第11話 結太、咲耶に押し切られ嫌々抱き枕になる
結太の絶叫を、きょとんとした顔で聞いていた咲耶は、
「すごいな楠木! もう、そんな大声が出せるほど回復したのか!」
感心したように告げた後、ニッコリと微笑んだ。
咲耶の反応に結太は呆れ、堪らずにツッコむ。
「いやっ、違ーって! 問題はそこじゃねーだろっ!?……おまえなぁ、どーゆー神経してんだよ? 一応女だろ?」
「な…っ! 失礼なヤツだな。一応じゃなく、正真正銘の女だ!」
(……いや、だからさー……。そー思うんなら、フツーは言わねーよな? 男の『隣に寝かせてもらえないか?』なんて……)
咲耶の返答に、更に呆れた結太は、心の中で感想を述べたが、当然、咲耶には聞こえるはずもなく。
「仕方ないだろう? おまえの体を温めるために、新聞紙はほとんど使ってしまったんだ。五部あったうちの最後の一部も、さっき、私の防寒着と、服を乾かすために使ってしまった。もう、床に敷く分も体に掛ける分も残ってないんだ! 私に、この冷たい床に、直に寝ろと言うのか!? 上に何も掛けずに、震えて眠れというのか!? そんなことになったら、今度は私が低体温症で倒れるかもしれんが、その時はおまえ、ちゃんと助けてくれるんだろうな!? 命の危機に晒さずにいてくれるんだな!? それなら私だって文句はないさ。この寒い中、何も敷かず何も掛けず、寒さ堪えて眠ってや――」
「あーーーっ、わかった! わかりましたごめんなさいっ!! オレが悪うございましたっ!! 狭いとこで窮屈でしょーが、どーぞ隣で眠ってくださいッ!!」
矢継ぎ早の攻(口)撃に耐えられず、結太は早々に降参し、渋々ではあるが、咲耶の要望を受け入れた。
咲耶は『うん』とうなずくと、
「じゃあ、遠慮なく寝かせてもらうぞ。おまえの状態が戻らなかったら、一晩くらいは我慢して、寝ずの番をしてやろうかとも思っていたんだが……。もう、大声出せるくらい元気になったみたいだし、問題ないよな?……ハァ。とにかくよかった。これでゆっくり眠れる」
(眠るのかっ!? 眠れんのかこの状況で!?……ほんっと、マジでどーゆー神経してんだ、こいつ?)
布団代わりの新聞紙の集合体をめくり、モゾモゾと結太の隣に入って来た咲耶を、珍しい生き物を見るような目つきで見やりながら、結太は呆れ返っていた。
確かに、やむを得ない状況ではあるが――。
……いや。それにしたって、無邪気過ぎるだろう。
少しは緊張するとか、恥ずかしがるとか……女性であれば、〝ためらい〟の感情を見せてもいいような気がする。
今時、『女らしさ』とか『男らしさ』とか言い出したら、様々な方面から、抗議されてしまうのかもしれない。
だが、桃花のような、ほんわかとした印象の、控えめな女性が好みである結太にとって、咲耶のような、サバサバとした男勝りなタイプは、どちらかと言えば苦手だった。
可能であれば、常に、距離を置いておきたい対象なのだった。
それでも、そんな結太の気持ちなど、全くお構いなしの咲耶は。
しばらくの間、横を向いたり、仰向けになったり、また横を向いたりと、落ち着かない様子だった。
そして、『う~ん。やっぱり狭いな』とつぶやいたかと思うと、
「楠木。おまえを抱き枕だと思って、抱きついて寝てもいいか?」
などと、耳を疑うようなことを言い出した。
結太は、ギョッとすると同時に、ゾクッとしてしまった。(この場合の『ゾクッと』は、興奮した意味での『ゾクッと』とは異なる。恐怖の方の『ゾクッと』だ)
「はああああーーーーーッ!? な、何言ってんだあんた!? 正気か!?……い、いーわけねーだろっ、バカも休み休み言えよなッ!?」
「ばっ――、バカとはなんだバカとはッ!? 私だってなぁ、本当はおまえなんかに、抱きつきたくはない!!――抱きつきたくないっ……が、仕方ないだろう!? 狭いんだよ!! ただ隣で寝ているだけでは、脇から冷気が入って来て、寒いんだッ!!」
「だ――っ!……だからって、そんな……。お、男と、女が……抱き合って、とかは……」
モゴモゴと結太が反論すると、咲耶の顔は、たちまち鬼のような形相へと変貌した。
「はああッ!? 誰と誰が〝抱き合う〟だってぇ!?――私は、〝抱きついて〟いいかと訊いたんだ! 〝抱き合う〟なんてことは、一言も言ってない! ふざけるなッ!!」
「……え?……だって、抱きつくってことは……」
〝抱きつく〟と〝抱き合う〟に、そこまで大きな差があるのかと、結太が訊ねようとすると。
「おまえはあくまで抱き枕代わりだ! 眠っている間の私にとって、おまえは人間じゃない! 物だ!――物に手足は付いていないだろう? だから、おまえも絶対に、私に触れるなよ? おまえはただ、物に徹して、じっとしてればいい。抱きつくのは、私の方からだけだ。おまえが少しでも私に触れようものなら、ここから蹴り出してやるからな!――いいか、よーく覚えておけよ!?」
……理不尽だ。
とてつもなく理不尽で、非人道的なことを言われている。
結太は人間なのに、『物として動かずにいろ』などとは、あまりにも酷過ぎる話ではないか。
……言い返したい。
何でもいいから、言い返してやりたい。
そう思ったが、少しでも言い返そうものなら、きっと、その何十倍もの言葉を駆使して、やり返して来るに違いない。
悔しいが、ここは、涙を呑んで引き下がろう。
今夜だけ、その"抱き枕"とやらに、徹してやろうではないか。
結太は覚悟を決め、咲耶の方に背中を向けた。
「はいはい。じゃあどーぞ。この背中を抱き枕と思って、どーか存分にお使いください。お、ひ、め、さ、まっ!」
最後の言葉は、嫌味のつもりで言ったのだが、咲耶は、それに気付くこともなく、
「おっ?――フフン。そうそう。そーやって、最初から素直に従ってれば、私も心穏やかでいられるんだ。よしよし」
満足げにつぶやくと、咲耶は何の躊躇もなく、結太の腹辺りに左手を回し、肩辺りに右手を置いて、ピッタリと体をくっつけて来た。
瞬間、柔らかいものが背中に当たり、彼の体はビクッと跳ねた。
「おいっ。動くなって言ってるだろ! 動くと蹴飛ばすぞ!?」
すかさず文句を言われたが、結太の心臓は、そんな言葉で落ち着きを取り戻してくれるほど、都合よく出来てはいない。
とたんにバクバクと騒ぎ出し、先程までは、あんなに寒かったというのに、一気に体温が上昇し、汗まで噴き出して来た。
「……ん? 何だ楠木。もうこんなに、体が温かくなっていたのか。……うん。これはいい。抱き枕だけじゃなく、湯たんぽやカイロ代わりにも、なってくれるかもな。ハハハッ」
(『ハハハッ』じゃねーよッ!……ったく。人の気も知らねーで、呑気なもんだなッ!?)
結太は自分の胸をギュッと押さえ、やや体を丸めて、背中から伝わる刺激を意識しないよう、必死になって耐え続けた。
耐えながらも、桃花の顔を思い浮かべ、
(お許しください、伊吹さん! これは、不可抗力(?)による、不幸な事故ですっ! オレの本意じゃないんですッ!! 文句なら、あなたの滅茶苦茶な友人に言ってやってくださーーーーーいッ!!)
心で叫びながら、一刻も早く朝が訪れてくれますようにと、切に願い続けた。