第4話 結太と咲耶、突然の暴風雨に途方に暮れる
「いったいどこまで続くんだ? この砂浜ってヤツは!」
ランタンを下げた手を持ち上げ、ゆっくりと、左から右へと移動させて周囲を照らすと、咲耶は苛立ちの声を上げた。
先ほどから、もう結構長いこと、結太と共に〝落ち着いて話せる場所〟を求め、ひたすら歩き続けている。
それなのに、だだっ広い砂浜が延々と続くばかりで、座れるような大きめの岩すら、どこにも見当たらなかった。
まだ明るい時刻であったなら、昼間に龍生と行った、〝桜が咲いている場所〟にでも、向かうところなのだが……。
いくらランタンがあるとは言え、夜に森の中を行くのは、どう考えても危険過ぎる。
そう判断し、砂浜の方を行くことに決めたのだが、行っても行っても砂浜で、いい加減飽き飽きして来た。
「あーっもう! こーなったら、いっそ砂浜に座るか。服が砂まみれになるのは嫌だが、このまま、迎えが来るまで歩き続ける――なんてのも御免だ。なあ、楠木はどう思う?」
黙り込んだまま、ひたすら咲耶の後ろをついて歩いていた結太は、いきなり話し掛けられ、ビクッとして立ち止まった。
「え――?……あ、いやっ、まあ……確かに、歩き続けるのは疲れます……ね」
「だろう!?……って、また敬語か? 遠慮なんかせず、もっと気楽に喋れと言ったはずだが?」
「え?……あ、はあ……。じゃあ、あの……確かに、歩き続けるのは疲れる……な?」
首をかしげて言い直すと、咲耶はプッと吹き出して。
「ハハハッ! どうしてそこで、疑問形になるんだ? 『これならどうですか?』と、お伺いを立てているつもりか? おまえ、意外と愉快な奴だな」
……いったい、何が面白いのか。
結太には、さっぱり理解出来なかったが、一応、褒めてくれたのだろうと思うことにし、『はあ。そりゃどうも』と礼を言った。
やたらと睨み付けられていた時も、かなり居心地が悪かったが、フレンドリーな咲耶は咲耶で、何故か疲れる。
結太は、『こーゆーのを、〝相性が悪い〟ってゆーのかな?』などと考えていたが、桃花の親友に対して、それは失礼だろうと思い直し、小さく首を振った。
「――ん、なんだ? 虫でもぶつかって来たか?」
「えっ!?……あ、ああ……まあ、はい……」
まさか、『保科さんとは、相性が悪いのかな~って思って』などとは言えない。
結太は、にへらと笑ってごまかした。
まあ、それはさておき。
ランタンを持っているせいで、咲耶の周りには、先ほどから、無数の虫が寄って来ているのだが……。
咲耶は悲鳴ひとつ上げることなく、片手を手刀のように構え、バシバシと叩きつけては、追い払っている。
普通の女性だったら、キャーキャー大騒ぎして、大変だっただろう。
やはり、こういうところも変わってるよなと、結太はしきりと感心していた。
「保科さんは、虫は平気なんですね?……あっ、いや……平気なのか?」
「は? 虫?……ああ、そうだな。昔はダメだったが、今は平気だな」
「えっ? 昔から平気だった……とかじゃなく?」
食べ物の好き嫌いを克服した、などの話はよく聞くが、虫嫌いを克服したという話は、あまり聞いたことがない。
何となくだが、ああいうものの好き嫌いは、生理的なものが関係している気がするので、嫌いだったら、ずっと嫌いなままなのかと思っていた。
「ああ。実は、桃花が大の虫嫌いでな。昔から、桃花が怖がるたびに、私が対処していたんだ。そうしたら、いつの間にか平気になっていた。不思議なものだな」
「えっ?……じゃあ、伊吹さんのために……?」
親友を、苦手なものから守るために――自分も苦手だったものを、克服したと言うのだろうか?
だとしたら、咲耶の親友思いは、ハンパないな――と結太は舌を巻いた。
「んー……まあ、そう言われてみれば、そうなのかもしれないが……。べつに、無理して克服したわけでもないからな。自然と、そうなっていたってだけの話だ」
何でもないことのように、咲耶は言う。
しかし、例えば――龍生も自分も、苦手なものがあったとしよう。
結太は、『龍生のために克服しよう』とまでは、絶対に思わない。
たぶん、『苦手なものは苦手なんだから、仕方ないよな』と、思うだけのような気がする。
(保科さんって、ホントすげーな。親友のためだからって、フツー、そこまで出来ねーよな? マジで脱帽って感じだぜ)
この咲耶に、〝桃花の相手として相応しい〟と、認めてもらえるようになるまでには、相当な努力が必要だな――と、結太は改めて胸に刻んだ。
「……ん?」
ふいにつぶやくと、咲耶は空を見上げた。
「雨だな。さっきまで、あんなに星が見えていたのに……って、うわっ! マズイ! かなり降って来たぞ!?」
「えっ!? でもこの島、雨宿り出来るようなとこなんて――っ」
言っている間にも、雨の勢いは凄まじくなり、数秒と経たぬうちに、痛さを感じるほどの豪雨になってしまった。
「仕方ない! ここよりは、まだ森の方がマシだろう。走るぞ!」
咲耶の意見にうなずくと、かなり遠くにある森目指し、二人は全力で駆け出した。
数分走り続けて、森の入り口に着いたはいいが、やはり、大きな木の下に入っても、避けられるような雨風ではなかった。
結太も咲耶も、既に全身びしょ濡れで、髪の毛や服が肌に張り付き、毛先や、服の裾や袖などから雨が伝っては、ぽたぽたと地に落ちている。
「これは……かなりマズい状況だな。このままでは、すぐに体が冷え切ってしまう。迎えが朝まで来ないようなら、早く雨風から身を守れる場所を見つけんと、凍死する可能性もあるぞ」
「凍死!?――って、うわぁあああッ!!」
驚いて顔を上げたとたん、結太は大声を上げた。
びしょ濡れのTシャツが肌に張り付き、完全に下着が透けてしまっている咲耶の上半身が、目に飛び込んで来たからだ。
「――な、なんだいきなり? 突然大声を上げるな。驚くだろうが」
咲耶は長い黒髪を耳に掛けたりしながら、ブツブツ文句を言っているが、結太はそんな言葉を気にする余裕もなく、慌てて彼女に背を向けた。
姉か妹がいるのなら、女性の下着姿も目にする機会があるのかもしれないが、結太は一人っ子で、母親も、下着姿でうろつくことなど、まずない。
おまけに、テレビの女性下着のCMを見ただけで、未だに赤くなってしまうという、免疫のなさなのだ。下着が透けている女性を目の当たりにし、平然としていられるはずもなかった。
「何だ? 何故後ろを向く? 私が気に入らないんだとしても、今は仲違いをしている場合じゃないぞ? 嫌でも協力し合って、この状況を切り抜ける方法を考えねば。他に、生き残る道はないんだからな。少しは我慢しろ」
「いやっ! べつに、保科さんが嫌とか、そーゆーんじゃなくてっ!……そ、その――」
(下着がスケスケで、目のやり場がねーんだってーーーーーーーッ!!)
伝えたかったが、口にするのも恥ずかしかった。
恥ずかしがっていられる状況ではないということは、重々承知しているのだが……。
それでも、簡単に割り切って指摘出来るほど、結太は大人ではなかった。
(どっ、どどどどーしよーッ!? どーすんだ、どーなんだこれッ!? こんな酷い天気じゃ、トラさんもヘリは飛ばせねーだろーし、当分迎えは来ねーって、思っとかなきゃいけねーんだよな?……けど、その間中、ずっと目をそらしてるなんて不可能な気がするし……。だからって、まともに見るなんて出来ねーよッ!! オレには伊吹さんってゆー、心に決めた人が――っ!!)
「おい! 無視するなよ楠木! 仲違いしている場合じゃないって言ってるだろ!? ガキじゃないんだから、少しは考えて行動しろ!!」
後ろから結太の肩を掴み、咲耶は、腹を立てた様子で話し掛けて来る。
結太は両手で頭を抱え、これでもかというくらい、ギュウゥッと目をつむった。
(『ガキじゃないんだから』って、ガキじゃねーから困ってんだろーがッ!! 保科さんだって、一応女だろ!? 少しは、自分のヤバイ状態に気付けよ! 下着がっ、ブラが透けてんだよブラがーーーーーッ!!)
激しい雨風が吹き荒れる中、怒れる少女は仁王立ちし、迷える少年は両目をふさぐ。
怒っている場合でも、恥ずかしがっている場合でもないのは、二人ともよくわかっていた。
春の雨はまだ冷たく、お互いの体が芯芯から冷えるのも、時間の問題だろう。
しかし、それでも譲れないものが、結太にはあった。
恋する人――桃花への、ひたむきな想いだ。
不可抗力とは言え、女性と二人きりなのだ。誤解されてしまうような行動は、絶対に避けなければならない。
結太の桃花に対する想いは、死に対する恐怖より勝るのだ。
……が、そんな想いを一心に貫ける状況ではないことを、この後彼は思い知る。
大自然の驚異の前では、人間の力など、しょせん無力なものなのだと、痛感させられる羽目になるのだった。