第9話 咲耶、噂の内容に驚愕する
「何だと!? 秋月と楠木が同性愛者!?」
二人から話を聞き終わったとたん、大声を上げる咲耶に、結太は焦り、慌てて否定する。
「ちょっ! 違っ! 違ーって保科さんっ!! 誤解だよッ! そんな風に誤解されてるっつー話! マジじゃねーって! 保科さんまで誤解しねーでくれよっ、ますますややこしくなるだろっ?」
「……あ、ああ――。そうか、誤解か。……うん。本当にそうだという話ではないんだな?……うん、わかった。了解した」
まだ少し混乱しているのか、咲耶はその後も、何度も確かめるように、『誤解なんだよな?』『事実じゃない。根も葉もない噂を立てられた、って話なんだよな?』と訊ねて来た。
結太はそのたびに、『だからそーだって!』『誤解に決まってんだろ!』というようなことを繰り返さなければならず、次第にイライラして来てしまった。
「あーーーもーーーッ!! だから何度も言わせんなよッ!! 誤解だよ誤解誤解誤解ッ!! オレと龍生がデキてるとか、あるワケねーだろッ!? オレが好きなのは伊吹さんだって、あんたにもちゃんと言ったはずだぜッ!?」
「ああ……。まあ、それはそうなんだが。いや、同性愛者が身近にいたためしがなかったんでな。今まで、ドラマや小説や漫画なんかの、二次元だけの話かと思っていたから、少し驚いてしまって……。いや、すまん。そうか。同性愛者か……」
「――って、人の話ちゃんと聞ーてんのか!? オレは誤解だって話を、さっきから何度もしてんだけどッ?」
「ん?――ああ、大丈夫だ。それはちゃんと理解している。お前達は同性愛者ではないんだろう?……いや、違うんだ。身近にそういう話があっても、べつに珍しいことではないんだよなと、今更ながら気付かされたと言うか……まあ、そんな感じだ。お前達のことを疑っているわけではないから、安心してくれ」
咲耶はそう言うが、結太はまだ不安を拭い切れない様子で、『ホントにわかってんのかぁ?』と、つぶやいたりしている。
二人のやりとりを傍らで眺めている龍生は、何とも複雑な心境だった。
出会ってすぐの二人は、もっとギクシャクしていたはずだ。
結太は咲耶に遠慮して(もしくは恐れて)いるようだったし、咲耶は結太を、もっと邪険に扱っていた。
それなのに、今の二人のやりとりは、とても自然で……まるで、昔からの友人のようにも見える。
二人に変化が生じたのは、やはり、無人島でのことがあってからだろう。
島に渡る前までの二人の関係は、別荘での夕食時、サラダをどちらが食べるかで言い争っていた(咲耶が一方的に騒いでいただけとも言えるが)ことからもわかるように、穏やかではない印象だった。決して、良好とは言えなかったはずだ。
それが……無人島で一晩共に過ごしたことにより、連帯感が生まれ、二人の距離を一気に縮めるまでに至ったのだろうか?
それに加え、落ちて来る木の枝から、とっさに咲耶を突き飛ばして守ったという、特別な出来事があったのだ。咲耶が、結太に恩を感じるのは当然だ。
……そう。
確かに、当然ではあるのだが。
それにしたって、打ち解け過ぎではないだろうか?
(……ダメだな、俺は。二人が以前より親しくなったからといって、こんなにも動揺するとは。……結太は大事な友人だ。その友人と、想い人の仲が良くなったからと言って、何を気にすることがある? 特に不都合なことなど、あるはずが――……)
……いや、ある。
不都合なことは、大いにある。
……そう。『ユウくん』だ。
もしも『ユウくん』が、結太のことだったとしたら……。
『ユウくんっ! ユウくんしっかりしてっ!』
『ユウくんっ!! ユウくん死なないでっ!!――お願い、死なないでぇえええッ!!』
あの時の、咲耶の悲痛な声。
今もハッキリと思い出せる。
あれだけ必死に名前を呼び続けるということは、『ユウくん』は咲耶にとって、よほど大切な存在なのだろう。
もしも、『ユウくん』が結太のことなのだとしたら……考えられることは、二つだ。
その一、無人島にいる間に、咲耶は結太に親しみを感じるようになり、『ユウくん』と呼ぶようになった。
その二、咲耶と結太は幼い頃、既に出会っていて、その頃の結太の呼び方が『ユウくん』だった。
何故〝幼い頃〟と断定出来るのか。
出会ったのが数年前であるのなら、咲耶も結太も、相手の顔を覚えているはずだからだ。
少なくとも、結太が咲耶のことをもともと知っていたとすれば、気付いた時点で、龍生に知らせているに違いない。
だが、結太からは、咲耶と知り合いだなどと言う話は、一切聞いたことがなかった。
咲耶も結太と同じように、正直な性格だ。結太が知り合いだったのなら、最初からそのように接しているのではないだろうか。
よって、過去に二人が出会っていたとするなら、幼少期であると考えるのが妥当だ。
問題は、考えられる結果二つの内、どちらが正解かと言うことだが――。
龍生は、〝その二〟の方だと考えている。
その一の方が正解だったとすると、〝結太は『ユウくん』ではない〟と、咲耶が否定するわけがないし、今日また、呼び方が『楠木』に戻っているのも不自然だ。
だからたぶん、正解は〝その二〟。
二人はきっと、幼い頃に出会っているのだ。龍生より先か後かはわからないが、きっと、同じくらいの時期に。
それを、咲耶は思い出した。
そうであるとするなら、結太が怪我をした時の咲耶が、〝幼児退行〟のような状態になっていたのも、理解出来る。
(……きっと、結太の方は思い出していないのだろうな。それがわかったから、咲耶は呼び方を『ユウくん』から『楠木』に戻した。結太が思い出すまで、話す気はないんだろう。……俺が、そうであるように)
咲耶は今、自分と同じような気持ちでいるのだろうかと思ったら、堪らなく切なくなった。
自分と同じような想いを抱いて、これから咲耶は、結太の側にいることになるのだろうかと。
咲耶の『ユウくん』に対する感情が、恋愛感情であるかどうかはわからない。
しかし、もし……自分が咲耶を想うような気持ちであったなら……。
(……最悪だ。結太が恋敵だなどと、考えただけでもゾッとする)
どうか、そうではありませんように――と、祈ることしか、今の龍生には出来なかった。
結太は伊吹さんを、伊吹さんは結太を。
そして、咲耶は結太を、龍生は咲耶を想っている……となったら、四角関係が成立してしまう。
その上、同性同士は友人で、幼馴染でもあるのだ。
(まさに泥沼だな。この内の、誰かの想いが表面化したとたん、どの関係も壊れる恐れがある。……だが、そう言えば……咲耶は、伊吹さんのことはもういいのか? 俺はてっきり、咲耶は伊吹さんのことを、恋愛対象として好きなのだろうと思っていたんだが……)
咲耶が結太を好きなのだとすると、伊吹さんへの想いは、ただの友人としての『好き』だった、ということになる。
……本当に、そうなのだろうか?
考えれば考えるほど、わからなくなりそうだった。
龍生は片手で額を押さえ、何度か深呼吸をし、気持ちを落ち着かせると、
(やはり、直接咲耶に確かめるしかないか。……さすがの俺も、こればかりは、易々と答えが導き出せそうもないからな)
結太と談笑している咲耶の横顔を見つめ、密かに決意していた。