第8話 咲耶、疑問を確かめるため結太を見舞う
電車とバスを乗り継ぎ、咲耶は病院の前までやって来た。
折り畳み傘の水滴を払い、綺麗に畳んで傘入れに収納し、バッグに仕舞うと、まっすぐロビーへと向かう。
家を出る時は曇り空だったのだが、途中で小雨に降られたのだ。
念のため、折り畳み傘を持って来てよかったと、咲耶は胸を撫で下ろした。
今日は、結太の見舞いに来たわけだが、それだけが目的ではない。
どうしても、結太に訊ねておきたいことがあった。
ただ、一人で見舞うのは気が引けたし、桃花に黙って行ったりしたら、いらぬ誤解を招いてしまうかもしれない。
それだけは避けなければと思い、昨夜、桃花も一緒に行かないかと誘ったのだが、用事があると断られてしまった。
(まあ、仕方ないよな。桃花にだって都合というものがある。……だが桃花、なんだか元気がなかったな。まだ、体の調子が良くないんだろうか? やはり風邪か? それとも疲労か?)
疲労と言えば、咲耶の方こそ、激しい雨風に晒されるわ、その中を一時間近くも歩かされるわ、倒れた結太の面倒を見させられるわで、誰よりも、ハードな一日を経験したはずなのだが。
不思議と、風邪を引くことも、疲れが溜まって具合が悪くなるということもなく、こうしてピンピンしている。
よほど健康なDNAを、先祖から受け継いでいるのか。
はたまた、生まれてから今までの間、丈夫に育つようにと、両親が健康に配慮して来た結果なのか。
どちらかと言うと、咲耶の両親は、子供の個性や意見を尊重し、過保護にならぬよう、注意しつつ育てた。
なので、〝健康なDNAを先祖から受け継いでいる〟が、正解なのかもしれない。
とにかく、すこぶる健康体の咲耶は、結太を見舞い、知りたい情報を入手するべく、スタッフステーションまでたどり着いた。
見舞いに来た者は、ここで面会手続きとやらを済ませればいいのだと、前日に、鵲から確認を取っている。
咲耶は結太の病室を告げ、出された紙に必要事項を記入すると、病室へと急いだ。
病室の近くまで来ると、菫がこちらへ向かって歩いて来るところに出くわした。
咲耶は慌てて足を止め、両手を体の前で重ね合わせて、30度の角度で頭を下げる。
菫は、『あら。昨日の美人さんじゃなーい』と手を振りながら寄って来て、咲耶の両手を取り、大きく上下にブンブンと振った。
「あらあらー。二日続けてお見舞いに来てくれたのー? ありがとーっ。……って、あら? 今日は、小さくって可愛い子――ええと、伊吹さんだったかしら? 彼女は一緒じゃないの?」
「あ、はい。彼女は、用があるそうです。それに……昨日に引き続き、元気がなさそうでしたので、今日は一人で来ました」
咲耶の返答に、菫は『あら』とつぶやくと、頬に片手を当て、ガッカリしたような表情を見せた。
「そうなのー。それは残念ねぇ。昨日は、ほとんどお話出来なかったから、今度お会いした時は、いろいろ訊いてみたいと思ってたのにー。……でも、用事があるんじゃ仕方ないわね。体調のことも心配だし……。結くんには残念な結果だけど……って、ああ! そーそー、そーだわっ。今日は、伊吹さんには来てもらわない方がよかったかもしれないわねー。あの話を聞かれちゃったら、結くんも困っちゃうだろーしっ?」
フフフッと、菫は意味ありげに笑った。
咲耶は、『あの話?』と疑問に思ったが、訊くのもためらわれたので、そのまま聞き流すことにした。
相手が龍生や結太だったら、即座に問い質していただろうが……。
咲耶も一応、目上の人の前では、礼儀を大切にしているのだ。
菫は、『それじゃ、私は足りない物の買い出しに行って来るから、ここで失礼するわねー』と言って去って行った。
菫の姿が見えなくなるまで見送ると、再び歩き出す。
結太の病室の前で足を止め、ノックしようと、咲耶が片手を上げたとたん、
「これじゃいつまで経っても、伊吹さんに告白なんか出来やしねーじゃねーかッ!! もー勘弁してくれよぉッ!!」
室内から結太の声がして、咲耶はハッと息を呑んだ。
結太が、桃花のことが本気で好きだということは、無人島で、思いの丈を存分にぶちまけられたので、咲耶も当然知っている。
だが、『これじゃいつまで経っても、伊吹さんに告白なんか出来やしねー』とは、どういうことなのだろう?
咲耶は、もっと詳しい話を知ろうと、よくよく聞き耳を立てた。
室内はシンとしていて、何も聞こえて来ない。
もしかして、声を上げずに泣いていたりするのだろうか?
気になりつつも、二~三分はそのまま頑張り、外で耳をそばだてていた。
それでも結局、何も聞こえては来なかった。
仕方ない。
ここでずっと、こうしているわけにも行かないだろう。
誰かが通り掛かったら、変に思われる。
諦めて、咲耶が戸を叩こうとした時だった。
「おい、結太。いつまでそうしているつもりだ?」
ようやく中から声がしたが、声の主が龍生であることに気付き、ノックしようとしていた手を、慌てて引っ込める。
(なんだ、秋月も来ていたのか。……まあ、親友が入院したんだ。来るに決まっているか。……しかし、マズいな。秋月もいるとなると、例の話がしにくくなる。楠木だけがいるところで、訊ねたいことがあったんだが……。うぅむ、どうしたものか……)
咲耶は腕を組み、その場でしばし考え込んだ。
早く帰ってくれないものかと、少し待ってもみたのだが……。
何やら、小声で話し込んでいるらしく、出て来る気配はまるでなかった。
覚悟を決め、咲耶は戸をノックした。
とたんに、『はっ、はいっ! どうぞ!』という結太の声がし、ガラリと戸を開ける。
「失礼する。――楠木、具合はどうだ? 脚の痛みは取れたか?」
話し掛けながら入って行くと、結太は驚いたように目を丸くし、龍生は真顔で振り向いた。
「ほ、保科さんっ?……昨日の今日で、もう見舞いに来てくれたのか?」
「ああ。……来ない方がよかったか?」
「まっ、まさか! んなこと思っちゃいねーけど……」
結太はモゴモゴと言葉を濁し、咲耶の後ろをチラリと窺う。
咲耶はすぐに、『ああ、桃花も来てると思ってるんだな』と覚った。
「悪いな。今日は私だけだ。桃花は、用事があって来られないそうだ」
結太はうっと詰まった後、『ああ……そー……なんだ』と、またモゴモゴとつぶやき、暗い顔でうつむいた。
――明らかに気落ちしている。
わかりやすい男だなと、咲耶は思わず苦笑した。
「まあ、かえってよかったんじゃないか? 今日、伊吹さんが来ていたら、あの噂が耳に入っていたかもしれないしな」
龍生の言葉に、結太はまたまたウッと詰まり、ションボリと肩を落とす。
龍生の言う『あの噂』とは、菫の言っていた『あの話』と、同じものなのだろうか?
気になった咲耶は、今度こそ訊ねてみようと口を開いた。
「今、そこで楠木の母上にお会いしたんだが、やはり『あの話』とかおっしゃっていた。『あの話』とか『あの噂』とか、いったい何のことなんだ?」
龍生と結太は、互いに顔を見合わせる。
その後、結太はムスッとしてそっぽを向き、龍生は困ったように微笑した。
どうやら、愉快な話ではないらしい。
咲耶はうすうす察しながらも、二人が話し出すのを待った。