第7話 龍生ら、騎士候補の元へ急ぐ
迎えに来てくれていたのは、いつも龍生の送り迎えを担当している、安田という運転手だった。
安田は、見た目はとても穏やかそうな、真面目一筋といった印象の男だ。
歳は、四十前後くらいだろうか。
背はそれほど高くなく、痩せてはいるが、意外とがっしりとした体格のように思われた。
その安田が、車のドアを開けて待っていてくれたのだが、咲耶の姿を目にしたとたん、ハッと息を呑んだ。
だが、彼が表情を変えたのは、ほんの一瞬のことであったし、それに気付いたのは桃花だけだったので、龍生も咲耶も、すぐさま車に乗り込んでしまった。
「桃花、どうした?」
桃花が乗り込んで来ないのを訝しみ、咲耶が車内から声を掛ける。
桃花はその声で我に返り、慌てて車に乗り込んだ。
「どうしたんだ? 気になることでもあるのか?」
咲耶に訊ねられたが、桃花はふるふると首を振った。
一瞬感じた違和感程度のことで、咲耶の気を煩わせるのも嫌だった。
(きっと、咲耶ちゃんがあまりにも美人さんだから、ビックリしちゃったんだよね。咲耶ちゃんほど綺麗な人、なかなかいないもの)
桃花は自分を納得させ、前を向いた。
その時感じた違和感も、すぐに結太の心配の方へと意識が移り、いつの間にか忘れてしまった。
その後、車内ではずっと沈黙が続いた。
しかし、それぞれが結太の身を案じ、物思いに沈んでいたため、会話がないこと自体は、それほど気にならなかった。
とにかく、一分でも一秒でも早く、病院に着きたかった。結太の状態を確認し、安心したかった。
その想いだけが、三人の共通する想いだった。
病院に着き、三人がロビーに入って行くと、鵲が素早く寄って来て、結太の病室を告げた。
「もう病室に収容されているということは、検査や手術は済んでいるんだな?」
病室に向かいながら訊ねる龍生に、鵲はうなずき、ちょうど来たエレベーターに乗り込むと、開閉ボタンの〝開〟を押した。
三人が乗り込んだのを確認した後、〝閉〟ボタンを押し、結太の病室のある階を押す。
「検査の結果、ギリギリのところで、手術は必要ないとのことでした。骨にも異常はなかったようです。ただ、打撲により、筋肉が損傷を受けてしまっているので、二週間程度の入院が必要とのことでした」
「二週間!? その程度で済んだのかっ? 本当に、骨に異常はなかったんだな? 歩けなくなるなんてことは、絶対にないな?」
咲耶が早口で訊ねると、鵲は微笑み、力強くうなずいた。
「はい。痛みや腫れは数日で引くそうですし、歩けなくなるなどということはありません。運動が出来るようになるのは、三ヶ月ほど先ということでしたが、歩く程度でしたら……まあ、松葉杖を使用し、歩行ギプスも付けなければなりませんが、数日で可能になるそうです」
心底安堵したように咲耶が笑みをこぼし、
「そうか。……よかった」
龍生がつぶやいたところで、エレベーターが開いた。
「病室はこちらです」
鵲が先に立って歩き出し、三人も後に続く。
しばらく歩いて、ある病室の前で足を止めると、鵲が三人を振り返り、『結太さんは、こちらにいらっしゃいます』と告げた。
龍生は軽くうなずき、引き戸を開ける。
「結太、入るぞ」
ベッドの上の結太は、脚を固定する装置のようなもので両脚を吊られ、横たわっていた。
窓の外を眺めていたらしい結太は、くるりと振り向き、皆の姿を認めると、照れ臭そうに笑って頭を掻く。
「いやー。あんだけ大騒ぎしといて、中症度の筋挫傷だってさ。恥ずかしーよなー。……けど、マジで死ぬほど痛か――っ、たあっ!?」
最後まで言い終わらないうちに、咲耶が駆け寄って来て、結太の首に手を回し、思いきり抱きついて来た。
「――へっ!?」
当然、結太はギョッとし、驚きの声を上げる。
龍生も桃花も、そして鵲も、咲耶の行動に唖然として、その場で足が止まってしまった。
「よかった! おまえが無事で、本当によかった!……私は……おまえにもしものことがあったら、私は……っ」
声が、微かに震えていた。
咲耶が、人前でここまでの弱さを見せるのは、初めてのことではなかったか。
龍生も桃花も、複雑な想いを抱きつつ、咲耶の後姿を見つめていた。
「え……えっ? あ、あのっ、……保科さ――っ?」
驚きが通り過ぎると、結太は俄かに焦り出し、咲耶と桃花の間で、オロオロと視線をさまよわせた。
まさか、咲耶から抱きつかれるとは、思ってもみなかった。
しかも、桃花の目の前で。
普通の男であれば、美人に抱きつかれたら、嫌な気などしないだろう。
だが、結太の場合は違った。
目の前に、片想い中の相手がいるのだ。『美人に抱きつかれてラッキー♪』などと、呑気に喜んではいられない。
桃花に誤解されたらどうしようと、そのことばかりが気になって、生きた心地がしなかった。
一瞬、咲耶を突き飛ばそうかとも思ったが、さすがに、そんな乱暴なことは出来ない。
咲耶は桃花の親友なのだ。
誤解されるのは絶対に嫌だったが、かと言って、『突き飛ばすなんて酷い』と、桃花に嫌われるのも怖かった。
「え……っと、あの……。そ、そんな心配してくれなくても、ダイジョーブだってっ。もーホント、マジで問題ねーからっ! だからっ、その……い、イテーから離してくれっ!!」
実際は痛くなどなかったが、早く離れてほしい一心で、結太は思わず嘘をついた。
咲耶は勢い良く体を離すと、『すっ、すまん!』と詫びて、飛び退る。
気まずい空気が、しばらくの間流れた。
べつに悪いことをしたわけでもないのに、妙に落ち着かない気持ちで、結太は、病室のあちこちに視線を走らせる。
ただでさえ、半日もの間、咲耶と無人島で二人きりだったのだ。『何かあったのでは?』などと、勘繰られたらどうしようと、ヒヤヒヤしていた。
まだ、桃花の誤解すら解いていない。これ以上、問題をややこしくしないでほしいと、泣きたい気分だった。
――と、その時。
バタバタと、廊下で大きな音がした後、ガラッと引き戸が開かれたかと思うと、
「結くん、無事っ!? ちゃんと生きてるッ!?」
両手に大荷物を下げた、三十代後半~四十代前半らしき女性が、息せき切った様子で、戸口に仁王立ちしていた。




