なさそうに、私に頭を下げているの?
「私は騎士だ。騎士には国民を守る義務がある。守るというのは賊や魔物からだけではない。皆の生活を脅かす全ての悪からだ。君が抱える問題は、我々騎士が改善すべきことの一つ。そうだろう? アスノト」
「はい! 父上のおっしゃる通りです」
「うむ、私とて見過ごせない。君が望むのなら、この先もここにいるといい。君の安全は我々グレーセル家が守ろう」
「――ありがとうございます」
厳しそうな見た目をしているけど、当主様は誰より優しい心を持っている。
奥様もそうだ。
一度も私の境遇を笑わない。
この二人の下に生まれ、育てられたからこそ……。
「なんとかなったみたいだな」
「……そうね」
愚かしいほどまっすぐで、嘘が似合わない男に成長したのだろう。
つくづくお人好しな一家だ。
結果的だけど、案外悪くないかもしれない。
この屋敷での生活は、私に幸せを運んできてくれる。
そんな予感がする。
ただ一つ……。
「もう少し、計画性を身に着けたほうがいいわね」
「ははっ、そういうのは昔から苦手なんだ。考えるより先に身体が動いてしまう。よく同僚からも注意されるよ」
◇◇◇
翌日の朝。
私はいつもの時間に目覚め、着替える。
着慣れた侍女の服に。
そして身支度を済ませて、隣の部屋の扉をノックする。
中から許可を貰い、扉を開けた。
「おはようございます。アスノト様」
「――ああ、おはよう。イレイナ」
私は今日からこの屋敷で暮す。
侍女として。
「本当によかったのかい?」
「何がですか?」
「父上からルストロール家には一報を入れた。これで君はあの屋敷に戻る必要がなくなった」
「はい。感謝しています」
「……父上も言っていたが、別に侍女として働く必要はないんだぞ?」
ルストロール家が私にしていた仕打ち。
それを知った当主の旦那様は怒り、私のお父様に忠告した。
もしもこの事実が明るみになれば、確実にお父様は非難される。
理由はどうあれ、していることは虐待に近いのだから。
だからこそ、お父様は家の外では私にドレスを着せて、令嬢として扱っている風を装っていた。
表向きには私が自分の意志でルストロール家を出奔となっている。
そんな私をグレーセル家が不憫に思い、侍女として雇った。
そういう筋書きになるように、私から当主様にお願いしてある。
この方法なら、私が侍女として働く理由も、グレーセル家が私を雇う理由も成立する。
不憫な私を放っておけずに手を差し伸べた優しい騎士という構図は、むしろグレーセル家やアスノトにとってはプラスの印象に働くだろう。
ただ、他にも方法はあった。
それは一種の脅しだ。
問題を明るみにされたくなければ、私がグレーセル家に滞在することを黙認しろ、と。
そしてその事実を、誰にも口外するなという。
「君が侍女として働かずとも、この屋敷を出て行く理由はなくなったんだ」
「わかっているわ」
「だったら」
「いいのよ。お世話になるのに、何もしないのは性に合わないの。それに……案外気に入っているのよ。侍女としての仕事も」
ずっとこの服装で働いてきたからだろうか。
どんなドレスを着るよりも落ち着くし、しっくりくる。
前世からじっとしていられない性格だったのもある。
私はとにかく、何かしていたい。
「それに感謝もしているわ。あのまま戻されていたら……きっと地獄が待っていたもの」
「俺は何もできていない。提案したのは君だ」
「その気にさせたのはあなたよ」
「そうか? なら、少しは意味もあったか……情けないがな」
彼はいつになく申し訳なさそうに、落ち込んだ様子を見せる。
本当はもっと格好つけたかったのだろうか。
上手くできなくて落ち込むのも、なんだか子供っぽい。
「情けなくなんてなかったわ」
「え?」
「なんでもないわ。さぁ早く着替えてください。アスノト様」
「……そうだね」
侍女として着替えを用意する。
主の着替えをサポートするのも仕事の一つ。
男女で差はない。
主が男であれ女であれ、私は変わらず接するだけだ。
「悪くないな。君が侍女というのも」
「婚約者にするより、侍女として雇っていただけたほうが現実的ですよ」
「いいや、俺の意思は変わらないよ。俺は君と婚約する。そのための理由をこれから作っていけばいい。君も一緒に考えてほしいな」
「――ふっ、難しいことは私にはわかりません。私はただの、侍女ですので」