第3話 駆けつけた東雲、緊急事態に絶句する
様子のおかしい咲耶に、どう接すればいいのか、龍生が決め兼ねていると。
連絡を受けて駆け付けて来た東雲が、ぬかるみに足を取られそうになりながら、険しい顔で、こちらへ走り寄って来た。
「坊ちゃん! これはいったい――!?」
龍生同様、混乱しているようだ。
結太と咲耶の異常な様子を目の当たりにし、愕然とした様子で突っ立っていた。
だが、すぐ我に返ると、咲耶に目を留め、
「……『ユウくん』……?」
眉根を寄せ、訝しげにつぶやく。
続けて、何かつぶやいたようにも思えたが、龍生には聞き取れなかった。
「東雲! 何をボーっとしている!? 結太が脚を負傷したんだ! 鵲が来たら、二人でヘリまで運んでくれ!」
東雲はハッとしたように龍生に目を向けると、『は、はいっ!』と返事して、再び動き出した。
素早く龍生の隣に移動し、膝をつく。
うつ伏せのまま呻いている結太の背に、気遣うように手を添えると、深刻な顔で龍生を振り返った。
「坊ちゃん。結太さんの脚は、どんな具合なんです?」
「詳しくはわからん。落下した枝が、脚を直撃したようなんだが……。もしかしたら、骨を折っているかもしれない。見た目ほど重い枝ではなかったが、かなり上から落ちて来たとすると、相当な衝撃だろう。打撲だけで済んでいればいいんだが……。骨折となると、完治までに、数ヶ月の時間を要するからな」
「……はい。そうですね……」
二人が話している間にも、咲耶は取り乱し続けていた。
龍生達の向かい側にしゃがみ込み、ひたすら、結太に『ユウくん』と呼び掛けている。
当然のことだが、東雲も気になったのだろう。ちらちらと、横目で咲耶を窺いつつ、龍生に訊ねた。
「あの~……保科様は、どうなさったんですか? ご様子が、昨日とはかなり違っていらっしゃるようにお見受けしますが……。それに、『ユウくん』とは? 結太さんのこと……なんでしょうか? そんな呼び方、なさってましたっけ?」
「……さあ。俺の知る限りでは、呼んでいなかったと思うが。俺がここに着いた時には、既にこの状態だった。二人でいる時に、何かあったということだろう。しかし……事情を知りたくても、この様子ではな。聞き出すどころではない。結太に訊ねるにしても、今は無理だ。相当痛みが激しいらしい。ここに着いた時から、ずっと呻いている」
「そう、ですか……。そう……ですよね……」
――気のせいだろうか。
先程から東雲は、何か考え込んでいるように見える。
龍生は怪訝な表情を東雲に向け、詰問口調で訊ねた。
「おい。おまえも、ここに来た時からおかしいぞ。何か引っ掛かっていることでもあるのか? あるんだったら、正直に言え。これ以上問題を増やすな!」
東雲は、ビクッと肩を揺らした後、困ったように、口をへの字に曲げた。
「いえ、あの……それが……。俺にも、うまく説明出来ないんですよ。ただ、保科様のご様子を目にしたとたん、ふっと、何かを思い出しそうになって……」
「思い出す?……何をだ?」
「はあ……。それが、よくわからんのです。ずっと、何かが……胸ん中で、モヤモヤしてる感じで……。それが何なのか、どうしても思い出せなくて……」
「咲耶を見て、思い出せそうな〝何か〟……?」
その時。
龍生の脳裏に、あの出来事がよぎった。
東雲と自分に共通する、あの出来事。遠い日の記憶――……。
「……もしや、あの時のことか?」
「え?……坊ちゃん?」
東雲は龍生をじっと見つめ、首をかしげる。
龍生は、続けて何か言おうと口を開いたが、
「坊! 鵲、只今到着しました! 遅れてしまって申し訳ありませんっ!」
慌てた様子で鵲がやって来て、会話は中断された。
東雲の方の問題も気になるが、今は、それを追究している場合ではない。
「よし! 来てもらってすぐで悪いが、東雲と協力して、結太をヘリまで運んでくれ! 骨を折っているかもしれないから、慎重に。丁寧にだ!」
「あ、はいっ! 承知しましたっ!」
東雲と鵲は、うつ伏せの結太の体を、二人掛かりで、ゆっくりと仰向けにした。
骨を折っていた場合、ズレてしまわないように、まっすぐな状態で固定することが大切だと、どこかで耳にしたことがあったので、まずは脚に添えるための、まっすぐな木の棒を探す。
幸い森の中だ。ちょうど良さそうな枝は、そこらじゅうに落ちていた。
念のため、東雲の持っていたライターで、拾った木の表面をあぶり、煮沸消毒の代わりとする。(かなり雨が降った後で、枝は湿っていた。この程度では、気休めにもならないだろうが、やらないよりはマシと思おう)
結太のすねに木を添え、鵲に背負わせていたリュックの中(二人がどのような状態かわからなかったので、必要になりそうなものを詰め込んで来たのだ)から、数枚のタオルを取り出す。
それで上方と下方とを、きつ過ぎず、ゆる過ぎない程度に結んだ。
仕舞いは、簡易担架だ。
太くて長く、まっすぐで、丈夫そうな木の棒を、二本探す。
それを平行に並べて置き、洋服五枚(結太と咲耶のために用意してきた、着替えのシャツ二枚、龍生がシャツの上に重ねて着ていたジャケット一着、東雲と鵲のジャケット二着を使用した)のボタンを全てはめたまま、両側から袖を通して行けば、簡易担架の出来上がりだ。
その上に結太を乗せ、足側を先頭にして、東雲と鵲に運んでもらう……のだが。
龍生達が作業をしている間にも、咲耶は周りで、『ユウくん、死なないで!』『ユウくんに何するの!?』『ユウくん、大丈夫!? ユウくん!』と、一人で大騒ぎしていた。
龍生はため息をつき、
「東雲、鵲。保科さんは俺に任せて、先に行ってくれ。数分経っても追いつかなかった場合は、俺達を置いて、病院に向かってくれて構わない。――どこの病院かは、わかっているな?」
「はい。龍之助様の御友人が経営しておられる、あの病院ですね?」
「そうだ。当主には、俺から連絡しておく」
当主――龍之助の電話番号は、龍生には知らされていなかったのだが、緊急事態ということで、ここに来る前に、二人から聞き出していた。
龍之助には、直ちに連絡を入れ、既に許しも得ている。
『事後報告になってしまい、申し訳ありません。緊急事態ですので、どうかお許しください』
龍生が詫びると、
『なに、構わんとも。実は、こうしてわざわざ訊かれずとも、おまえが高校に上がった時、教えるつもりでいたのだ。それを、すっかり忘れておってな。ハッハッハ。すまんすまん』
一瞬言葉を失うほど、軽いノリで返された。
内心、『緊急時とは言え、断りもなく聞き出すとは何事だ!』と叱られることも覚悟していのだが……。
意外にもあっさりと許され、一気に脱力してしまった。
龍生は、『まあ、そのお陰で、気持ちが軽くなったのも確かだが。……まったく。お祖父様には敵わないな』と思いながら、
「では、行ってくれ。――鵲。東雲。結太のこと、よろしく頼む」
二人の目を、まっすぐ見つめて告げる。
「はいっ!!」
同時に返事した後、二人は結太を簡易担架に乗せ、急ぎつつも慎重に、ぬかるんだ道を歩いて行った。
咲耶も後を追おうと駆け出したが、龍生は素早く手首を掴み、引き留める。
「――っ! 何するのっ!? 離してッ!! ユウくんが行っちゃう!!」
「いいや、離さない。君はここに残るんだ」
「どーしてっ!? わたしはユウくんの側にいるのッ!! 邪魔しないでッ!!」
「ダメだ!……ついて行ったところで、君に何が出来る? 邪魔にしかならないということが、わからないのか?」
「ヤダッ!! ユウくんのとこにいくの!! ユウくんユウくんユウくんユウくんッ!!」
……まるで駄々っ子だ。
連呼される『ユウくん』に、龍生は思わずカッとなった。
「いい加減にしろッ!!――君はもう、泣き虫だった頃とは違う! 常に凛としていてまっすぐな、保科咲耶だろう!? 現在の君を辱めるような、みっともない真似はするなッ!!」
龍生に大声でたしなめられ、咲耶はビクッと肩をすくめた。
叱られて、しょげ返った幼子のような顔つきで、じっと龍生を見つめ返す。
「泣き虫じゃ……ない……? りんとした……咲耶……?」
「そうだ。君は咲耶。保科咲耶――」
厳しい顔つきを和らげ、龍生は咲耶を胸元に抱き寄せると、
「俺が惹かれてやまない、ただ一人の女性だ」
切なげな声で、そっとささやいた。




