第2話 龍生、東雲の二度目の報告に蒼ざめる
龍生が東雲から、『二人を無事に島へ送り届けました』との連絡を受けたのは、風呂から上がり、部屋で一息ついていた時だった。(ちなみに、この別荘にある全ての部屋は、風呂とトイレ付きだ)
龍生は『ご苦労だった。二時間ゆっくり休んでくれ』とだけ伝え、電話を切った。
(今度こそ、うまく誤解を解ければいいが。それさえ成功すれば、あの二人は自然と付き合うことになるだろう。伊吹さんは、まず間違いなく、結太に好意以上の感情を抱いている。問題があるとすれば、伊吹さん自身が、己の想いに気付いていない可能性がある――という点だけだな)
しかし、これ以上厄介な問題さえ起こらなければ、二人が付き合い出すのは時間の問題だろうと、龍生は確信していた。
(結太の方がうまく行けば、残るは、俺の問題だけなんだが……。相手が相手だから、こちらは、かなり難航するだろうな。……どう、すれば……いいんだろうな。……どう……すれば……)
風呂に入り、体が温まったせいだろうか。急激に眠気が襲って来た。
龍生は額を押さえ、しばらく目を閉じていたが、そんなことで眠気がなくなるわけもなく――。
(ダメだ。頭がぼうっとして来た。……仕方ない。結太が戻って来るまで、横になっているか)
どうせ、それまでは特に用事もないのだ。
龍生は、おもむろにベッドに横になると、重い瞼を閉じた。
それから、どれだけ時が経っただろうか。
スマホの着信音で、龍生は目を覚ました。
ゆっくりと起き上がり、枕もとのスマホを手に取る。
時刻は、夜の九時半近く。発信者は東雲だった。
「……どうした? 迎えに行くのは、もう少し先のはずだろう?――何かあったのか?」
龍生が訊ねると、緊張した様子の東雲の声が返って来た。
『坊ちゃん、大変です! 今朝の天気予報では、しばらく晴れの日が続くってことでしたが、それが大外れしたようでして……。外は今、暴風雨なんです!』
「――何!? 暴風雨だと!?」
一気に眠気が吹き飛んだ。
龍生は慌ててベッドから下りると、窓辺に行き、外の様子を窺った。
龍生が眠りに就く前までは、確かに、綺麗な星空が広がっていたはずだ。
それが今は、東雲の報告通り、横殴りの雨が、激しく窓ガラスを揺さぶっている。
「クソッ! いつの間に――!」
『どうしましょう、坊ちゃん? この暴風雨では、ヘリは飛ばせません!』
「予報ではどうなっている? この天気は、しばらく続くのか?」
『は、はい。予報では、朝方まで続くようだと……』
「朝方まで――」
一瞬、眩暈で足元がふらついた。
目が覚めるまでは、こんなことになるなどとは、想像すらしていなかった。
「東雲。結太達に、ランタンなどの入ったリュックは、渡してあるな?」
『はい、それはもちろん!……ですが、あのリュックには雨対策――レインコートや、撥水加工のシートなどは、一切入っていません。島にいるのが二時間程度なら、必要ないかと思いまして……。も、申し訳ありません!』
「……いや、おまえのせいではない。俺の予測不足、指示のミスによるものだ。おまえは気にしなくていい」
『ぼ、坊ちゃん……』
本当に、想定外だった。
まさか、星が見えるほど晴れていた空が、一時間と少し経った程度で、ここまで変貌してしまうとは。
……いや。
昨今の、世界中で起こっている異常気象や、天候被害、災害などの情報が頭に入っていれば、当然、想定していなければいけないことだった。
龍生は己の迂闊さを悔やみ、ギリリと奥歯を噛み締めた。
「……とにかく、今は様子を見るしかないだろう。あの島には、台風のような暴風雨を凌ぐ、頑丈な建物こそないが、確か、木造の管理小屋のようなものが、どこかにあったはずだ。結太と伊吹さんが、それを見つけてくれていることを祈ろう」
『えっ?……伊吹、様……?』
困惑したような声がした後、東雲の言葉が途切れた。
「何だ? どうかしたか、東雲?」
『えっ?……あっ、いや、あの……。ええと……坊ちゃん、今……伊吹さん、とおっしゃいましたか……?』
「ああ。言ったが?」
『え……。あの……島にお送りするお二人って、結太さんと……保科様、ではないのですか?』
「――は? 何言ってるんだ? 結太と伊吹さんだ。保科さんは関係ない」
『えっ?……あれっ?……え……えええっ?』
どうしたというのだろう? かなり混乱しているようだ。
嫌な予感が脳裏をよぎる。
龍生は胸元を片手で押さえ、心を静めるよう努めると、再び口を開いた。
「どうした、東雲? 気になることがあるなら言ってみろ」
『は、はいっ。あの……も、申し訳ありませんっ! 島に送り届けたのは、結太さんと、その……伊吹様っ――ではなく、保科様ですっ!!』
「な……!」
今度は、龍生が言葉を失う番だった。
結太と伊吹さんをデートさせる計画が、いったい、どこでどう狂ってしまったのだろう。
『も、申し訳ありませんっ坊ちゃん! 伊吹様は、坊ちゃんとお付き合いしているお方だとお聞きしておりましたので、結太さんのお相手は、当然、保科様だろうと……』
――そうだ。
家に桃花を招待した時、誤解させるような行動を取っていたのは、他でもない、龍生自身だったではないか。
祖父の龍之助も、すっかり、そういう風に思い込んでいるようだったが、説明するのも面倒なので、あえて放っておいたのだった。
他の者にも、特に事情を説明した記憶はない。
(完全に俺のミスだ。他の者に詳しい事情を説明しておけば、結太と共にヘリに乗り込んだのが、伊吹さんではなかった時点で、この計画は破綻していた。二人が島に渡ることはなかったはずだ。……俺が。俺のせいで二人が――!)
『坊ちゃん!――大丈夫ですか、坊ちゃん!』
東雲の声で我に返る。
彼らしくなく、スマホを持つ手は、緊張で小刻みに震えていた。
胸は、はち切れんばかりの圧迫感で、吐き気を催すほどだった。
……だが、今は動揺している場合ではない。
こんな時こそ、冷静にならなければ。
龍生は東雲に気付かれぬよう、スマホを顔から離し、数回深呼吸してから、再び耳に当てた。
「とにかく、様子見だ。なるべく早く、悪天候が回復することを祈ろう。今俺達に出来るのは、それくらいしかない」
『坊ちゃん……。坊ちゃん、申し訳ありません! この東雲、坊ちゃんにご指示さえいただければ、今すぐにでもヘリを飛ばします! 私の命に代えましても、お二人をお救いし――』
「バカを言うなッ!! そんな無謀なこと、絶対に許さんッ!!」
『――っ!……坊ちゃん』
今まで聞いたこともないほどの龍生の大声に、東雲は息を呑んで沈黙した。
龍生は片手で額を押さえ、目を閉じると。
「……いいか、東雲。これはおまえのミスではない。俺のミスだ。何があろうとも、責任は俺が取る。おまえは、俺の指示に従っただけだ。罪の意識を感じる必要はない」
『でっ、ですが! 自分が逐一、坊ちゃんにご報告していれば……。いえ、その前に、もっとこまめに、天気予報を確認しておけば――っ』
「違うッ!! 俺のミスだと言っているだろう!?……いいか? おまえは、俺が次の指示を出すまで、部屋で待機だ。絶対に、余計な真似はするなよ? いいな?」
『…………』
「いいな、東雲!?」
「はっ、はい! 承知しました!」
龍生は電話を切ると、深いため息をついた。
外では相変わらず、雨風が、激しく窓を叩き付けている。
窓に片手と額を付け、
「頼む。無事でいてくれ、結太。……そして――」
つぶやくと、片手を上げ、絆創膏を巻いた人差し指を、じっと見つめる。
それから、もう片方の手で、大事そうに指を包み込むと、口元へと運び、強く唇を押し当てた。
「……頼む。無事でいてくれ――……咲耶!」
両手も、声も、微かに震えていた。
龍生の願いも空しく、雨風は一層激しく、窓を打ち続けている。
朝方まで降り続くだろうという予報は、今度は外れそうになかった。