第12話 咲耶、結太の母を捜し回る
病室を出ると、咲耶は結太の母親――菫と話をするため、まずは、病院の案内板を探した。
龍生と話があると言っていたから、たぶん、ラウンジやロビー、食堂など、座って話せる場所に、移動したに違いない。そう推測したからだ。
少し歩いて、案内板を見つけると、ラウンジの場所を確認する。
行ってみて、もしここにいなかったら、次はロビー、最後に食堂に行ってみよう。――そう思いつつ、睨むように、案内板に目を走らせていた。
すると背後で、
「あれ? 咲――……保科さん。どうしたんだい、こんなところで?」
龍生の声がし、振り向いてみると、都合の良いことに、龍生と菫が、並んで歩いて来るところだった。
咲耶は龍生には目もくれず、まっすぐ菫の前まで歩いて行き、
「楠木くんのお母様、申し訳ございませんっ!! 楠木くんが怪我をしたのは、私のせいなんです!! 本当ならあの枝は、私に落ちてくるはずでした。それなのに、楠木くんが直前に気付き、私を突き飛ばしてくれたから、怪我をせずに済んだんです。息子さんを身代わりにすることになってしまって……本当に、本当に申し訳ございませんでしたッ!!」
結太の時と同じように、その場で深々と頭を下げる。
「え……えぇ?……あ、あの~……」
菫はギョッとしたように目を見開き、重ねた両手を胸元に当てると、周囲の目が気になるのか、キョロキョロと周囲を窺った。
幸い、辺りに人影はない。
菫はホッと息をつき、咲耶の肩に手を置くと、恐る恐る話し掛けた。
「ねえ、あなた。……え……っと、保科さん……だったかしら? もう顔を上げて? そんなに気にしなくても、大丈夫よー? あの子、見た目は細っこいけど、結構丈夫なんだから。枝の一本や二本が当たったくらい、どーってことないわよー」
菫はアハハと笑ってみせるが、咲耶は顔を上げない。
「う~ん……困ったわねぇ……。ホントに、そこまで気にする必要ないのよ? 結く――いえ、結太だって、あなたを責めるようなことは、言ってなかったでしょう?」
「……はい。ユウく――……楠木くんは、一言も責めるようなことは……。それどころか、笑って許してくれました」
咲耶の答えを聞くと、菫は満足そうにうなずき、両手を腰に当てて胸を張った。
「ねっ、そうでしょ? それでこそ、私と将太さんの息子よ! ここであなたを責めるよーなこと言ったり、あなたが危ないってわかってたのに、助けなかったりしてたら、今すぐ飛んでって、あの子をブン殴ってるとこだったわ!」
そう言って、菫は片手を振り上げ、ボカーンと殴る仕草をしてみせた。
そしてまた、咲耶の肩と頭に手を置き、
「ね? だからもう、気にしないで? あの子がとっくに許してるのに、私が許さないってゆーのも、おかしな話でしょ?……本当に、あなたに怪我がなくてよかった。私、あなたを守ったあの子のこと、心から誇りに思うわ」
「……お母様……」
咲耶はようやく顔を上げ、正面から菫を見つめた。
菫はニコッと微笑んで、咲耶の両手を取り、ギュッと握る。
「はいっ。これでこの話は終ーわりっ♪――もしもこの先、あなたがまた、この話を持ち出して来たとしても、私は一切、聞く耳持ちませんからねー? それだけ、覚えていてちょーだいっ?」
菫の言葉に、咲耶は一瞬、泣き出しそうな顔をした。
だが、すぐに気持ちを切り替え、表情を引き締めると、コクリとうなずく。
菫は、『じゃ、私は先に、病室に戻ってるわねー』と言い置くと、廊下を歩いて行ってしまった。
咲耶は、菫が建物の角で左に曲がり、姿が見えなくなるまで見送ると、
「……素敵な人だ」
そこにはいない相手を想い、ポツリとつぶやく。
二人のやりとりを見守っていた龍生は、咲耶の隣に立ち、フッと笑った。
「――だろう? 活発で朗らかで、いつも前向き。性格は、結太とは似ても似つかない。見た目も、結太は完全に父親似だしね。……それなのに、やはり親子だなと、感心することも多々あるんだ。……不思議なものだけれど」
「そうだな。私も、『この話は終わり』って言葉に、ハッとしたよ。……さっき、楠木にも同じようなことを言われたんだ。ああ、親子だな……と思った」
「……そう。結太らしいな」
二人は沈黙したまま、少しの間、菫が歩いて行った方向を見つめていた。
咲耶は小さくため息をついてから、自分も病室に戻ろうと、一歩足を踏み出したのだが。
「保科さん。ひとつ訊いていいかな?」
ふいに、龍生が声を掛けて来て、咲耶は足を止めて振り返った。
「『ユウくん』――って、結太のこと?」
出し抜けに訊ねられ、咲耶の顔は、一瞬にして赤く染まる。
「ち――っ、違うッ!! 楠木のことでは――っ」
「結太ではないと言うなら、誰のことなのかな? 君は結太に向かい、やたらと『ユウくん』『ユウくん』と、呼び掛けていたよね?」
「う…っ!」
(こいつ……! 忘れたかったことを、よくも思い出させてくれたな!)
咲耶はギリギリと歯噛みすると、くるりと背を向け、
「そ――、そんなこと、おまえには関係ない!! 説明する義務もない!! 今後一切、その質問はするなっ!!――いいなッ!? わかったなッ!?」
そう念押しし、その場から逃げるように、廊下を駆けて行ってしまった。
不意を突かれた龍生は、『あ――』と発した後、しばらくその場に立ち尽くしていたのだが……。
やがて、やれやれとため息をつくと、肩をすくめた。
(素直に答えてはくれないだろう――とは思っていたが、まさか、逃げられるとはな。……それだけ、彼女にとって『ユウくん』とは、重要な位置を占める人物――ということなのか?)
瞬間的に、言いようのない怒りがこみ上げ、龍生は拳を強く握ると、思いきり壁を打った。
感情をむき出しにすることは、彼には珍しいことだったが……何故か今は、感情のコントロールが利かなかった。
「坊ちゃんっ? どうかなさったんですかっ!?」
ハッと我に返って振り向くと、東雲が、こちらに向かって駆けて来るところだった。
龍生は額に手をやり、軽くため息をつくと、
「――何でもない。おまえには関係のないことだ。気にするな」
「……は、はあ……。ですが――」
龍生の様子がいつもと違うことに気付き、心配になったのだろう。東雲は、尚も食い下がろうとした。
「いいから構うな。……おまえも、結太の様子を見に来たんだろう?」
「えっ?……あ、はい。まあ……」
「なら早く行くぞ。病室は向こうだ」
これ以上詮索されたくないと、龍生は早口で促す。
東雲は、それでもまだ、何か言いたそうにしていた。
しかし、龍生に答える気がないとわかると、諦めて彼の後ろにつき、のろのろと歩き出した。