第1話 結太、無人島で桃花への想いを吐露する
東雲は、無人島に二人を降ろすと、『じゃっ! 二時間ほど経ったら、またお迎えにあがりますので! それまで、どうぞごゆっくり~!』などと言い、引き返して行ってしまった。
(に……二時間? 二時間も、この島で保科さんと二人っきり……なのか?)
結太は情けない顔つきで、島で必要そうなもの(周囲を照らすためのランタン、小腹が空いた時のためのクッキーなど)が詰められたリュックを両手に抱え、東雲の操縦するヘリが、だんだんと遠ざかって行く様を見つめていた。
考えてみれば、夜の無人島など、真っ暗で、波の音だけが妙に大きく聞こえるばかりで、ちっともロマンチックではなかった。
夜空を見上げれば、宇宙に放り出されたかと錯覚してしまいそうな、無数の星々が瞬いている。
都心にいては、これほどの星空は、まず見ることは出来まい。
貴重なものが見られた。
そのことが唯一の慰めではあったが、一緒にいるのが咲耶では、ロマンチックだと見惚れる気にもなれない。
楽しみにしていたクルージングも、真っ暗な海と、時々、島影が見えるくらいで、面白くも何ともなかった。
やはり、ライトアップされた、綺麗な夜景があってこそのクルージングなのだなと、つくづく思い知らされた。
(……まあ、伊吹さんと一緒だったんなら、どんなものでも、どんなことでも――そしてどんなとこでだって、感動出来たんだろーけど。……ここにいんのが保科さんじゃなぁ。息が詰まるばっかりで、感動する余裕すらねーんだよなぁ)
思わず、大きなため息ををひとつ。
すかさず咲耶に聞き付けられ、
「ほほう? これはまた、ずいぶんと大きなため息だな。それほど、この私と共にいるのが苦痛か? ん? 苦痛なのか?――ハハッ。そうだなあ、そうだろうなあ。おまえが楽しみにしていたのは、桃花とのデートだもんなあ。ハハハハッ、ざまあみろ! 私の可愛い桃花と、そう簡単にデートなどさせてやるものか! 本当に残念だったなあ、楠木? ハハハハハハハハッ!!」
嘲りの笑い声が、次第に大きくなって行く。
真っ暗な海岸に、ただ笑い声だけが響き渡り、結太の胃はキリキリと痛んだ。
何故、ここまで酷いことを言われなければならないのだろう?
好きな子とのデートに、心躍らせることは、そんなにいけないことなのだろうか?
うな垂れ、黙り込んでしまった結太を前にしても、容赦なく、咲耶はたたみ掛けて来る。
「何だ? ここまで言われても、まだ言い返して来ないのか? それとも、言い返せないのか?――まったく、とんだ腰抜けだな。そんな情けない奴には、とても桃花を任せられん。早々に諦めるんだな。想い続けるだけ無駄だ。常に優しく愛らしい桃花には、もっと頼り甲斐のある男でなければ。少なくとも、私は絶対に認めない!」
「――っ!」
うつむいたまま、結太は唇を噛んだ。
そんなこと、わざわざ言われなくてもわかっている。
自分が桃花に相応しい男ではないことくらい、わかっているのだ。
桃花には、もっと優しくて、強くて、誠実で、咲耶の言うように、頼り甲斐のある男こそ相応しい。
結太だって、ずっとそう思って来た。
自分には、誇れるところなどひとつもない。
顔だって性格だって、平均か、もしくはそれ以下だ。
背だって、高校になって急に伸びはしたが、中学までは、百五十センチほどのチビだった。
背が伸びないままだったら、今の桃花と同じくらいしかなかっただろう。
何度も、諦めようとした。
桃花には相応しくないからと。何度も、何度も。
それこそ、数え切れないくらい。
それでも、どうしてもダメだった。
諦められなかった。
考えないようにすればするほど、余計に脳裏に浮かんで来てしまう。
桃花の温かい笑顔が。
可愛らしい声が。
いつも一生懸命な姿が。
ちらりとでも見掛けたら、目で追わずにはいられない。
見つめずにはいられない。
忘れたい。
忘れたくない。
忘れられない。忘れられない。忘れられない!
そんなことを、この一年間、ずっと繰り返し思い続けて……。
「……どーしたら、忘れられんだよ……?」
暗闇の中で、結太の声が低く響く。
ずっと黙り込んでいた結太が、急に声を出したことに驚き、咲耶はビクッと肩を揺らした。
「な、何だいきなり? 今、何て言っ――」
「どーすれば忘れられんだって言ってんだよ!! 知ってんなら教えてくれよ!! 綺麗さっぱり忘れられる方法がわかりさえすりゃ、すぐにでも実行してやるよ!!」
暗闇の中、薄ぼんやりと浮かび上がる咲耶を睨み付け、結太は続ける。
「オレだって、忘れられるもんなら忘れてーよッ!! 苦しまずに――もうゴチャゴチャ悩まなくても済むよーになるんなら、そーしてーんだよッ!!……でも、ダメなんだ。何度忘れよーとしても、忘れらんねー……。忘れらんねーんだよッ!!」
「……楠木……」
結太の声を、初めてまともに聞いた気がした。
咲耶の前では、いつも目をそらし、おどおどと、どもりがちの言葉しか返して来ない。
もっとハッキリ話せないのかと、正直、イライラしていたのだ。
「……なんだ。まともに話すことも出来るんじゃないか」
「――え?」
予想外の、咲耶の優しい声色に、結太は戸惑い、思わず顔を上げた。
暗闇の中だ。当然、どんな表情をしているかまではわからない。
それでも今の咲耶は、何となく、笑みを浮かべている気がした。
「すまなかったな。おまえが、そこまで真剣に桃花のことを想っていたなんて、知らなかったんだ。……いや。一般人が、アイドルや俳優見て大騒ぎするのと同じような、軽い気持ちなんだろうと、決めて掛かっていた。……悪かった。おまえも、ずっと悩んで来たんだな。桃花のことを、それだけ……大事に想っていたんだな」
「……保科、さん……?」
穏やかだが、どこか寂しげにも思えるその声に、何故だか、結太の胸はキュッと痛んだ。
今まで、傍若無人な態度の咲耶しか、見たことがなかった。
こんな風に、切なげな声を出すこともある人だなんて、思いもしなかった。
素直に謝ってくれることがあるなんて、想像もしていなかった。
「……あの、保科さ――……」
「それにしても、真っ暗だな! これじゃあ、落ち着いて話も出来ん。――楠木、リュックの中に、乾電池式のLEDランタンがあるとかって、あの東雲とかいう男が言っていただろう? 出して、周囲を照らしてみてくれないか?」
「え?……あ、ああ――はいっ!」
いつもと雰囲気の違う咲耶に、戸惑っていた結太だったが、ようやく、元の調子に戻ってくれたようだ。
結太は安堵し、慌ててリュックの中に手を突っ込んで、ランタンらしきものを取り出した。
「ちょ、ちょっと待ってください。今点けますからっ」
手探りで、ランタンのスイッチを探す。
それらしきものを見つけ、出っ張った部分を押してみると、パアッと周囲が照らされた。
「ほう。意外と明るいんだな。これなら、足元も周囲もよく見える」
「そ、そーですねっ。よかったです」
咲耶はクッと小さく笑い、結太をまっすぐ見て言った。
「おまえ、どうしていきなり敬語なんだ? 最初はそうじゃなかっただろう?」
「えっ?……そ、そー……でしたっけ?」
「ああ、確かにそうだった。同学年なんだから、妙な遠慮はするな。〝さん〟付けなども、しなくて構わん」
(……いや。さすがにそれは無理だって)
曖昧な笑みを浮かべつつ、結太は心でツッコミを入れた。
急に呼び捨てなどし出したら、桃花にどう思われてしまうかわからない。
……危険だ。
それにしても、咲耶の結太に対する接し方、話し方が、以前より、かなり柔らかくなった気がする。
本音をぶつけてしまったことが、逆に、良い結果を生んだのだろうか。
結太は首を捻りながらも、『ま、保科さんの機嫌が良くなったんなら、それに越したことはねーか。あと二時間、一緒にいなきゃなんねーんだから』と、ホッと胸を撫で下ろした。