第7話 龍生、病院で妙な雰囲気に気付く
病院に着くと、龍生はまず、安田に『帰る時は連絡を入れる』と伝え、空いた時間は、自由にしていてもらうことにした。
〝見舞いはなるべく短時間で〟という、この病院での決まりがある(ただし、〝短時間〟がどの程度であるかは、個人の判断に任されており、厳密な時間は定められていない)ので、一時間以内には帰るつもりでいるが、それまで、ただ待機していてもらうというのも、悪いと思ったからだ。
結太の病室目指して歩いている途中、何人かの看護師とすれ違った。
気のせいか、病室が近付くにつれて、刺さるほどの視線を感じるようになり……龍生は困惑して首を捻った。
この容姿だ。幼い頃から、注目されることには慣れている。
しかし、看護師から注がれる視線は、いつもとは何かが違っていた。
目が合うと、一拍の間を置いてから、慌てたようにそらす。――ここまでは普段と変わらない。
目をそらしてから、何故か吹き出す。クスクス笑う。複数いた場合は、ヒソヒソと、笑いの混じった内緒話のようなものをする。――これらが、いつもとは違っていた。
自分の髪や顔、服に何かついているのだろうかと、立ち止まって確認したりもしてみたが、特に変わったところは見当たらなかった。
(いったい、何だと言うんだ? 笑われたり、噂されたりするようなことを、俺は、気付かぬうちにしてしまっていたのか?)
どうにも釈然としないまま、スタッフステーションで面会の手続きを済ませる。(この時も、数人の看護師にクスクス笑われた)
内心(当然表情には出さないが)ムッとしながら、結太の病室の前まで来ると、ちょうど菫が出て来るところだった。
挨拶しようとしたところ、今度は菫にも吹き出され、龍生は驚いて目を見開く。
まさか、菫にまで笑われてしまうとは、思ってもみなかった。
龍生は挨拶するのも忘れ、うんざりした顔で、
「菫さんもですか……。何なんです、今日は? 病院に入ってからここに来るまでの間に、数人の看護師さんに笑われてしまいましたよ。こちらに聞こえない程度の声で、噂話する人達までいらっしゃいましたし……。僕は、この病院で何かしてしまったんでしょうか? 問題があるなら教えてください」
思わず苦情を言うと、菫はまだ口を押さえてプククと笑っていたが、片手を上下にひらひらと振りながら、慌てた様子で弁解し始めた。
「ご、ごめんね龍生くん。わ……笑うつもりはなかったんだけど、あなたと結太がね、この病院内で、ちょっとした噂になってるらしくて……。笑っちゃいけないとは思ったのよっ? 思ったんだけどねっ? でも――」
そこまで言うと、再び菫はプフッと吹き出し、今度は腹まで抱えて笑い出した。
龍生が呆気に取られていると、
「母さんッ!! いー加減にしろよ恥ずかしーだろッ!? 龍生も、入るんならさっさと入って、戸ぉ閉めてくれッ!!」
病室の中から、結太の声が飛んで来た。
龍生は首をかしげながら、菫の横を通り、病室内に入る。
菫はどこかへ向かうところだったようなので、彼女を廊下に残したまま、そっと戸を閉めた。
ベッド上の結太を見ると、何やらお冠の様子で、むうっと口をとがらせ、龍生を睨むように見つめている。
「結太、どうした? もともとが仏頂面なのに、そんな顔つきをしていたら、ますます誰も寄って来なくなるぞ?」
ベッドまで歩いて行きながら、龍生が話し掛けると、
「うっせーなっ、よけーなお世話だッ!――第一、オレが今こんな顔してんのは、誰のせーだと思ってんだよ!? 全部おまえのせーなんだかんなッ!?」
結太は更に目を怒らせ、食って掛かって来た。
「俺のせい?……いったい何の話だ?」
会って早々に文句を言われ、龍生はいよいよ困惑する。
看護師や菫には笑われるわ、結太までこの調子だわで、散々な気分だった。
「〝何の話だ?〟――じゃねーよッ!! お前がこの前、Tシャツ掴んで、肩の下まで強引に引っ張り下ろしたりしたから、変な噂が立っちまったんじゃねーかッ!!」
「変な噂? どんなうわ――……あ。……まさか」
昨日の出来事が思い浮かんだとたん、嫌な予感がした。
結太はその通りだと言うようにうなずいてみせ、じとっとした視線を龍生に送る。
「そーだよ! 今おまえが思ったとーりだよ!……あれが元で、オレ達また、同性愛者――ゲイのカップルなのかと思われちまったんだよチクチョーこのヤローッ!! いったいどーしてくれんだ龍生ぉおおおおおッ!!」
……どうしてくれるんだと言われても。
今更どうにもならないし、その程度で勘違いする方が、どうかしている気がするのだが。
これが、桃花の時のように〝告白シーン〟を見られたり、抱き合ったりしたところを見られたと言うのであれば、誤解されても仕方ないのかもしれない。
だが、服を肩まで下ろしたくらいで、そんな風に捉えられてしまうというのは、どうにも納得出来なかった。
十代の男子であれば、その程度のふざけ合いなど、日常茶飯事ではないか。
――以上の理由から、龍生には不可解としか言いようのない出来事だったが、女性とは――特に、BL好きな女性とは、得てしてそういうものだ。
一人の男性が、ふざけて、もう一人の男性にヘッドロックしてみせただけでも、脳内でカップル化し、あれこれ妄想してしまうし、男性同士が数秒視線を交わしただけでも、密かに想い合っているだなどと、捉えてしまったりもする。
もちろん、ほとんどが《おふざけ》のようなもので、本気で信じ込んでいるわけではない。
脳内でカップルとして成立させて、一人でキャーキャーと楽しんでいるだけなのだ。……たぶん。
龍生と結太の場合も、一人の看護師に見られたことで、他の看護師らにも伝わり、様々な妄想や、おふざけなどが入り混じって、今の噂にまで至ってしまったのだろう。
皆、本気でそう思っているわけではない。放っておけば、そのうち収まるはずだ。
……とは言え、結太は、恋する桃花に同性愛者と誤解されてしまったばかりで、その手の話には過敏になってしまっている。放っておけばいいと言われても、達観することなど出来ないのだろう。
「まあ、落ち着けよ。〝人の噂も七十五日〟と言うだろう? 実際にそうであるならともかく、そうではないんだから、いつかは皆忘れ――」
「七十五日も持ってられっかよ!! それに、『いつか』っていつだ!? そんな悠長なこと言ってたら、ますます伊吹さんに誤解されちまうじゃねーか!!……オレは誤解を解きたいんだよッ!! 誤解の元を増やしたいワケじゃねーんだ!! これじゃいつまで経っても、伊吹さんに告白なんか出来やしねーじゃねーかッ!! もー勘弁してくれよぉッ!!」
苛立ちを言葉にし、全て吐き出してしまうと、結太はベッドのオーバーテーブルに、両手で顔を覆いながら突っ伏した。
龍生は、それ以上何と言っていいのかわからず、両手を腰に当てて首をかしげる。
そして天を仰ぎ、ひとつ、大きなため息をついた。