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私だけに見せる顔

 侍女の朝は早い。

 主人が目覚めるよりも一時間、二時間以上早く目覚め、仕事の準備を始める。

 まずは自分のことだ。

 朝食を食べ、身だしなみを整える。

 格好悪い姿で主人の前に立たないように。

 時間に余裕がある時は、念のためにシャワーも浴びておくことがある。

 暑い日は汗を流し、汗のにおいが服にしみついてしまう。

 そうならないようにさっと洗い流す。

 貴族の令嬢とは違う方向で、見られることに注意しなければならない。

 大変だけど、見られることは慣れている。


「よし、準備は万全ね」


 鏡の前で身だしなみの最終チェックを終える。

 私は扉を開けて部屋を出た。

 目的の部屋はすぐ隣。

 仕えるべき主人の部屋の近くで侍女は暮らしていることが多いけど、隣というのは少々珍しい。

 変更することも提案したけど却下された。

 うちのご主人様は、どうにも一度決めたことは曲げたがらない頑固者らしい。

 

 トントントン――


 ノック三回。

 中に呼びかけ、数秒返事を待つ。

 返事はない。

 もう一度ノックしても反応はなかった。

 こういう場合は声をかけ、こちらから扉を開けることを許可されている。

 眠っているか、万が一何かあった時のためだ。


「失礼します」


 まだ眠っているのだろうか。

 いいや、彼の場合は違う気がする。

 扉を開けて中に入ると、そこには誰もいなかった。

 ベッドの布団は綺麗に畳まれている。


「ということは……」


 予想通り、あそこにいるはずね。

 私は部屋を出て中庭に向かう。

 中庭では木剣を振るう音と、彼の声が聞こえた。


「ふんっ! ふっ!」

「やはりここにいらしたんですね」

「――ん? ああ、イレイナ、おはよう」

「おはようございます。アスノト様」


 案の定、彼は中庭で朝の訓練をしている最中だった。

 振り下ろした木剣を地面に突き刺し、流れる汗を服の袖で拭う。


「タオルをお持ちしました」

「ありがとう。さすが、気が利くね」


 私はタオルを彼に手渡す。

 それを受け取った彼は、タオルで額から流れる汗を拭いた。

 彼は早朝、早起きして剣の稽古をしている。

 これを騎士になる以前から、毎日続けているという話を聞いた。

 それを聞いていたから、ルストロール家の時よりもだいぶ早く起きて準備をしたつもりだったのだけど……。


「いつ頃から訓練を始めたのですか?」

「八歳の時かな?」

「そうではなく朝の時間です」

「ああ、ほんの十数分前だよ。もしかして起こしに来てくれたのか? だったら申し訳ないことをした。入れ違いになったみたいだね」


 彼は申し訳なさそうに謝罪する。

 侍女に向かって謝罪するなんて、貴族の嫡男らしくない。

 もっとも、彼らしくはある。


「いえ、でしたら明日からはそれより早く準備を始めさせていただきます」

「そこまで無理をしなくていいよ。元々俺は朝は強いし、自分のことは自分でやれる。騎士だからな。遠征も多いし、生活力はあるつもりだよ」

「理解しております。ですが、このお屋敷にいる間は、アスノト様の身の回りのお世話が私の職務になりますので」

「……侍女みたいなことを言うね」

「侍女です。まだ寝ぼけていらっしゃるのですか?」

「ははっ、ハッキリ言ってくれるね。けどそのくらいのほうがいい。変にかしこまられるのは好きじゃない。そもそも俺は、君をただの侍女だとは思っていない」


 彼は私の不意をつくように、そっと手を伸ばして私の右手を握る。


「俺は君を婚約者にするつもりで招いたんだ。その気持ちに変わりはないよ」

「お言葉ですがアスノト様、私はただの侍女です。私のような女を口説くよりも、ずっと素敵な女性はいると思います」

「いないよ。少なくとも俺の眼には君しか映っていないから」

「……はぁ、物好きな人ね」


 私は呆れて笑ってしまう。

 このまま侍女として働かせてくれたなら、そっちのほうが楽だったのに。

 彼にその気はないようだった。


 紆余曲折あり、私はこのグレーセル家の侍女となった。

 私が生まれ育ったルストロール家とは縁が切れ、家なしの一文なしになった私を、グレーセル家が拾ってくれた形になっている。

 元々は婚約者になるため、私はアスノトに連れられここへやってきた。

 けれど世間体のことを考えると、私と彼の婚約は現実的なものではなく、最終的にルストロール家を抜け、グレーセル家の侍女になる選択をした。

 端から見れば婚約者から侍女への転落記に見えるかもしれない。

 ただ、私はこれでよかったと思っている。

 これで婚約者として変に期待され、注目されることもない。

 侍女という仕事も案外悪くないと気付いたところだ。

 それにこの家は、ルストロール家と違って居心地がいい。

 

「まだ稽古が残っているんだ。あとで戻るから、君は中にいるといい」

「いえ、私も終わるまでこちらに控えさせていただきます」

「それはもしかして、訓練している俺の姿を見たいから?」

「侍女だからです」

「ははっ、そうだろうね。なるべく早く終わらせるよ」


 そう言って彼は訓練を再開する。

 アスノトも、彼のご両親もお人好しだ。

 私の境遇を聞いて笑わず、他人事なのに心から怒りを見せた。

 今、こうして私が彼の家で侍女として働けているのも、彼らの働きがあったからだ。

 お姉様やお父様とは大違いだ。

 予想していた光景と形は違うけれど、これも一つの平穏だった。

 平穏を与えてくれたことには、素直に感謝している。

 ルストロール家に比べて気が楽だ。

 多少言葉遣いが崩れたり、素が出てもアスノトは気にしない。

 むしろそっちのほうがいいとか言う。

 仕事をこなせば褒めてくれるし、理不尽に怒ったりもしない。

 お父様やお姉様とは大違いだ。


 しばらく待って彼は特訓を終える。

 私が顔を出してから一時間と少し、短い時間で大量の汗を流すほど激しく動いていた。

 これを毎日続けているという。


「待たせてすまないね」

「お疲れ様でした」

 

 私は新しいタオルを彼に手渡す。

 

「八歳の頃とおっしゃいましたが、一日も休まず続けられているのですか?」

「特訓かい? ああ、よほどの理由がない限りはね。一日でも剣を振るわないと感覚が鈍るんだ」

「勤勉ですね」

「普通のことだよ。騎士は男なら皆が憧れる存在で、人々を守る剣だ。常に鋭く、切れ味を保てるようにこうして毎日自分を磨いている。俺は騎士王だからね? 騎士たちの模範であり続けないといけないんだ。弱い姿など見せられない」


 彼が語る持論は、まさに騎士の象徴のようなもので。

 騎士王と呼ばれる所以は、実績や実力だけではなく、この精神性にもあるのだろう。

 あらゆる魔法を拒絶する特異体質のことも含めて……。

 まるで騎士になるために生まれてきたような男だ。


「ご立派です」

「――! ありがとう。君に褒められるとなんだか照れるな」


 恥ずかしそうに顔を赤らめて、無邪気に喜ぶ。

 私は彼の顔をじーっと見つめて。


「……そういう反応は騎士らしくありませんね」

「え、そうかな?」

「はい。子供っぽいです」

「これは弱ったな。気のある人に褒められると、どうしても表情が緩むんだ。普段はそんなことないんだけどね」


 彼は自分の髪に触れながら、何やら照れくさそうに改まる。


「初めてなんだよ」

「はい?」

「俺は正直、あまり他人に興味がなかった。他者は守るべき対象で、それ以上でもそれ以下でもない。でも、君のことは気になった。知りたいことが増えていく。こんな感覚も、気持ちも初めてだった」


 彼は自分の胸に手を当てて語る。

 おそらく騎士として生まれ、その道以外を見てこなかった彼にとって、他人とは庇護対象でしかなく、深く関わることがなかったのだろう。

 皆も彼には、騎士として、騎士王として接する。

 故に彼はいつでも、騎士として恥じない姿を見せようと努力する。

 そう、誰も彼の内側を見ていない。

 騎士という鎧の奥に存在する彼の本質に、誰も目を向けようとしてこなかった。

 自分を守るために騎士という鎧を着る。 

 それはまるで、かつて女王というヴェールを纏い、圧政の悪王として振る舞っていた自分と重なる。


「初めて君の眼を見た時からずっと、どこか自分に似た何かを感じていた。関わる度に興味が湧いて、知りたいという気持ちが多くなる。嬉しかったよ。俺の心は……ちゃんと誰かに惹かれるんだってわかったから」

「……」


 アスノトは笑う。

 朝の眩い太陽に負けないほど眩しく。


「君のことをもっと知りたい。少しずつでも構わないから、俺に教えてほしい。そして俺のことを見ていてほしい。俺が君に興味を抱いたように、君が俺に興味を持てるように努力しよう」

「――侍女に向かっていうセリフじゃないわね」

「言っただろう? 俺は君をただの侍女だとは思っていないよ」

「……まったく、頑固な人ね」


 きっとこの笑顔は、他の誰にも見せたことがない。

 我がままになる姿だって。

 家族以外で知っているのは、もしかすると私だけかもしれない。

 誰もが憧れ、認める騎士王様の本当の姿……。

 ちょっぴりだけど、確かに、優越感を抱かずにはいられない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 『特訓』とは『特別訓練』もしくは『特殊訓練』の略称ではなかったのでしょうか……?(長年の間毎日やってたら、やることが特殊でも、通常なのではないかと思うのですが)
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