第8話 結太の母、颯爽(?)と登場する
「ゲッ。……母さん」
仁王立ちの女性を目にしたとたん、結太はげんなりとした顔で視線をそらした。
「……〝母さん〟?」
桃花と咲耶が同時につぶやく。
二人は目を見開いて、戸口に立ったままの女性を、じっと見つめた。
彼女の名は、楠木菫。年齢四十歳。
結太の洩らしたセリフからもわかるように、彼の母親だ。
菫は、病室にいる人数が多いことに驚いたのか、しばらくポカンとした顔で突っ立っていた。
だが、すぐに我に返ると、
「あらあら、皆さんお揃いで。うちの愚息のために、もうこんなにお見舞いに来てくださったの? 悪いわねぇ~。――もうっ、結くんったら。落ちて来た枝が脚にぶつかって、怪我したんですって? まーったく、ドジなんだからー。どーせまた、ボーっとしてたんでしょー? すみませんねぇ、皆さん。ご心配お掛けしちゃってー」
ペラペラと話しながら病室に入って来て、ベッド脇の小さめのソファに、ドサッと荷物を載せる。
それから結太に近寄って、右手を手刀の形にすると、彼の頭をえいっと打った。
「イテッ!――ちょっ、何すんだよ母さん! オレは怪我人だぞ!?」
片手で頭を押さえ、思いきり顔をしかめて、結太が抗議する。
「うーるーさーいー。もーもーもーもーっ! どーしてっ、あんたってばっ、こーもっ、ドジっ、なのよっ? まーたっ、秋月さんにっ、メーワクっ、掛けちゃってぇっ!」
結太の抗議も空しく、菫は続けざまに、頭をチョップして来た。
「イテッ、イテッ!……くっ、イテーよ! イテーってッ! 怪我人にこーゆーことして、いーと思ってんのかよっ!?」
結太は両手で頭を押さえ、菫の攻撃をかわそうと、頭を前後左右に動かす。
だが、全く避けきれておらず、もろにダメージを食らっていた。
「なーにが怪我人よー? どーせ捻挫でしょー? 前に、骨折で入院した時よりゃーマシよー」
「な――っ! どーせって何だよ、どーせって!? それに、捻挫じゃなくて筋挫傷だッ!! すっげー痛かったんだかんなっ!?」
親子のやりとりを、成り行きでボーっと見守っていた龍生らだったが、いい加減、止めた方がいいのだろうかと、それぞれが思い始めた頃。
ふいに、菫が龍生を振り返り、
「龍生くーん、ごめんねー? まーた、あなたのお家に迷惑掛けちゃってー。連絡受けた時は、今度こそ、命にかかわるくらいの大事故起こしちゃったのかしらって、一瞬ヒヤッとしたけど……。ホーント、大したことなくてよかったわー」
などと言って、側に歩み寄って来た。
龍生は姿勢を正し、菫に向かって頭を下げる。
「この度は、大切な御子息に怪我を負わせてしまい、誠に申し訳ございませんでした。全て私の責任です。当然のことながら、入院、その他の手続きや、リハビリのサポート、今後必要になるであろう、ギプスや松葉杖などの費用全てを、秋月家が支払わせていただきます。他にも必要なものがありましたら、何なりとお申し付けください」
改まった口調の龍生に、菫はきょとんとしていたが、すぐにアハハと笑って、掌をヒラヒラと上下に振った。
「ヤーダ、やめてよ龍生くんっ。そーんな、今更改まってー。秋月家の方々には、昔っからお世話になり過ぎてるくらいなんだから、そんなの全っ然、気にしなくていいのよー。結くんのことなんて、いっそ下僕とでも思って、こき使ってくれても構わないのよー?」
(……ひ、酷い……)
怪我をしている息子の前で、『下僕とでも思ってこき使ってくれ』などと言う親がいようとは。
龍生を除く、その場の三人は、結太にそっと、哀れみの視線を送った。
「母さんっ!! いーからもー、早く帰ってくれよっ!」
皆の視線に耐えられず、真っ赤になって結太が大声を上げると、菫は再び寄って来て、
「まあ! まあまあ、この子ったら! 酷いわー。これから必要になるだろうと思って、替えの下着とか、体拭くための、大判で丈夫なウェットティッシュとか、水使わなくていいシャンプーとか、いろいろ持って来てあげたってーのに!」
いきなり何を思ったか、荷物から下着やタオルを取り出して、結太の頭や体やベッドの上に、次々と放り投げ始めた。
「ちょっ、バ――ッ! なっ、何やってんだよッ!? こんなもの放り投げんなよッ!!――はっ、早く仕舞えってッ!!」
結太はますます赤面し、大慌てで、届く範囲にある下着やタオルをかき集め、体で覆って隠した。
菫は仕舞うどころか、結太の手の届かない、足元にある下着を手に取り、
「あらあらー? こーんなところにもパンツがあったりしてー。……ンフフっ。ほーらっ。ほーらほらほらっ。これは隠さなくていいのかしらー? ウフフフフフフフッ」
わざとらしく笑いながら、ひらりひらりと振ってみせる。
「わーーーーーッ!! バカッ!! やめろッ!! どーゆーつもりだこのクソババアッ!!」
思わず口を衝いて出てしまったのだろう。
普段の結太は、女手一つで育ててくれた母親に対し、こんな汚い言葉は、絶対に言ったりしないのだが……。
言ってしまったことは、もう〝なかったこと〟には出来ない。
結太が発した〝クソババア〟に、菫はピクリと反応した。
「へ~~~え、〝クソババア〟……。今、〝クソバアア〟って言ったのかしら? この、他人に迷惑掛けてばっかりの、ぐうたら息子が? 私のことを?……そう。へぇ~~え。……ふぅ~~~ん。あっ、そう。ふぅう~~~~~ん……」
菫の目が据わっている。
結太の背に、ツー……っと、冷たい汗が伝った。
(……ヤベエ。これは本気だ。本気で怒ってる目だ……)
結太が反撃を覚悟した瞬間。
意外にも、菫は結太から目をそらし、呆然と親子のやりとりを眺めるのみになっていた、桃花と咲耶の方に向き直った。
「――ま、うちのバカ息子は放っとくことにしてぇー。……あなた達、結くんの同級生? 二人共、芸能界からスカウトされまくりなんじゃないかって思えるほど、綺麗で可愛らしいお顔してるけどー……」
ニコニコ笑いを浮かべて近付くと、同時に二人の手を取り、小首をかしげて訊ねる。
「――で? 結くんの本命さんはどちら? 大輪の真紅……うう~ん、違うかしら。大輪の白薔薇……そう、白薔薇ね! 白薔薇や牡丹なんかがお似合いの、スタイル抜群のあなたかしら? それとも……ピンクのガーベラやチューリップなんかの、可愛らし~~~いお花は全て似合っちゃいそうな、小柄で華奢なあなた?――ねっ、どちらが結くんの恋人候補なのっ? それとももう、付き合っちゃったりしてる? ねえねえっ、早く未来のお義母様に教えて? お、ね、が、いっ♪」
当て付けるがごとくの母親の嫌がらせに、とうとう我慢ならず、結太はぶるぶると震えながら叫んだ。
「おまえもーーーっ、用が済んだらとっとと帰れぇええッ!! こんっのクソババアがぁああああーーーーーーッ!!」