第1話 結太、龍生にやんわりと追及される
結太をからかうだけからかい、喋るだけ喋ると、菫は満足したように、『じゃあ、また明日来るわねー』と言って帰って行った。
「もう少し待っていてくだされば、安田も戻って来ます。お家までお送りしますよ」
との龍生の申し出は、丁重に断られた。寄りたいところがあるのだそうだ。
病室に残った龍生と結太(東雲には席を外してもらった)は、事故後、初めて二人きりになった。
「昨夜、夕食時におまえと会ってから、まだ一日も経っていないんだな。なんだか、すごく久し振りに、顔を合わせた気がする。――今朝も会いはしたが、おまえは怪我で混乱していたしな。俺がいたことすら、わかっていなかったんじゃないか?」
龍生が訊ねると、結太はしみじみした顔でうなずく。
「うん。そー言やー、そーだったなー。痛くて痛くて、誰が何言ってたかとか、よく覚えてねーし。……ほんっと、マジでいろいろあり過ぎて、昨夜のことすら忘れちまいそーだぜ」
龍生は『忘れちまいそー』という言葉にピクリと反応し、
「……そうか。では、忘れないうちに教えてもらわないとな」
意味ありげな笑みを浮かべた後、一変して真顔になり、じっと結太を見据えた。
結太はきょとんとしてから、小首をかしげる。
「――へ? 『教えてもらわないと』……って、何を?」
「保科さんに、歯形を付けられたんだろう?」
言葉尻に被せるように、龍生から質問が飛んで来た。
結太は、『なっ、何だよいきなりっ!?』と上擦った声を上げると、うろたえたように視線をさまよわせる。
「いきなりではないだろう。ずっとそのことで、菫さんにからかわれていたじゃないか」
龍生が言い返すと、結太は『そっ……そりゃ、そーだけど……』とモゴモゴ言い、つむじが見えるほどに深くうつむいた。
顔を赤らめた後、表情を隠すような行動を取る――ということは、やはり、事実なのだろう。
結太の性格ならば、違う場合は違うと、ハッキリ否定しているはずだ。
……まあ、歯形を付けられたのが昨夜なのだとしたら、相手は咲耶以外、考えられないのだが。
「保科さんは、何故そんなことを? 知り合って間もない男に、ふざけてそういうことをするような人には、とても思えないが」
「……ど、どーしてって言われても……」
どう答えたらいいものかと、結太は頭を悩ませた。
正直に、『保科さんが寝惚けて付けたんだよ。夢の中で、オレは、豚の丸焼きだったらしーぞ』と、言ったとする。
そうすると今度は、『寝惚けて首元を噛まれるくらい、近くで寝ていたのか?』などという質問を、される可能性があるのではないか?
……だとしたら、どう返せばいい?
これも正直に、
『昨夜は、長い間雨に打たれて、オレ、低体温症ってものになっちまったらしくてさ。死にかけたんだよ。そしたら保科さんが、濡れた服脱がせて、新聞紙巻いたり、ポリ袋被せたりして、どうにかしてあっためようって、頑張ってくれてさ。そのお陰で、死なずに済んだんだ。……けど、今度は保科さんが寒いっつって、オレの隣に潜り込んで来てさ。仕方ないからそのまま寝てたら、向こうがオレに、〝抱き枕〟代わりになれって言って、抱きついて来たんだ』
などと、話せと言うのか?
(……いやっ、そりゃダメだろ! 付き合ってるわけでもねー男と女が、体密着させて眠った結果、寝惚けた女に食べ物だと思い込まれて、首元に噛み付かれました、なんて……。いくら、お互いに恋愛感情なんざ一切ねーっつっても、怪しまれるに決まってる!……それに、このことが伊吹さんに知られちまったら……もう、誤解解いて告白するどころの話じゃー、なくなっちまうんじゃねーのか?……ダメだッ!! ダメだダメだッ!! こればっかりは、龍生にも話せねーッ!!)
その結論に達すると、結太は今後一切、このことについて、白を切りとおすと決めた。
「どーしてって言われてもなー。実はオレも、よくわかんねーんだよなー。歯形のことも、母さんに言われて初めて知ったってくらいでさー。理由知ってるのっつったら、歯形付けた本人くれーなんじゃねーの?」
目をそらし、結太はやたらと早口になりながら、嘘の証言をしてみせた。
この程度の嘘、龍生には簡単に見抜かれてしまう気はしたが……。
〝自分からは、絶対に真実は話さない〟という意思表示として受け取り、諦めてくれないだろうか。
結太がだんまりを決め込むとなると、この問題は、咲耶に丸投げすることになってしまうが……この際、仕方あるまい。
元はと言えば、咲耶が寝惚けたせいで、発生した問題なのだ。彼女自身に責任を取ってもわなければ、事件(?)は収束しないだろう。
……とは言え、彼女が眠っていた間に起こったことなのだから、本人にも、説明のしようがないと思うが。
「……へえ。おまえが知らないうちに、歯形は付けられたと言うんだな?」
「あ、あぁ……。そーだ」
龍生は腕を組み、じいっと結太を見つめているようだった。
結太はうつむいたままなので、龍生の表情まではわからなかったが、結太自身に後ろめたさがあるせいか、何となく、責められているような気がした。
「……わかった。知らないと言うのなら、これ以上訊ねても意味がないな。次に会った時、保科さんに訊いてみよう」
「そっ、そーだな、うんっ! それがいーんじゃねーかっ?」
意外にも、あっさりと引いてくれた。
ホッとしたためか、結太はまた、早口になっていた。
龍生は小首をかしげ、
「では、結太。最後にひとつだけ、頼みがあるんだが」
普段、結太にはほとんど向けることのない、〝王子様スマイル〟を浮かべて訊ねる。
気が緩んでいた結太は、気楽に、『ああ、いーぜ。何だ、頼みって?』と、微笑み返していた。
「歯形を見せてくれ」
「あー、歯形な。わかっ――……たああッ!?」
……危ない。
うっかり承諾してしまうところだった。
「な――っ、なななっ、なっ、何言ってんだ!? んなもん見てどーすんだよッ!?」
「べつに、どうもしないさ。ただ『見せてくれ』と言っているだけだ。簡単なことだろう?」
「かっ、簡単じゃねーよッ!!……ちょ――っ! おいっ? 何ジリジリ近付いて来てんだよっ?……おいっ! こっち来んじゃねーって!」
龍生は結太の後方に回り込むと、Tシャツの襟元を掴んだ。
結太は、とっさに両手を首に持って行き、素早く襟元を掴み返すと、思いきり前方に引っ張る。
龍生も負けじと引っ張るが、結太がキツく引っ張ってガードしているため、なかなか首の下の方が見えて来ない。
「何故抵抗する? 首元を見せるくらい、どうってことないだろう? 男同士なんだ。恥ずかしがる必要もない」
「――って、そーゆー問題でもねーだろッ!? 嫌なもんは嫌なんだッ!!」
お互いがTシャツを引っ張り合い、ほとんど、力比べのようになってしまっている。
結太は必死に抗うが、両脚を釣られている状態での勝負は、やはり無理があった。
「――痛ッ!! イテテテテテ…ッ!!」
脚の痛みに耐え切れず、結太の手がTシャツから離れた瞬間、龍生は一気に、肩が全て露わになるくらいまで、Tシャツを引き下げた。
「……これが〝歯形〟か」
確かに、クッキリと歯形が残っている。
ここまでハッキリと痕が残っているとなると、相当強く噛まれたのだろう。……よく血が出なかったものだ。
「左側の、やや後方の首元付近。……何故、こんなところに噛み付いたのか……」
龍生がつぶやいた、その時だった。
戸をノックする音がした後、看護師の女性が入って来て、
「楠木さーん。包帯を替えるお時間で――」
そこで言葉を切り、固まってしまった。
龍生は、どうしたのだろうとその看護師を見返したが、自分が今何をしている状況かを思い出し、
「……あ」
と言ったまま、やはり固まったのだった。




