第9話 姫専属女騎士VS腹黒仮面王子
上の空で午後の授業を終え、ホームルームをやり過ごし、いよいよ放課後がやって来た。
桃花はいくらか緊張しつつ、帰り支度を始めていたのだが……。
「桃花急げっ! もう時間がない!!」
冒頭の台詞と共に、勢いよく引き戸を開けた咲耶が、息せき切って入って来た。
まだ鞄に教科書などを詰め込んでいる最中だった桃花は、ギョッとして顔を上げる。
「さ、咲耶ちゃん?……えっと……また、走って来たの?」
昼休みの時以上に、大きく肩で息をしている。
彼女は『当然だ』とでも言うようにうなずいた。
「桃花の貞操の危機に、のんびりなどしていられるものか!!――さあ、帰るぞ桃花!!」
言うが早いか、素早く桃花の手を取り、強引に引っ張った。
「えっ? か、帰るって……?」
桃花は戸惑い、問い掛けるように咲耶を見上げる。
放課後は、龍生とここで話す約束をした。
まだ帰るわけにはいかない。
「あんな胡散臭い男に、付き合ってやる義理なんかない! おまえは狙われてるんだ! あのいけ好かないボンボンが来る前に、一刻も早く帰らねば!!」
「……へっ? 狙われてる?……ど、どーゆーこと咲耶ちゃん?」
まさか、桃花が拉致されるとでも思っているのだろうか?
だとしたら、いくらなんでも、考え過ぎというものだろう。
龍生はこの辺り一帯で知らぬ者はいないほどの、名家の御子息なのだ。
放課後とは言え、生徒がまだたくさん残っている校内で、拉致しようなどと、考えるはずがないではないか。
第一、桃花を無理やり車に押し込めようとしたとしても、あの高級車では目立ち過ぎる。誰にもバレずに、決行出来るとは思えない。
目撃者だって、かなりの数になるだろう。
桃花がそう意見を述べると、咲耶はキッと振り返り、目を吊り上げて反論して来た。
「甘いッ!! 甘いぞ桃花!! 敵はあの、何考えてるかわからないクセに、教師や一般生徒達にはやたらと受けのいい、仮面王子なんだぞ!? 周囲の者に変に思われずに拉致する算段など、とっくに幾つか立ててるに決まってる!!――それに、昼休みに見ていてわかっただろう? あいつは妙に口が立つ。桃花のように純粋な子を騙して、車に自ら乗るように仕向けることなど、容易くやってのけるに違いないんだ! そういう奴なんだよ、あの男は。だから、絶対に心を許しちゃいけないんだ!!」
矢継ぎ早にまくし立てると、咲耶は酸欠状態に陥ったのか、ゼーゼーと苦しそうに息を継いだ。
そんな咲耶を、ただハラハラと見守ることしか出来ないでいた桃花の背後に、誰かが立つ気配がし――。
「いろいろと想像するのは勝手だけれど、大声で根も葉もないことを吹聴されるのは、さすがに迷惑かな」
聞き覚えのある声がして、桃花と咲耶は同時に振り返った。
「……チッ。遅かったか」
声の主を確かめたとたん、咲耶が忌々しげに舌打ちする。
当然、後ろに立っていたのは、龍生だったわけだが。
「こんなこともあろうかと、早めに来てみて正解だったよ。愛しの姫君との逢瀬の前に、騎士が連れ去ろうとしていたとはね」
龍生は余裕ある態度でクスッと笑うと、咲耶の顔を、まるで冷やかすかのように覗き込んだ。
咲耶は珍しく顔を赤らめ、口惜しそうにギリリと歯噛みする。
「おっと、失礼。〝騎士〟は嫌だった? 保科さんなら、騎士も様になっていると思ったんだけれど。君も、姫にたとえた方がよかったかな」
「うるさいっ、いらぬ世話だ!――騎士、大いに結構! いや、称したければ、幾らでも称するがいい! お望み通り、私が咲耶の騎士になろう! この保科咲耶、必ずや、貴様から桃花を守ってみせる!!」
咲耶はそう宣言すると、再び桃花の手を取った。
「さあ、行くぞ桃花!」
桃花は自分に従ってくれる。
咲耶には、絶対的な自信があった。
小、中、高と、ずっと一緒の学校に通い、共に笑い、泣き、長い時を過ごして来たのだ。
誰よりも、桃花のことを理解しているし、大事に思っている。
そんな自分より、顔や頭や育ちが良いだけの仮面男を、桃花が選ぶはずがない!!
……そう思っていた。
桃花に引く手を掴まれ、
「咲耶ちゃん! わたし、ここに残る!」
と主張されるまでは。
「な…っ? ななな何を言ってるんだ、桃花!? こっ、ここここいつとっ、こ、ここここここでっ、は、話をすると言うのか!?」
桃花に従ってもらえなかったことが、それほどショックだったのだろうか。
咲耶としてはあり得ない、異常なほどのどもりっぷりだった。
桃花は真剣な顔でこくりとうなずき、
「わたし、どーしても秋月くんに聞きたいことがあるの。だから今日は、咲耶ちゃんと一緒に行けない。……ごめんね」
咲耶の目をまっすぐ見据え、素直に自分の意思を伝えた。
「も……桃花……」
その時の咲耶の表情は、『もうパパとはお風呂入らない!』と娘から宣言された時の父親のごとき悲哀が、滲み出ていたとか……いなかったとか。
それはさておき。
彼女は憂い顔で目を伏せ、しばらく沈黙していたが、やがてゆっくりと顔を上げると。
「……わかった。私の負けだ。ここは潔く引こう」
一人の女性を取り合った末に、敗れて去って行く男の台詞に、聞こえなくもないが……ポツリとつぶやく。
「だが、忘れるな。桃花を少しでも泣かせてみろ。絶対に許さんからな! この世の果てまで貴様を追い詰め、泣けどわめけど一切届かぬ暗黒の無限地獄に、全力で蹴り落としてくれるわ!!」
いささか大袈裟な捨て台詞を吐き、踵を返して、咲耶は教室を出て行った。
その後姿を見送ると、龍生は出し抜けにプフッと吹き出し、
「さ……最高に面白いね、君の親友――」
とだけ言い、笑い出したいのを必死に堪えてでもいるのか、口元を片手でふさいだ。