第8話 結太と咲耶、吹き荒ぶ風と雨の中を彷徨う
森の中を、一時間ほど歩き続けただろうか。
結太も咲耶も、スマホは部屋に置いて来てしまったので、正確な時間はわからないが……。
二人の体内時計が正しければ、たぶん、そのくらいは経っているはずだ。
雨も風も、相変わらず、情け容赦なく降り続けている。
今や、二人の体は完全に冷え切り、震えが止まらない状態だったが、それでも、何とか気力を振り絞り、前へ前へと進んでいた。
咲耶は、昼間この島に来て、森の中にも入っていたが、あの時は、龍生が先に立ち、道案内してくれていたから、迷わずに済んだのだ。
今は、案内してくれる者は誰もいない。勘を頼りに進むしかなかった。
とにかく、何でもいい。
少しでも雨風を避けられるところがあれば、足を止められる。体を休めることが出来る。
そう思いながら、必死に歩いているのだが、似たような樹木が生い茂るばかりで、雨風を防げそうな場所など、いっこうに見当たらなかった。
(参ったな。闇雲に歩き回っているだけでは、無駄に体力を消耗するだけだ。……だが、歩みを止めたところで、もうどうしようもないじゃないか。引き返したって、砂浜には何もない。それは既にわかっている。だったら、この森に希望を託すしか……もう、それしかないんだ。それしかないのに……)
咲耶は焦っていた。
手足はかじかんで、感覚が鈍くなって来ている。
もう、ランタンを持っているのもやっとだった。
このままでは、朝まで持たない。
本当に、凍死してしまうかもしれない。
(マズい……。マズいぞ。意識がハッキリしているうちに、何とかしなければ……)
「楠木、おまえは大丈――」
結太の様子を確認しようと振り返った咲耶は、絶句して立ち止まった。
結太の姿が見えない。
まさか、はぐれてしまったのだろうか?
「楠木ッ!!……楠木、どこにいる!? 近くにいるなら返事しろッ!!」
辺りを見回し、かじかむ手を懸命に上げて、周囲を照らした。
「楠木ッ!! 楠木ぃいいいいーーーーーーーッ!!」
気力も体力も振り絞り、名を叫ぶ。
すると、ランタンの光の先に、小さく結太の姿が見えた。
「楠木ッ!!」
咲耶も限界に近いはずだが、気付いた時には走り出していた。
走って走って、結太の近くまで来ると、思い切り両肩を掴んで揺さぶる。
「おいっ、大丈夫かッ!? しっかりしろ楠木ッ!!」
……返事がない。
ヒヤリとして、大きく結太の体を揺さぶりながら、繰り返し呼び続けると、ようやく反応があった。
「……悪ぃ……。ちっと……確かめたい、ことが……あって……。見に、行ってたんだ。そしたら、追いつけなく……なっちまっ……て……」
「確かめたいこと?――何だそれは?」
結太は微かに笑うと、片手をゆっくりと上げ、親指で後ろを指し示した。
「向こう……に……み、見つけ……た」
「見つけた? 何を?」
「こ……や……。休めそ……な、小屋……」
咲耶はハッと息を呑み、結太のかを強く掴んだ。
「本当か!? 本当に小屋があったんだな!?」
「ああ……。間違い、ねー……」
――やった!
これで助かる!
「よし、もう大丈夫だ! よく見つけてくれたな、楠木!」
希望が湧いたからか、急に元気が出て来た。
ゲームでたとえれば、ポーションを飲むか、ヒーラーに回復魔法を掛けてもらって、HPが僅かに回復した状態――と言ったところか。
「こっち、だ……。ついて……来て、くれ」
結太の方は、かなり弱っているようだ。
声にも張りがなく、弱々しい。やっとのことで、絞り出している感じだった。
「おい、大丈夫か? 具合が悪いんじゃないか?」
心配になって咲耶が訊ねても、結太は『大丈夫だ』と苦しそうに繰り返すばかり。案内するため、先に立って歩く足元は、かなりふらついていた。
(この様子……。もしや、熱でもあるんじゃあるまいな? だとしたら大変だぞ。その小屋とやらに、何か、体を温められるものがあればいいんだが……)
結太の身を案じ、咲耶の心は、大きくざわついていた。
だが、とにかく今は、一刻も早く、小屋に着くことだけを考えよう。
そこに毛布や暖房器具などがあることを祈りつつ、咲耶は結太の後について行った。
「ほら……。ここ……だ」
数分ほど歩いた後、結太は、ある場所で足を止めた。
咲耶がランタンをかざして前を照らすと、こじんまりとした、ログハウスが現れた。
「おおっ、すごいな! 立派なもんじゃないか! 小屋って言うから、もっとオンボロな、倉庫みたいな建物かと思っていた」
咲耶は声を弾ませて、ログハウスのドアの前に立った。
問題は、ドアに鍵が掛かっているか否かだ。
掛かっていたら、軒先で雨宿りは出来るけれど、強風から身を守り、体を温めることは出来ない。
祈るような気持ちでドアノブに手を掛け、右に回した。
「おおっ、開いたぞ! 中に入れる!」
咲耶はドアを開け放ち、中へと足を踏み入れた。
ランタンの灯りで照らして見ると、目測では二十畳程度と、結構広さはある。
しかし、今は誰も使っていないのだろうから、当たり前だが、家具などはほとんどなかった。
端の方に、木製の椅子が一脚、転がっている。
反対側には、ゴミ箱にでもしていたのだろうか。蓋なしの一斗缶が置かれていた。
中には、ねじった新聞紙が、五部ほど突っ込まれている。
「毛布! どこかに毛布はないのか!?」
咲耶は転がっていた椅子を立て、そこにランタンを置くと、壁側に収納棚、床に収納庫などがないかを見て回った。
だが、壁には大きな窓と小さめの窓があるだけで、収納棚などはどこにも見当たらなかった。
「収穫なし、か……。マズいな。濡れた服を着たままでは、体温が奪われるばかりだ。服を脱いで毛布を被れば、寒さを凌げると思ったんだが。……なあ、楠木。せめておまえだけでも、服を脱いでおけよ。そこに新聞紙があるか――ら……」
振り返ると、結太は未だ、入り口に突っ立っていた。
自分の体を抱き締め、ガクガクと震えている。顔色は、もはや真っ蒼を通り越して、白いと形容してもいいくらいに、血の気が失われていた。
「楠木?……おいっ、大丈――」
声を掛けたとたん、結太の体がグラリと揺れた。
そのまま膝から崩れ落ちるように、床へと倒れる。
「楠木ッ!?」
慌てて駆け寄り、咲耶は結太の体を抱き起こした。
膝に頭部を乗せ、頬を数回叩く。
「おいっ! おいっ、楠木ッ! しっかりしろ楠木ッ!!」
すると、結太はうっすら目を開き、
「……悪ぃ……。なんか……頭が……ボーっと、して……」
弱々しく言葉を返すが、その間にも、体の震えが激しく、いっこうに止む気配がなかった。
(意識が朦朧として、震えが止まらない状態……。まさかこれは、〝低体温症〟とかいうヤツではないだろうな?)
低体温症――深部体温が三十五℃以下の状態を指し、これによる死が、〝凍死〟だ。
咲耶も、それほど詳しいわけではない。
以前にちらっとだけ、どういう症状なのか、軽度の場合と重度の場合の違いは――ということを、耳にしたことがある程度だった。
(……マズい。本当にそうだとしたら、楠木が危ない!……どうすればいい? どうすれば……!)
震える結太を抱きかかえ、咲耶は一人、途方に暮れていた。
〝このままではダメだ〟ということだけはわかる。
しかし、咲耶も普段の状態ではなく、心も体も疲れ切っているのは、結太と同じなのだ。すぐに〝どうすべきか〟などという考えが、浮かんで来るはずもなかった。
(……とにかく、一度落ち着こう。焦っていては、いい案など浮かばない。今、こいつを……楠木を助けられるのは、私だけなんだ。私がしっかりしなくては――!)
咲耶の胸に、熱い使命感が湧き上がった。
しばらくしてから、咲耶は結太の体を膝から持ち上げ、そっと床に横たえた。
そして立ち上がり、開いたままになっていたドアを、早足で閉めに向かう。
ドアを閉め、振り返って、改めてログハウスの中を見回すと、一斗缶に突っ込まれた新聞紙に目が留まった。
何か思いついたのか、コクリとうなずき、咲耶は一斗缶へと近付いて行った。




