婚約します
「なぜここにいらっしゃるのですか?」
「えっと、実はルストロール公爵に招待されていたんだけど」
「お父様に?」
「そう。で、遥々王都から来たんだけど、道に迷ってしまって……気が付いたらここにいたんだ」
そう言ってニコリと微笑む。
一体何を言っているんだこの人は……。
吐くならもう少しまともな嘘を、と思ったところで表情から察する。
本当に迷ったらしいことを。
「自分が方向音痴なことを忘れていたよ。最近は誰か常に一緒だったし、一人で行動する機会はなかったからね」
「……」
「ところで、俺からも質問していいかな?」
「……」
状況を頭の中で整理する。
最悪の現場を見られてしまったという事実は、拭えない。
彼はさわやかな笑顔を見せて言う。
「君はどうして、侍女の格好をしているのかな?」
質問していいとは答えていないのに、彼は平然と問いかける。
わかりきった質問を。
私は黙秘する。
すると彼は構わず続ける。
「ここはルストロール家で、君は令嬢だろう? そんな君がどうして侍女らしく、庭の掃除なんてしているのかな?」
「……好きなんです。掃除が」
「へぇ、それはいい心がけだね。でも服装まで合わせなくてよかったんじゃないかな? しかもその服、結構長く着ているだろう? しわの感じでわかるよ」
「……」
この男、よく見ている。
適当な言い訳は通じないぞと、忠告されている気分だ。
バレてはいけない人物に見られてしまった。
けど、問題ない。
見られたのなら記憶を消せばいいだけだ。
「申し訳ありませんが――」
「無駄だよ」
「――!」
私は魔法を発動しようとした。
腕は多少鈍っても、最近の魔法使いには負けないと自負している。
魔法を使ったことさえ気取られず、彼の記憶を塗り替えようとした。
しかし、弾かれた。
私の魔法は、見えない何かに遮断された。
「俺に干渉系の魔法は通じないよ」
「……」
稀にいる特異体質。
あらゆる魔法効果を無効化する特性を持った肉体。
この男には、記憶操作が通じない。
「驚いたのは侍女の格好をしている以上に、君の魔法だよ。さっきの、魔法陣も見せず、詠唱もかなり省略されていたね。それなのにあの威力、しかも隠していたみたいだけど、凄い魔力量だ」
「……見間違いではありませんか?」
「ははっ、ここまでハッキリ見て誤魔化せないよ」
「……はぁ、そうみたいね」
もう諦めるしかない。
この男に見られたという事実はどう足掻いても変えられないらしい。
魔法が体質に弾かれる時点で手詰まりだ。
相手が盗賊とかなら退治して終了だけど、名だたる騎士王様が相手じゃ下手なことはできない。
「いやー、凄いね君。間違いなく俺が知っている魔法使いの中では一番の腕だよ。ルストワール公爵もさぞ鼻が高い……ってわけじゃなさそうだね」
「……」
「よかったら話してもらえないかな?」
「話せばこのこと、黙っていてもらえるのかしら?」
「さぁね? それは内容と、俺の気分次第かな」
「……はぁ」
本当に面倒な相手に関わってしまった。
あのパーティーに参加したことを心から後悔する。
そして仕方なく、私は白状した。
この屋敷でどういう立場にいるのかを。
「なるほど、複雑な家庭環境だね。でもわからないな。それだけの力があれば、生まれなんて関係ない。なのにどうして隠しているんだい?」
「私がほしいのは平穏な生活なのよ。地位や名誉に興味はない。そんなものに振り回されたくないだけよ」
「それは俺も同感だね」
「騎士王様がよく言うわね」
「ははっ、君こそ俺を相手にその太々しさは清々しいな」
別に、もうどうにでもなれと思っているだけだ。
この男はたぶん、私が下手に出たところで態度を変えない。
太々しいのは騎士王様のほうだ。
私はほとんど諦めていた。
これで平穏な生活ともお別れになる。
そう思うとどっと疲れて、演技なんてできそうにない。
「――いいな、ますます気に入った」
「え?」
「君、俺の婚約者にならないか?」
「……は?」
この男は急に何を言い出すのだろう。
私は耳を疑った。
「話を聞いていなかったの? 私はこの家で家族として扱われていないわ。そんな私と婚約して何かメリットがあると思う?」
「メリットなんて考えていないよ。俺はただ、君が気に入っただけだ」
「……意味がわからないわね。魔法使いなら他にもいるでしょう?」
「そうかもな。でも、俺は別に君の魔法がほしくて言っているんじゃないぞ」
「どうだか――!」
彼は唐突に私の手を握り、自分の胸まで引き寄せる。
私が対応できないほど素早く、けれど優しく抱き寄せられた。
ほのかに、甘い香りがする。
「初めて見た時から、その眼が気になった」
「眼?」
「どこか遠いところを見ているような眼。見ていると吸い込まれる不思議な魅力が君にはある。それに俺を相手に、こんなにも堂々としていたのは君が初めてだよ」
「……」
諦めた態度が裏目に出た。
なぜか不遜な態度を気に入られてしまったらしい。
これはよくない。
非常によくない流れな気がする。
「俺は君みたいな女性に隣に立ってほしい。強く、凛々しく、頼りになる。それでいて美しい女性がいいと常々思っていたんだ」
「……それなら、私より姉のほうが適任よ」
「うーん、彼女は自分に酔っている感じがするからね。自分で自分を過大評価しすぎている。そういう女性はどうにも好まないんだ」
「……よく見ているのね」
たかが一度顔を合わせただけで、ストーナお姉様の内面を見事に当てている。
強くて特異な体質だけじゃない。
この男は、いろいろと普通の男とは違うらしい。
よくない流れ……なんて、もう手遅れだ。
「俺は君がいいんだ。ぜひ婚約しよう」
「……断ったら?」
「そうだね。残念だけど君の将来を想って、君のすばらしさをみんなに伝えて聞かせるかな?」
「――いい性格しているわね」
「褒めてくれてありがとう」
とんだ誤算だ。
騎士王様がこんなにも性格が悪いなんて。
「まさかと思うけど、さっきの魔物もあなたの仕業?」
「いやいや、気の置けない相手を危険にさらすわけないだろう? ただ……俺に怯えた魔物が、一目散に逃げだすことはあったかも、しれないけどね」
「……」
この男、最初の直感通りだ。
危険すぎる。
危ないくらいに策士で、性格が悪い。
清々しい笑顔も胡散臭く見えてくるほどに。
「俺のところにおいで。そうすれば、君に不自由はさせない。平穏な生活がお望みなら、俺が全身全霊をもって守ってみせよう」
「そこまでするほど?」
「ああ、そこまでするほどの価値があると思っている。曰く、俺の魂が言っている。この出会いは運命だと」
「運命……ねぇ」
確かにそうなのかもしれない。
だとしたら、この世界の神様は意地悪だ。
「いいわよ。婚約してあげる」
こうなったら私も腹を括るしかない。
普通に生きて普通に死ぬ。
まだ、この夢をあきらめるには早すぎる。
「ただし、ちゃんと私の生活は保障して。面倒な権力争いとか、危険な策略に巻き込まないで」
「いいとも。でもすぐには無理だよ。俺にも立場がある。この地位でやれることを全て終わらせて、何もかも自由になったら、一緒に田舎でゆっくり暮らそうじゃないか」
「――できるのね?」
「ああ。実は俺も夢だったんだ。争いもなく、縛られることもなく、ただゆったりと老いていくことが……ね」
そう言いながら彼は寂しそうな眼を見せる。
その眼が、表情が、かつての自分と重なって見えた。
やはり、これは運命なのかもしれない。
「じゃあさっそく報告しに行こうか。君の家族に」
「……後が怖いわね」
「心配ないさ。むしろどんな顔をするか楽しみじゃないのかな?」
「……少しね」
私は笑う。
いろいろと我慢していたことも多い。
それが意図せず吹っ切れて、今はほんの少しだけ、身体が軽い。
「でも、約束を違えたら逃げるわよ」
「その時は追いかけるよ。地の果てまでだってね」
「……怖い男ね」
「それだけ離したくないんだよ。君を」
こうして私は、公爵騎士様の婚約者となる。
二度目の生はどうか、安らかに過ごせますように。