第15話 龍生ら、逃げ足の速い当主に呆れる
鵲と東雲にデータを消去させた後、今度は龍之助に一言言ってやろうと振り返ると、そこに龍之助の姿はなかった。
(……逃げたな)
あまりの逃げ足の早さに、三人は呆れるやら感心するやらで、小さくため息をついた。
すると、
「あら。こんな廊下で、どうなさったんです? 坊ちゃま。虎ちゃんと隼ちゃんが、また何か仕出かしたんですか?」
通り掛かった宝神が、首をかしげながら、正座したままの鵲と東雲を見下ろした。
二人は情けない顔を宝神に向け、
「ひっでーなぁお福さん。『また』とか『仕出かした』とかって、そんな言い方あんまりじゃねーか?」
「そうですよ! それじゃあまるで、年中何かしら失敗してるみたいじゃないですか!……って、まあ……たまには、そりゃ……イロイロあったりします、けど……」
思い思いの意見を述べ、不満そうに口をとがらせる。
宝神はフンと鼻を鳴らし、腰に手を当て、呆れ顔で言い返した。
「なーに言ってんだい! あんたらが揃うと、いつもろくなことになりゃしないじゃないか! それでも、龍之助様と坊ちゃまが大目に見てくださってるから、ここで長いこと働いてられるんだよ? そのありがたみが、よーくわかってんだろうね?」
「う――っ」
「わ、わかってるよ。坊ちゃんと龍之助様には、どんだけ感謝しても足りねーくれーの恩を受けてるってこたぁ、俺らだってよーくわかってるって!」
「……本当に、わかってんのかねぇ?」
宝神は鵲と東雲から視線を外し、二人に向けていたしかめっ面とは正反対の、にこやかな表情を龍生に向ける。
「坊ちゃま。御夕食まで、もう少々お時間いただきたいのですけれど、よろしいでしょうか? 本日は、アイロン掛けを途中でほっぽり出した、無精者がおりましてね。私が代わりに片付けてましたら、御夕食の支度に入る時間が、いつもより遅れてしまいましたんですよ。まあまったく、近頃の若い人達ときたら、自分のやるべきことすら、まともに出来やしないんですから。まったく、困ったものでございますねぇ」
表情とは対照的な、嫌味たらしい愚痴を並べ立てる宝神に、未だ正座中の二人は、ギクリと顔をこわばらせる。
東雲は、自分のことを言われているのだと、すぐに気付いた。
しかし、情けないやら恥ずかしいやらで、口をギュッと結びながら、真っ赤な顔でうつむくことしか出来ない。
正直なところ、『何もそんな、わざわざ坊ちゃんの前で言わなくても』と、少しだけ、宝神を恨めしくも思っていた。
宝神は尚も続けて。
「おやまあ。最近の若い人は、自分の仕事を他人にやってもらっても、何とも思わないんでございますねぇ。ここは、『代わりに仕事を片付けていただきまして、ありがとうございました。ご迷惑お掛けしまして、誠に申し訳ございません』とでも、言うべきとこじゃありませ――」
「お福さんッ!! 私の仕事を代わりに片付けていただきまして、ありがとうございましたッ!! それから、大変ご迷惑をお掛けしまして、誠に申し訳ございませんでしたぁーーーッ!!」
宝神の〝ネチネチ嫌味攻(口)撃〟に、耐えられなくなったらしい。
東雲は、大声で御礼と謝罪を伝えると、正座したまま、深々と頭を下げた。
鵲も慌てて頭を下げ、
「お福さん、申し訳ありませんッ!! 仕事中のトラをムリヤリ引っ張って来て、サボらせたのはこの俺なんです!! いつものトラなら、絶対、自分の仕事を途中で放り出したりなんかしませんッ!! 今日のことは、全部俺のせいなんですッ!! だから――っ! だから、どうかトラのこと、悪く思わないでやってくださいッ!! お願いしますッ!!」
床に頭を擦り付ける勢いで、必死に謝罪する。
宝神は、やれやれといった風にため息をつくと、苦笑いして、二人を交互に見やった。
「まーったく。職場放棄は感心出来ゃしないけどね。あんたらが――……まあ、出来不出来は別として、普段は真面目に仕事に取り組んでるってこたぁ、よーくわかってるよ。今日は何か、よっぽどの事情があったんだろう? もういいから、頭上げな」
〝龍生の様子がいつもと違うようだったので、こっそり見に来た〟という行為が、〝よっぽどの事情〟とやらに当てはまるのかどうか、甚だ疑問ではあるが。
宝神はそういうことにして、一応納得したらしい。
二人は同時に顔を上げ、キラキラした瞳で宝神を見つめると、もう一度頭を下げた。
「すまねえ、お福さんっ! マジで感謝するっ!」
「ありがとうお福さんっ! 恩に着ますっ!」
宝神はいいよいいよと言って、二人の頭をクシャクシャと撫で回すと、龍生を振り返った。
「坊ちゃま。この子達も、こうして反省しておりますし、許してやってくださいませんか? この子達の謝罪だけでは足りないのでしたら、私も頭を下げますので」
「いやっ! お福さんは関係ねーしっ!――坊ちゃん、もう二度と、あのようなことはいたしません! どうかお許しくださいッ!!」
「そうですっ! お福さんが頭下げなきゃいけないくらいなら、俺達が何度だって下げますからっ!」
龍生は三人の顔を見回すと、額を押さえ、ハァとため息をついた。
いつの間にか大袈裟なことになってしまっているが、もともと、勝手に土下座していたのは、鵲と東雲の方ではないか。
自分は、土下座して謝罪しろなどとは、一言も言っていない。
宝神に言われなくても、データさえ消去し終わったら、二人共に、速やかに仕事に戻らせるつもりでいたのだ。
「もういい。おまえ達、さっさと持ち場に戻れ。今日の仕事が、全て片付いているのであれば、そのまま母屋に戻り、明日に備えるなり、夕食を済ませるなり、休むなり、好きにすればいい。――お福。俺は夕食まで自室にいることにする。用意が出来たら呼んでくれ」
龍生はそれだけ伝えると、自室に向かうため、螺旋状の階段を上って行く。
背後から『ありがとうございますっ、坊ちゃん!』『坊! 本当に、もう二度とあのようなことはいたしませんので、どうか見捨てないでくださーーーいっ!』というような、二人の声が聞こえて来たが、あえて無視した。
許しはしたし、二人を見捨てる気など最初からないが、盗撮行為については、まだ腹が立っているので、灸を据える意味で、わざと冷たくしてみたのだ。
自室に入ると、龍生はまっすぐベッドに向かい、うつ伏せに倒れ込んだ。
そのまま体を半回転させ、仰向けになると、両手で目元を覆い、
「……最悪だ」
ポツリとつぶやく。
(まさか、あんな恥ずかしいところを、鵲と東雲に見られていたとは。しかもそれを、お祖父様にまで知られてしまうなんて。……ああ、まったく。いったい何をやっているんだ、俺は?)
データを消去する前に確認した、自分のみっともない姿が、まざまざと脳裏に浮かぶ。
瞬間、脳内が沸騰し、頭から湯気が出ているかのような感覚が襲って来て、妙な汗が、体のあちこちから滲み出て来るのが感じられた。……死ぬほど恥ずかしかった。
スマホのデータと同じように、その部分だけを、己の記憶から永遠に、完全に、消してしまえぬものか。
無理だとわかっていても、そう願わずにはいられなかった。
(あんなところを、もしも咲耶に目撃されようものなら、迷わず死を選んでいたかもしれない。何なんだ、あの……だらしなくニヤついた顔は。……咲耶だけじゃない。結太に見られていたとしても、俺は死ねる気がする)
恋とは、かくも見苦しく、人を変貌させてしまうものなのだなと、つくづく思い知る。
だが、不思議なことに、『こんな風になってしまうなら、もう恋などしたくない』などとは、一度も思わなかった。
咲耶に噛まれた〝痕〟を見ては、一人ニヤつく龍生……。
『変態か!?』と思われた方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい……(いえ。龍生はMではないのですが)
――というわけで、第7章はここまでとなります。
お読みくださり、ありがとうございました!