第13話 結太、母に抱きつかれて辟易する
鵲に水を差され、すっかり誤解を解く機会を失ってしまった結太は、ベッドの上でうな垂れていた。
桃花もいるのだから、何か話し掛けなければ――とは思うのだが、話題が全く思いつかない。
何せ、この〝不機嫌顔〟のせいで、小学校――いや、幼稚園時代から、女の子には避けられまくって来た結太だ。女性が喜びそうな話など、出来るわけがなかった。
(あ~~~、マズい。このまま無言状態が続いたら、『面白くない人』って思われて、完全に嫌われちまうかもしんねー。……う~~~っ。けど、会話が弾むよーな話題なんて、これっぽっちも浮かばねーし……。あーもーっ、どーすりゃいーんだぁあああーーーーーッ!?)
結太が、頭を掻きむしりたい衝動を必死に堪えていると。
唐突に引き戸が開き、再び菫が現れた。
「たっだいまー、結くんっ。お母様が戻って参りましたよーーーっ」
ニコニコ顔で、ピョンピョンと跳ねるような足取りで近付いて来た菫は、結太の首元にガバッと抱きつく。
結太は桃花の手前、真っ赤になって『何すんだッ! 離せッ!!』と、すぐさま拒否の姿勢を示した。
それでも菫はお構いなしで、キャハハと笑い、更にギュギュウっと抱き締めて来る。
「おいっ! ふざけ過ぎだぞ母さん!? 離れろっ!!――離れろって!!」
「イーヤーでーすー。結くん、この頃冷たいんだものー。こーゆー時こそ、親子のスキンシップよ、スキンシップ。もっと仲を深めなきゃー」
「今から深めてどーすんだよッ!? 普通逆だろッ!? 子離れしなきゃいけねー時期だろッ!?」
「えーーー? そんなのイヤイヤーーーっ。おかーさん、結太だけが生き甲斐なのよー? 将太さん亡き後、恋人は結太だけなのー。そんな簡単に捨てないでーーーっ?」
「なっ、ちょ――っ!……バっ、バカかッ!? 何が恋人だふざけんなッ!!」
目の前で繰り広げられる〝親子のスキンシップ〟に、桃花はただただ、ポカンとしてしまっていた。
桃花の両親も、スキンシップは多めな方だが、ここまであからさまなことはしない。せいぜい頭を撫でたり、腕を組んだりする程度だ。
しかし、菫のふざけっぷりも、結太の困りっぷりも、見ているうちに、妙に可愛らしく思えて来る。
無意識だったが、桃花はクスッと笑ってしまった。
それを見て、少なからずショックを受けたのは結太だ。〝変な親子〟だと呆れらてしまったかと思い、一気に不安が押し寄せる。
(……マズい。マズいマズいっ! このままだと、マザコンだと思われちまうかもしんねーぞっ? とにかく、母さんをどーにかしねーと……)
結太がそう思い始めた時だった。
突然菫が、
「あっらぁああ~~~っ? 何これ何これっ!? ユウくんったら、ヤダわ~~~。いつの間に、こんなことされるよーな子になっちゃったのぉーーーっ?」
などと、大騒ぎし始めた。
「は?……何だよ、『こんなこと』って?」
結太は怪訝顔で首をかしげる。
菫は結太の服(Tシャツ)の襟元を、片手で掴んで引き下げ、からかい口調で。
「これこれっ。ここの歯形はな~に~? どーしたのぉおお~~~?」
やや後方の首元を、指先でツンツンとつつかれたとたん、昨夜の出来事を一気に思い出し、結太はたちまち蒼くなった。
寝惚けて付けられた咲耶の歯形が、よりにもよって、母親に発見されてしまったのだ。
「歯形……?」
不思議そうにつぶやく桃花の声に、結太はビクッと肩を揺らし、更に蒼くなる。
「ねーねー、結く~ん? こんなところに歯形付けられちゃって、昨夜はいったい、ナニしてたのよ~? まっさか、おかーさんの知らないうちに、大人の階段上っちゃったんじゃないでしょ~ねぇ~?」
「バ――ッ!! なっ、な……っ、何言ってんだよ!? 違ーってッ!! そんなんじゃねーんだってッ!!」
慌てて事情を説明しようとすると、ガラッという音と共に戸が開けられ、咲耶が息を切らせながら入って来た。
(――ああっ!? 最悪なタイミングで戻って来やがった――!!)
〝万事休す〟
追い詰められた結太の頭に、その四文字が浮かんだ。
マズいことになった。
これでますます、事情の説明がしにくくなったではないか。
何故なら、『この歯形は、保科さんが寝惚けて付けた』と主張しても、咲耶が認めてくれない可能性があるからだ。
昨夜、結太と一緒にいたのは咲耶だけだ。歯形を付けることが出来るのは、咲耶しかいない。
しかも、付けられた瞬間の出来事を、結太はハッキリと覚えている。
――だが、『知らない』と言い張られたら、どうすればいいのだろう?
警察関係でもない人間が、咲耶の歯形を取り、首元のそれと照合する――などということは、簡単には出来ないのだろうし……。
(――って、何考えてんだオレっ? いくらなんでも、歯形の照合とかあり得ねーだろっ。犯人捜しみてーになっちまうじゃねーか!……保科さんは命の恩人なんだ。恥掻かせるなんて、出来やしねーだろっ?……けど、じゃあ……この歯形、誰が付けたってことにすりゃいーんだ? 自分で付けたって言い張るにゃー、首元の後ろの方じゃ不可能だし……。うぅっ。保科さんも、せめて腕とかに付けてくれりゃーなぁ……)
結太があれこれ思い悩んでいるのもどこ吹く風で、菫は、まだからかう気満々で、首元をツンツンして来る。
「ウフフフッ。ほ~ら、早く白状しちゃいなさいっ。誰に付けられたのよー、この歯形ー? 龍生くんは、ふざけてこんなことするよーな子じゃないものねー? だったら、いったい誰なのー? ねーねー、誰に付けられたのよー?」
「ダーーーッ!!、うっせえなッ!! いー加減にしろよ母さんッ!!」
……仕方ない。
こうなったら、数日前、同級生(男)にふざけて付けられた――とでも言っておこう。
菫は結太の同級生のことなど知らないのだし、バレはしないだろう。
結太がそう決意し、口を開こうとした時だった。
「歯形……」
誰かがつぶやく声が聞こえ、反射的に、声のした方へ顔を向ける。
そこには、まるで酔っ払ったかのように、顔を真っ赤にした咲耶がいた。
彼女は目を見開き、口元を片手で覆っている。
(うぇ――っ!?……おいおい。何て顔してんだよ保科さんっ? そんな顔してたら、歯形付けたのは保科さんだって、バレちまうじゃねーか!)
いよいよ終わりかと、結太は絶望的な気分で蒼ざめる。
すると案の定、菫が、咲耶の変化に目ざとく気付いてしまった。
「あらあら~? あなた、どーしたのぉ? 顔が『これでもかっ!!』――ってくらいに真っ赤よぉ~?」
菫にツッコまれ、咲耶は更に赤くなりつつ、『いえ、これは――』と、弁解しようと口を開いた。
菫はいよいよ面白がって、
「ウフフフ……。ヤーダ、結くん。あなたのお相手って、この子の方だったのぉ~? そー言えば、二人でいる時に、枝が落ちて来たって話だったものねぇ~?……ウフフフフフフ……。枝が落ちて来る前までは、二人でナ~ニしてたのかしらぁ~~~?」
「ちょ…っ、バッ、違――ッ!!」
結太が否定しようとした瞬間、
「伊吹様っ!?」
鵲の鋭い声が飛び、一同はハッとして振り返る。
見ると、桃花が真っ青な顔で鵲に寄り掛かり、背中を支えられていた。
「桃花ッ!?」
慌てて咲耶が駆け寄る。
菫も真剣な顔になり、ようやく結太から体を離した。
「どうしたのっ?――鵲さん、その子に何があったのっ?」
訊ねながら、菫も慌てて駆け寄るが、鵲は困り顔で、首を横に振った。
「わ、わかりません。急によろけられて……。もしかして、貧血でしょうか?」
「桃花っ、そうなのか!? それとも、気分が悪いのかっ!?」
ほんの少し前までは、真っ赤だった咲耶の顔色が、今は真っ蒼になっている。
桃花は弱々しく首を振り、鵲に支えてくれた礼を告げると、
「だ……大丈夫。心配しないで、咲耶ちゃん。ちょっと……一瞬だけ、めまいがしただけだから」
そう言って、微かに笑ってみせた。
「だが、桃花――」
咲耶が何か言い掛けた時。
戸が再び開かれ、龍生と東雲が入って来た。