第5話 龍生と咲耶、気まずく沈黙する
咲耶を落ち着かせた後、龍生はすぐさま、龍之助に連絡を入れた。
病院の手配と、秋月家所有の場外離着陸場から、結太を病院へ届けるための、運転手と車の手配も、同時に要請する。
これで一先ず、結太の病院への受け入れ態勢は、整ったと言えるだろう。
連絡を終えた後、龍生と咲耶は、砂浜へと移動した。
ヘリが戻って来た時、すぐに乗り込める場所にいた方がいい――との龍生の意見に、咲耶も同意したからだ。
砂浜には、大きめのリュックと、宝神手製のおにぎりやサンドウィッチの入ったバッグが、二つ残されていた。
いつ戻って来られるかわからないので、二人のために、東雲が置いて行ってくれたのだろう。
とりあえず、二人は並んで、砂浜に腰を下ろした。
あんなことがあった後だ。互いに気まずい。
なるべく視線を合わせないよう、別々の方向に顔を向ける。
特に龍生は、咲耶が覚えていないにしろ、告白めいたことをしてしまったのだ。
取り返しのつかないことをしたと、内心落ち込んでいた。
咲耶は咲耶で、結太のことを考えていたら、だんだんと、事故後の記憶が蘇って来ていた。
何という失態を演じてしまったのかと、今更ながら蒼くなる。
それぞれが、己の言動を後悔していた。
気持ちがかなり下降していて、声を掛けることも出来ない。
(ああああ……っ! 何故に私は、楠木のことを『ユウくん』などと……。いやっ、しかし、ユウくんは楠木のことではないっ……はずだ。……そのはず、なんだが……)
沈黙している間に、咲耶は、幼い頃に自分の身に起こったこと――〝ユウくん〟と過ごした日々を、少しずつ思い出していた。
〝ユウくん〟とは、咲耶が幼い頃に出会い、短い期間ではあったが共に遊んだ、同い年くらいの男の子のことだ。
〝ユウくん〟と出会う数日前。
咲耶と両親は、妻に先立たれて気落ちしていた祖父を、放っておくことも出来ず、同居するため、引っ越して来たのだった。
その頃の咲耶は、見た目も性格も、現在とはかなり違っていた。
現在の咲耶しか知らない人が見たら、別人と思ったかもしれない。
現在の咲耶は、髪が腰辺りまであり、体の凹凸もハッキリしている。
おまけに、見た目だけなら〝良家のお嬢様〟と言っても通用する、上品で美しい顔立ちだ。
だがしかし。
性格と言葉遣いは、どちらかと言えば男性に近い。お世辞にも、〝女性らしい〟とは言えないだろう。
それに比べて、幼い頃の咲耶は、髪は短く、肌は日に焼けて浅黒く、服装もTシャツにショートパンツという、見るからに男の子っぽい格好をしていた。
性格は、決して大人しくはなかったものの、ちょっとしたことですぐに泣いてしまう、相当な泣き虫だった。(泣き虫だなどと、今の咲耶からは全く想像出来ないが、事実なのだから仕方ない)
とにかく、咲耶が泣き虫だった頃に知り合い、少しの間遊んだ男の子。
それが『ユウくん』だった。
ユウくんが、どんな顔をしていたかは、全く覚えていない。
それでも、出会ったばかりの咲耶に、とても優しくしてくれたことだけは、ハッキリと思い出せた。
そして、もうひとつ。
何度も何度も、脳裏に浮かんで来てしまうほどに衝撃的な、ある出来事を思い出した。
それは――彼が自分を庇って、怪我をしてしまったということ。
それも、大量の血が流れるほどの大怪我を。
結太が庇ってくれたから、自分は助かったのだ。
そう覚った瞬間、咲耶の脳裏に浮かんだのが、〝ユウくんが庇ってくれた〟という事実――遠い日の出来事だった。
何が原因だったのかは、わからない。それだけは、どうしても思い出せなかった
だが、ある時、何らかの原因により――咲耶の目の前で、ユウくんが血だらけになって倒れたのだ。
その時の記憶が、一気に、川の激流のように流れ込んで来て……。
それがあまりにも鮮明だったため、記憶が混ざり合い、混乱し――一時的にではあるが、幼少期に戻ってしまったのだろう。
幼い頃の自分も、血だらけのユウくんに驚き、ただただ恐ろしくて――泣きながら、『ユウくん、死なないで!』と叫んでいた。
引っ越して来てから初めて出来た、大切な友達。
その子が、どうしてかはわからないが、血だらけで倒れている。
怖くて……悲しくて。涙が枯れるまで泣き続けた。
幼い頃の辛い記憶を、一度に思い出したのだ。混乱し、泣き出してしまったとしても、無理はない。
あの時の自分は、幼い日の自分だ。今の自分ではないのだから、泣いたって許されるはずだ。
そうやって、さっきから何度も何度も、咲耶は自分に言い聞かせていた。
(……だが……それにしたって……。『ユウくん』を連呼し、泣きじゃくる――というのは、あまりにもキツ過ぎる……)
キツイ……と言うより、イタイ。
あんなところを目にしたら、誰だって引く。……いや。ドン引きするに決まっている。
――そうだ。誰だってドン引きする。
あまりにもイタ過ぎる場面を、よりにもよって、一番見られたくない人物――龍生に目撃されてしまうとは!
(あぁあ~~~ッ!! いっそ、忘れたままでいたかったぁあぁあ~~~ッ!! 何故に思い出してしまったんだ私はぁあぁあぁあ~~~~~ッ!!)
砂浜で膝を抱えていた咲耶は、頭を垂れたまま、大きく首を横に振った。
恥ずかしい。
恥ずかし過ぎて、隣に座っている龍生の方へ、一ミリたりとも、顔を向けることが出来ない。
しかし、恥ずかしくて顔を向けられないのは、龍生も同じだった。
その後も、二人は一切目を合わせることのないまま、数十分が経過した。
ぐりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……。
突如。
沈黙に終止符を打つ、なかなかに大きな音が響いた。
「……ん?」
反射的に、龍生が咲耶の方を向くと、真っ赤な顔でうつむいていた咲耶が、キッと龍生を睨み付ける。
「な、何だ!? 腹が鳴って悪いかッ!?――しっ、仕方ないだろう!? 朝から、小さなクッキーを一つだけしか食べてないんだ!! そりゃあ腹も空くだろうがッ!! そうだ空かないわけがないッ!! 空いて当然だ文句あるかぁああッ!?」
早口でまくし立てられ、龍生は一瞬きょとんとしたが、すぐにプフッと吹き出した。
「な…っ、なななななな何がおかしいッ!? 人が空腹で辛い思いをしているのが、そんなにおかしいのかッ!?」
拳を握り、悔しそうに顔を赤らめている咲耶の目には、うっすらと涙が滲んでいる。
その顔が、龍生にはとても可愛らしく思えて……気がゆるみ、笑みがこぼれてしまったのだ。
当然、おかしくて笑ったわけではない。
「フフッ。……いや、すまない。あまりにも必死に、言い返して来るものだから。……そうだね。お腹が空くのは当然だ。今まで気が付かなくて、申し訳なかった」
龍生は素直に謝ると、東雲が置いて行ってくれたバッグを開き、宝神特製のおにぎりとサンドウィッチ、数種類のおかずが入った二段の重箱、紅茶の入った水筒などを取り出した。
気の利いたことに、バッグの底には、手を拭くための除菌ウェットティッシュまで入っている。
「少し遅くなってしまったけれど、朝食にしようか。宝神が作ったものだから、味は保証するよ?」
〝朝食〟と聞いたとたん、咲耶の瞳が爛々と輝いた。