第13話 結太、大波乱の夜を越え穏やかな朝を迎える
翌日。
うつ伏せのまま目を覚ました結太は、のろのろと寝返りを打ち、仰向けになった。
昨夜は、眠れない夜を過ごす覚悟をしたはずだった。
しかし、結局眠気には勝てず、いつの間にか、眠ってしまったようだ。
慣れない姿勢で眠っていたせいで、体中が痛い。
夜はあまり気にならなかった、体中に巻かれた新聞紙はガサガサするし、その上から被せられたポリ袋は、シャカシャカとうるさい。
結太は上半身を起こし、辺りを見回した。
……咲耶はどこにいったのだろう?
ログハウスの中に、彼女の姿はなかった。
ふと視線を床に移すと、結太が昨日着ていた服が、たたんで置いてある。
手に取り、袖や裾を触ってみたら、少しだけ湿っていた。
(……ま、着れねーほどじゃねーよな。こんくれーなら、着てるうちに体温で乾きそーだし。……保科さんが、ここまでしてくれたんだよな。昨夜はムチャクチャな人だなって、呆れちまってたけど……あの人がいてくんなかったら、オレ、マジで死んでたかもしんねーんだ……)
そう考えたら、昨夜、〝豚の丸焼き(咲耶は『豚《肉》の丸焼き』と言っていた)〟にされて、食べられそうになった(咲耶の夢の中で、だが)ことなど、大したことではない気がして来た。
……いや。
むしろ、『ご馳走を食べる夢を見ていたらしい咲耶に、寝惚けて噛み付かれた』などということが、彼女のファンにバレたら、無事では済まないかもしれない。
(……噛まれたことは、ぜってー秘密にしよう)
強く心に誓ったが、結太は気付いていなかった。
彼の後ろの首元には、クッキリと、咲耶の歯形が残されていたことを……。
結太は、咲耶が被せてくれたポリ袋を、体から全て外し、巻いてくれた新聞紙を取り去ると、ゴミ箱として使用していたらしい、一斗缶に捨てた。(分別しなければいけないのはわかっているが、ここにはこれしかない。とりあえず、一緒のところに捨てておくことにする)
一斗缶の中には、咲耶の体に巻かれていたらしい新聞紙と、ポリ袋も入っていた。
――ということは、咲耶は、とっくに元の服に着替え、外の様子を見に行っているのだろう。
着替え終わってから、結太は窓辺へと近寄り、外を窺ってみた。
昨夜の荒れ模様が、嘘のように静まり返っている。木々の隙間からは、爽やかに晴れ渡った空が見えた。
ドアを開け、咲耶が近くにいないか、周囲を窺ってみたが、どこにもいない。
「ホントにどこ行ったんだ、あいつ……?」
つぶやいて、ドアを閉める。
すると足元に、昨日、東雲から渡されたリュックが、無造作に置かれているのを発見した。
腕を伸ばし、持ち上げてみる。
雨がたっぷり染み込んでしまったためか、かなり重く感じられた。
結太はリュックを逆さにし、中に入っている物をぶちまけた。
個別包装されたクッキーやキャンディー、未開封のポケットティッシュなどが、バラバラと床に落ちる。
「あー、そーだった。クッキーがあったんだよな。昨夜は死にそーになってたから、そこまで頭回らなかったぜ」
それらを拾い上げながら、『量はそれほどねーけど、これで朝食は問題ねーな』と、結太は胸を撫で下ろした。
すごくお腹が空いていたので、今すぐにでも食べたかったが、咲耶に断りなく、一人で食べるわけにも行かない。戻るまで待つことにした。
しかし、いつ戻って来るかわからない。
軽いストレッチでもして、空腹を紛らわせようと、結太は体を動かし始めた。
「うぅ…っ。体が、なんか……あちこち、イテーな……」
それはそうだろう。
咲耶は体は細いが、結構上背がある。その分、小柄な細め女子よりは、体重もそこそこあるのだ。
その咲耶が、一晩中上に乗っていたのだから、体だって悲鳴を上げるはずだ。
「……うん……まあ……、もーいっかな。急に動かし過ぎるのも、よくねーし……」
結太はそうつぶやくと、早々にストレッチを終了した。――どうやら、痛みに負けたらしい。
残念ながら結太には、自分の体を苛め抜いて、バッキバキの筋肉を作り上げる、ボディビルダーになる素質はないようだった。
――まあ、桃花は筋骨隆々の体つきの男性には、どちらかと言えば、見惚れるよりも、恐怖を感じてしまうタイプだ。
彼女の受けを考えるのであれば、あまり鍛えない方がいいのかもしれない。
「あーーーっ、それにしても暇だな! オレも、外の様子でも見に行ってみっか!」
結太のような現代っ子には、スマホもPCもない空間で、長時間過ごすというのは、かなりの苦痛を伴うことなのだろう。
個別包装のクッキーを幾つか掴み、ハーフパンツのポケットに突っ込むと、結太はドアを開けた。
「おっ、楠木! 目が覚めたのか!」
とたん、十数メートル先の森の小道から、咲耶がひょっこりと姿を現し、駆け寄って来た。
咲耶は結太の前で足を止めると、
「もうすぐだぞ、楠木! もうすく迎えが来る!」
息を弾ませ、嬉しそうにニコリと笑う。
「朝起きたら、ヘリの音が聞こえてな。慌てて、そこら辺を見に行ってみたんだ。でも、砂浜までは結構掛かりそうだったから、諦めて引き返して来た。――だが、ヘリは着いてるわけだし、あいつらも、ここの存在は知ってるんだろうから、ここで待っていれば、必ず迎えは来るはずだ! もう大丈夫だぞ。安心しろ!」
興奮気味にたたみ掛けられ、結太は目をぱちくりさせた。
ホッとするより先に、『朝っぱらから元気だな』と、感心してしまったのだ。
だが、咲耶のこのパワフルさがあってこそ、自分は救われたのだろうなと、改めて思う。
「ああ、よかったな。……それから、昨夜はホントに世話になった。改めて礼を言わせてくれ。ありがとう、保科咲耶さん。あんたのお陰で、オレは死なずに済んだ。この恩を、どうやって返せばいいかは、まだわかんねーけど……。でも、何か困ったことがあったら、いつでも言ってくれ。オレに出来ることなら、何でもする」
戻って来るなり、結太に真剣な顔で礼を言われ、咲耶は驚くと同時に、妙に照れ臭くなってしまった。
プイッと顔をそらせると、
「な…っ、何だいきなり? 昨日も言ったが、私は出来ることをやっただけだ。べつに、大したことはしていない。礼を言われることなど……」
そう言った後、小声で、『寝惚けて、首元に噛み付いてしまったようだしな』とつぶやいたが、結太には聞こえなかったらしい。『ん?――何て言ったんだ?』と訊ねられてしまった。
「なっ、何でもない!……と、とにかく、そこまで深刻に捉える必要はない。気にするな。大袈裟にされると、かえって迷惑だ」
昨夜の自分の大失態を思い返され、ツッコまれては堪らない。
咲耶は慌てて話をそらした。
「……ん、まあ……あんたがそーゆーんなら、これ以上は言わねーけど」
「そうだ、言うな! もう言うな二度と言うな! この話はこれで終わりだっ!」
「……あ、ああ……。そーか、わかった」
礼を言われるのが、そこまで迷惑なのだろうか?
結太はますます、咲耶を『変なヤツ』認定したが、決して、嫌いな意味での『変』ではなかった。
とにかく、ここで待っていさえすれば、東雲か鵲か、または龍生かはわからないが、誰かが迎えに来るのだろう。
結太は、木々の間から覗く青空を見上げ、『大波乱の夜だったなぁ』としみじみ思いながら、大きく伸びをした。