初めてをあなたに
私は彼に抱き寄せられる。
ナイフは私ではなくアスノト様の頬をかすり、たらーんと血が流れていた。
「無事だな?」
「アスノト様、どうしてこちらに?」
「……調査結果が出たんだ。反王族勢力に加担しているのは、一般人だけではなかった。貴族の中に、彼らを支援し手引きした者たちがいた」
それは予想通りのことだろう。
アスノトだって気づいていたはずだ。
しかし彼は思った以上に真剣に、険しい表情で続ける。
「その家柄の中に……聞き慣れた名があった」
「……! まさか……」
「そうだ」
私たちはほぼ同時に、彼女に視線を向けた。
呼吸を荒げ、怒りに満ちた表情でナイフを握る私の――
「お姉様?」
「そう。ルストロール家の名も含まれている」
私は驚き唖然とする。
予想外だ。
私が生まれ、この年まで育った環境が、まさか王族に反旗を翻していたなんて。
まったく気が付かなかった。
そんな素振りは一切見せていなかった。
一体いつから?
私が気づかぬうちに反王族勢力と接触していた?
それとも……最初から?
「調査結果が出てすぐに走ったよ。もしも予想通りなら君が危ないと思ったからね」
「……私が、そうだとは思わなかったのですか?」
「思うわけないだろ? 君は暗殺者に襲われ、王子も救った。その事実だけでも彼らとの繋がりを否定する。それに……信じているからな、君のことを」
「――アスノト様」
綺麗な瞳で私を見つめる。
この眼は本当に、私のことを心から信じている眼だ。
清々しいほどに、一切の疑いを持たない。
だからこそ、彼は急いで駆け付けてくれた。
私の窮地に、颯爽と。
まるで物語に登場する英雄のように。
「運がよかったわね、イレイナ。アスノト様が助けてくれるなんて」
「……お姉様」
「アスノト様も物好きな人ですね。そんな出来損ないで嘘つきな女を助けるなんて。侍女より奴隷にしたほうがよっぽどお似合いですわ」
「……イレイナ、彼女はもしかして……」
「はい」
アスノトも気づいたようだ。
お姉様は焦点が合っていない。
私たちに向けて話しているのに、こちらを見ていない。
常に見せている笑顔も、どこか狂気に満ちている。
違和感はあった。
今、それが確信へと変わる。
「洗脳を受けています。おそらく魔法による……しかも、本人が気づかないように」
「やはりか。ということは彼女は無関係ということか」
「――それでも」
「せっかくだわ! アスノト様の前であなたを殺してあげる。そうすればわかってもらえるはずよ。私のほうが優れている。美しさも、実力も、才能も! そうよ! 私は、私は!」
お姉様は再びナイフを振り回し、私に襲い掛かってくる。
アスノトが止めようと動く。
それを引き留め、私が前に出る。
「イレイナ?」
「これは私がすべきことです」
「死んでくれる? 私のために!」
「――眠りなさい」
お姉様の動きがピタリと止まる。
まるで時間が静止したように、瞳が閉じ、ふらつきながら倒れ込む。
「洗脳されたことも含めて、自分の弱さです。お姉様、あなたは他人に刃を向けた。その罪はこれから、ゆっくり時間をかけて償ってください」
眠る彼女に向けて言い放つ。
聞こえてはいない。
洗脳もついでに解除したから、目覚めたら何も覚えていないかもしれない。
それでも、彼女の言動や行動には、彼女自身の意思を感じた。
単純な洗脳ではなく、彼女の中にある私に対する悪感情を利用されたのだろう。
だから、彼女も悪いんだ。
ただ、少し同情する。
人を育てるのは環境だと思っているから。
「お互いに、運がなかったわね。お姉様」
生まれる場所が違えば、もっと違った関係になれていたかもしれない。
それでも後悔はない。
「イレイナ」
「どうして、剣を抜かなかったのですか? 抜けばもっと簡単に制圧できていたのに」
「あのタイミングで剣を抜けば、どちらかを傷つけていた」
「甘いお方ですね」
「君だって躊躇していたじゃないか。彼女を傷つけることに」
「……」
私は目を逸らす。
言われている。
私も……つくづく甘くなった。
昔の私ならきっと躊躇わなかったのに。
「誰かの甘さが移ったわね」
「何か言ったか?」
「なんでもありません。助けてくださってありがとうございます」
「気にするな。君を守るのは当然のことだ」
彼はさわやかな笑顔を見せる。
その笑顔に安心する。
「さて、急いできてしまったからな。すぐに騎士団隊舎に戻らないといけない。これから本格的に潜入捜査を開始する。俺も指揮を……っ」
「アスノト様!?」
彼がふらつき、片膝をつく。
私はすぐに駆け寄る。
身体に触れた途端に気付いた。
「この高熱は……」
触れただけでわかるほど発熱している。
額からはよくない汗を流していた。
顔色も優れない。
頬の傷に視線が行く。
「まさか――」
私はお姉様が持っていたナイフを探し、その刃をよく観察した。
間違いない、毒だ。
刃に毒が塗布されている。
しかもただの毒じゃない。
魔法によって呪いの効果を付与された強力な毒。
「どうして毒が? アスノト様の身体は魔法を……!」
そうか。
特異体質の人間は、外からの魔法を全て拒絶する。
しかし、内部は別だ。
身体の内部に直接、魔法の力を流し込めば、特異体質の人間にも魔法は効く。
ナイフに付与された毒は、本物の毒と呪いの混合物。
毒として切り傷から体内に侵入し、内部で呪いが拡散してしまった。
どうする?
普通の毒じゃない以上、解毒薬では意味がない。
かといって魔法による解呪は、彼の体質が影響して届かない。
これでは何も……。
「大丈夫、少しふらついただけだよ」
「動いてはいけません。毒の回りが早くなります」
「それも含めて平気だ。俺の身体は丈夫でね? 毒にも慣らされているから、このくらいの毒なら……時間をかければ解毒できる」
「本当なのですか?」
「ああ、感覚でわかるんだ。一日……いや、二日あれば」
嘘を言っている感じはしない。
確かに、刃が身体に触れた時に、呪いの効果の一部は拒絶されている。
いかに切り傷を利用しようと、本来ほどの効果は発揮されない。
彼の言う通り、死ぬことはない……のかもしれない。
だから大丈夫?
「はぁ……情けないな。この程度でへばっているようじゃ皆に笑われてしまう」
「どこが情けないのですか?」
「イレイナ?」
「私を守って、お姉様すら傷つけずに守ろうとして、そんな甘くて、優しい人が情けないなんて誰も思いません」
違う。
死なないから大丈夫だなんて、私は思わない。
どうせ治るから?
その間、彼はずっと苦しみ続けることになる。
私はよく知っている。
死に向かっていく苦しさも、寂しさも。
「私が解毒します」
「無理だ。これはただの毒じゃない。魔法が関わっている。解毒するには薬ではできない。だが俺の身体に魔法は――」
「ご心配には及びません。方法はすでにあります」
私は彼の頬に触れる。
片膝をついてくれているから、いい感じに視線が合う。
「何を……」
「私も初めてなので、できれば目を瞑っていてほしいです」
「イレイナ?」
「あなたに、何かあっては困りますから」
言い訳のような言葉を吐いた口で、彼の唇を奪う。
屈強な男性でも、唇は柔らかい。
温かくて、優しい。
特異体質に魔法は通じない。
ただし、内部に直接流し込むことで、その効果を発揮させることはできる。
ナイフに付与された呪いが通じたように。
同じように、治癒と解呪の魔法を口から内部へ流し込んだ。
唇が離れる。
時間にして数秒、とても短いキスだった。
「身体が……」
「これで、毒と呪いは解消されたはずです」
「イレイナ」
「申し訳ありません。侍女として主を守るためとはいえ、出過ぎた真似をしてしまいました」
私は逃げるように一歩下がろうとした。
そんな私の手を握り、近くに引き寄せて彼は言う。
「初めて、だったのか?」
「……はい」
「俺もだ。誰かと唇を合わせるなんて……ずっと先のことだと思っていたよ」
「私もです」
永遠にそんな日は来ないと思っていた。
誰かと心を、身体と通じ合わせる。
触れる面積はごく僅かなのに、まるで全身を抱きしめられたように温かくて、今もまだ、感触は残っている。
こんなにも……胸が苦しくなるのか。
口移しで毒が移ったかな?
なんて、恥ずかしさを誤魔化すように考える。
「ありがとう。俺を助けてくれて」
「侍女として、当然のことをしたまでです」
「……侍女として、か。本当に……それだけか?」
「……」
アスノトが私を見つめる。
真剣に、まっすぐに、彼の瞳は私の心の奥底に眠る気持ちを引っ張り出そうとしていた。
私は堪える。
恥ずかしさと、この気持ちを。
「急いで戻られなくてよろしいのですか?」
「……そうだな。この話はまた今度、全てが終わってからにしよう」
「はい。私も協力させていただきます」
「ああ」
今はまだ、恥ずかしくて素直に言葉にできない。
もう少し時間がほしかった。
自分の気持ちの整理をする時間が。
それに、私の気持ちを整えるより先に、解決すべき問題はある。
お姉様を洗脳し、私を殺そうと仕向けたのは――
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次回、本編最終話!!






