休日を一緒に
「休日……ですか?」
私は目を丸くして驚いた。
そんな反応をした私を見て、アスノトはもっと驚いていた。
「どうしてそんなに驚くんだ? 休日くらい普通のことだろう?」
「……」
「まさか、あっちではなかったのか?」
「……はい」
休日などなかった。
ルストロール家で侍女として振る舞っていた頃は、屋敷では侍女として、外では令嬢として過ごす。
そもそも侍女と言っても正式に働いていたわけではなく、お父様からそうするように命じられていただけだ。
お給料だって貰っていない。
それをアスノトに伝えると、今までで一番大きなため息をこぼした。
「はぁ……よくそれで耐えていたな。諦め癖があると以前に指摘したけど、我慢強さも普通じゃないよ」
「衣食住が提供されていただけで十分だと思っていました」
「十分なわけがあるものか。どんな形であれ、働く者に相応の対価を与えないのは罪だ。というより実の娘にそれをやっているんだから、やはり虐待だよ」
「……そうですね」
言われてみればその通りで、反論のしようもない。
お父様のことを悪く言われて、それに反論しないのも悪い娘だろうか。
なんて、これっぽっちも思わないけど。
少しだけ、彼が呆れ、怒ってくれていることが嬉しいと感じる。
「そもそも私はここへ来たばかりです。休日などもったいなく思います」
「ダメだ。今まではそうだったかもしれないが、このグレーセル家では違う。君は侍女として働く以前に、一人の人間だ。労働には報酬と休みを提供する。よって今日も休みだ」
「いきなりですね……」
「今決めたからな」
今日は休日の間隔について話をしていただけだ。
一週間に二日間用意され、連続がいいか、それとも別々がいいか。
私の希望に合わせて休日を用意してくれるらしい。
それを聞いた私は驚いて、現在の話の流れに至ったわけなんだけど……。
なぜか最初の休日が今日になった。
「心配するな。今日の分は月の休日数には換算しない。あくまで俺が勝手に決めたことだからな」
「いえ、そこまでしてくださらなくても」
「いいから休め。さっきまでの話が本当なら、君は今日まで一度もまともな休みを過ごしていないんじゃないのか?」
「……」
無言で返す。
彼は呆れてため息をこぼす。
「その反応は図星だね。働き者も困ったものだな」
「……そういうあなただって、毎日欠かさず特訓して、休んでいるようには見えないわね」
自分のことを棚上げして私にばかり忠告する姿に、ちょっとイラっとした私は反論する。
だけど彼は首を横に振って答える。
「訓練は日課で仕事じゃない。俺はちゃんと休日は設けているよ? この仕事は身体が資本だからね。体調を崩したり、疲労を溜め込んだまま戦場に赴くのは命取りだ。休日をとることも仕事のうちだと思っている」
「……」
「反論はもうないかな?」
「……はい」
完全に言い負かされてしまった。
前世も含めたら、彼の倍は長生きしている私が、言葉で負けるなんて思わなくて普通に悔しい。
「わかったら今日は休むんだな」
「……そう言われましても、何をすればいいのでしょう」
「え、休日なんだ。好きなことをすればいい」
「好きなこと……」
私は考える。
好きなことって……なんだろう?
考えても浮かばなくて、悶々と悩む私を見てアスノトが言う。
「まさか想像できないのか? 自分の休日だぞ」
「……正直言うと、どうすればいいのかわかりません」
思い返せば私は、これまでの人生で真っ当な休日を過ごしていない。
今世に限った話でもなく、前世でもだ。
女王になった私は毎日何かの職務に追われていた。
休める時間なんてなかった。
生まれ変わっても同じように、毎日毎日何かに勤しんでいる姿しか思い出せない。
自分でも驚いてしまうほど、私は休日というものを知らなかった。
「わかった。そういうことなら俺が教えよう」
「え?」
「休日の過ごし方だ。俺も今日は休みにする。騎士団にはそう伝えておこう」
「そんなこと許されるのですか?」
「許されるよ。俺は騎士王、それなりに貢献している。多少の我儘も通るし、何より君のためだからね」
彼はニコリと微笑む。
なぜかすでに楽しそうに見える。
「さぁ、そうと決まれば出かけるよ。君も着替えるといい。その服装じゃ目立つからね」
「どこに行くのですか?」
「街のほうだよ。さぁ早く、せっかくの休日なんだ。楽しもうじゃないか」
アスノトはちょっぴり興奮気味に私の背中を押す。
よくわからないけど、暇な時間を過ごすよりはいいと思った。
私は言われた通りに着替える。
数着のドレスと侍女服しか持っていなかった私に、普段着として数着、服を用意してくれていた。
選んでくれたのは奥様らしい。
私に似合うからと、派手めなものから地味なものまで。
街へ行くなら目立たない庶民的な格好のほうが都合がいいだろう。
「これでいいわね」
私は適当に服を選び、着替えてアスノトがいる玄関へと向かった。
そこには珍しく騎士服以外を着ている彼の姿があった。
彼もまた、貴族らしくない地味な格好をしている。
服装が変わるだけで雰囲気も変わるように、一瞬誰かわからなかった。
「着替えたね。その服、よく似合っているよ」
「ありがとうございます。アスノト様も、騎士服ではないのですね」
「休日だからね。あの格好は目立つんだ。この格好なら休みだとわかるし、周りも気を遣ってくれるさ。さぁ行こう」
「はい」
彼は私の手を握り、優しく引っ張って屋敷の扉を開ける。
ほんの少し速足で、まるでステップを踏むように、私たちは王都の街へと歩き出した。
やってきたのは王都の繁華街。
いろんなお店が並び、王都で一番人が多いエリアだった。
「すごい人ですね」
「来たことなかったのか?」
「はい。ルストロールでも屋敷の中からほとんど出ませんでした。買い出しも他の方が担当してくださっていたので」
「それは勿体ないな」
今から思えば、あれも私の存在や扱いが、世間に露呈しないようにするための策だった。
侍女としての私は、あの屋敷に縛られていたようなものだ。
こんな近くにあったのに、私は王都という街をほとんど知らない。
「何か欲しいものはないか?」
「欲しいもの、ですか。どうしてそんなことをお尋ねになるのです?」
「決まってる。あるなら俺がプレゼントしたいと思ってね」
「――そういうのは特に」
少し驚いてしまった。
さりげなく、私に何かを与えようとする人はこれまでいなかったから。
「お腹は空いていない?」
「はい」
「じゃあ適当に歩こうか」
「……どこかに向かっているわけではないのですか?」
「特に目的地は決めていないよ」
目的もないのに人がたくさんいる街へ?
私は首を傾げる。
王都の繁華街にはたくさんの店があって、多くの人々は何かほしいものがあって訪れている。
そういうものだと思っていた。
私は彼に手を引かれ、歩きながら彼の言葉に耳を傾ける。
「休日には二種類あるんだよ。予定がある休日と、予定がない休日。今回は後者だ。予定は決まっていない。だからこそ、自由気ままに過ごすのさ」
「自由に……」
そういう感覚は私にはわからなかった。
新鮮な気分だ。
もしかすると、今こうしてすれ違っている人たちも、目的もなく歩いているのかもしれない。
「なんだか時間を無駄にしているみたいに感じますね」
「確かにそうかもね。でも、人生には必要な無駄がある。俺はそう思う」
「必要な無駄?」
「ああ。人の心は、身体は脆い。無駄のない人生は疲れを発散する暇もない。だから近いうちに壊れてしまう。そうならないための息抜きが無駄な時間だ」
彼の言葉に耳を傾けながら、私は自分の人生を思い返す。
ただ走り続けた。
呼吸を整える暇もなく、休みもなく。
だから私は……倒れてしまったのかもしれない。
そうか。
私の人生に足りていなかったものが一つわかった。
「無駄な時間が必要だったのね」
「そうだよ。無駄だけの人生のほうが案外、幸福だったりするんだ」
「そうかもしれませんね。アスノト様は休日はよくここへ来るのですか?」
「ああ、適当に散策してね。ここなら人々の暮らしもよく見える。自分が守るべき人々を、その生活を見るのも大事だから」
私はちょっぴり呆れた。
無駄な時間と言いながら、彼なりに仕事のことを考えて過ごしている。
「私より、アスノト様のほうが仕事熱心ですね」
「そうか?」
「はい。今もアスノト様にとっては無駄な時間ではないようですから」
「無駄と思うかは自分次第だよ。それに……仕事だけが全てじゃない。たとえば――あ、ちょっとごめんね」
彼は私の手を離した。
そうして突然駆け出し、どこかへ向かう。
すぐに立ち止まり、しゃがみこんだ。
彼の前には少女が泣いていた。
「どうかしたのかい? お嬢さん」
「お、お母さんと……」
「はぐれちゃったんだね。よし、なら俺が一緒に探してあげよう。だから泣かないで。せっかくの美人さんが台なしだよ」
そう言って彼は少女の涙を拭う。
少女は涙をぐっと堪えるようにして頷く。
「うん」
「よし、じゃあ一緒に探そう! こうすれば探しやすい!」
「わぁ!」
彼は少女を抱きかかえ、肩車をしてあげた。
背の高い彼に担がれ、視界が広がる。
泣いていた少女はすっかり目を輝かせていた。
「あ! お母さんあそこ!」
「よーし! お母さんを捕まえに行こう」
「うん!」
アスノトは少女を肩車したまま走り出し、少女の母親のところへ駆け寄った。
母親も少女を探していたらしい。
目が合うと心配そうに、嬉しそうに手を振っている。
「もうはぐれちゃダメだぞ?」
「うん! ありがとう! お兄さん!」
「ああ」
母親は何度もアスノトに謝り、感謝の言葉を贈る。
すっかり笑顔になった少女に手を振られて、彼は私の下に戻ってくる。
「すまない。君のことをほったらかしにしてしまった」
「構いません。騎士として放っておけなかったのでしょう?」
「ああ、誰かの涙を見ると、どうしてもね……仕事だけじゃないって話をしている最中に、これじゃ説得力がないな」
「――そうでもありませんよ」
彼にとって騎士とは己の一部になっているのだろう。
仕事だからとか、騎士だからとか、そういう理由は一切なく、ただ身体が勝手に動く。
少女の涙を見逃さず、瞬く間に笑顔に変えてしまう。
それが自然にできるから、彼は騎士王と呼ばれているんだ。
いつの間にか夕暮れになる。
青かった空はオレンジ色に変化して、人の流れも穏やかになっていた。
仕事に買い物、予定があった人、なかった人。
それぞれが帰る家へと向かっていく。
「少しは楽しんでくれたかな?」
「はい。休日の過ごし方、参考になりました」
「それならよかった。無理やり連れ回してしまってすまなかったな」
「いえ、よい体験ができました」
目的もなく、ただぶらぶらと街を回る。
お腹が空いたら食事をして、また歩いて散策する。
面白いものを見つけて笑ったり、綺麗な景色を眺めたり。
そういう時間は私にはなかったから。
新鮮で、穏やかで、心地いい。
それを教えてくれたのは……。
「ありがとうございます。とても楽しい時間でした」
「そうか。なら、もしよかったら次の休日も一緒に過ごさないか?」
「いえ、無理に私に合わせる必要はありません」
「無理はしていない。今日だって本当は、休日を君と過ごしてみたいという……単なる欲が行動原理だったんだよ」
そうだったの?
終わり掛けに初めて、彼が私を誘ってくれた本心を聞く。
少し恥ずかし気に、夕日のせいか顔も赤く見える。
「だから迷惑じゃなければ、次もお願いしたい」
私は笑みをこぼす。
「アスノト様がそうおっしゃるならお供いたします。私は侍女ですので」
「……それは侍女じゃなかったら断っているという意味かな?」
「さぁ、どうでしょう」
「――そんな顔もするんだね」
彼は私の顔を見てちょっぴり驚いていた。
鏡がないから自分の顔は見えない。
どんな顔をしていていたのか。
気になった私は尋ねる。
「どんな顔でしたか?」
「ちょっぴり意地悪で、でも楽しそうな顔だよ。君は普段から大人っぽいから、そんな子供っぽさを感じる笑顔は新鮮だ。うん、いいね」
「……そうですか」
子供っぽい顔……していたらしい。
恥ずかしくて、少し頬が熱くなったのを感じる。
夕暮れでよかった。
今なら多少顔が赤くなっても、気づかれないから。