第12話 結太、ベッドの上で空腹を堪える
生き地獄のようなディナータイムを終え、部屋へと戻って来た結太は、ヘトヘトになりながら、ベッドにうつ伏せで倒れ込んだ。
結局、極度の緊張と、咲耶に食事中も睨まれ続けたストレスで、落ち着いて食べることも出来なかった。
そのせいで、今頃になって、腹の虫がギュルルルと鳴り始めた。
(ああ~……腹減ったぁ~……。お福さんの料理……相変わらず、どれも美味そうだったな……。せめて、パリパリサラダだけでも食いたかった……)
〝パリパリサラダ〟とは、宝神自慢の絶品サラダだ。
作り方は、キュウリ、キャベツ、ニンジン、ダイコンなど、歯ごたえのある野菜に軽く塩を振り、浅漬けしておく。次に、宝神秘伝のドレッシングで和える――という、とてもシンプルな料理なのだが、これがまた、信じられないくらい美味しいのだ。
結太は、食べ物の好き嫌いはあまりないが、野菜は少々苦手だったりする。
食べられないことはないのだが、好んで食べるというほどでもない。
それなのに、宝神の作るこのサラダだけは、好物と言ってもいいくらいに、幼い頃からよく食べた。
気が付くと、他の料理そっちのけで、こればかり食べている時もあるくらい、大好きな一品なのだが……。
残念なことに、今日は一口も食べられなかった。
それと言うのも、結太同様、咲耶も、これを気に入ってしまったからだ。
夕食もビュッフェ形式になり、大食いの咲耶は、ここぞとばかりに張り切って、ズラリと並べられた料理を、片っ端から取り皿に盛っていた。
結太は席に着いたまま、その様子を眺め、『ダメだ。とても近付けねー』と、半ば諦めながら、ちびちびと水を飲んでいたのだが……。
その間、龍生には、『少しでも食べておかないと、後で辛いぞ』と言われるわ、桃花には、心配そうにちらちら見られるわで、居た堪れなかった。
結局結太は、皆が食事を終えるという頃合いを見計らって、ようやく席を立ち、料理が並んでいるところまで、のろのろと歩いて行った。
料理のほとんどは、空に近い状態だった。
だが、結太の好物と知っていた宝神が、多めに作っておいてくれたのか、パリパリサラダだけは、まだ一皿分ほど残っていた。
(よかった。あれだけでも食えれば、今日は満足だ)
結太はホッとし、パリパリサラダの盛られた大皿の前に近付いて行った。
取り分けるためのトングを握り、その手を、皿へと伸ばす。
瞬間、結太と大皿の間を阻むようにして、咲耶が立ちふさがった。
「あっ。オレの――」
思わず声が出てしまい、慌てて口をふさいだが、遅かった。
咲耶が素早く振り返り、
「は!? 『オレの』――だと!?」
もの凄い形相で、ギロリと結太を睨みつける。
「まだ小皿に盛り付けてもいないのに、『オレの』だと主張するのか?……フッ。面白い。食い物のことで、この私に挑んで来るとは……貴様、思ったより度胸があるな」
「えっ!?……あ、いや……そんなことは……」
挑んだつもりはないと、慌てて首を横に振るが、咲耶は一人で盛り上がってしまっている。
「いいだろう、この勝負受けて立とう! このサラダを胃袋に収めるのは、私か、それともおまえか。――ほら、言ってみろ。何で決着をつける? 気楽にジャンケンか? あみだくじか? それとも、かくし芸の出来で決めるか?」
「かっ、かくし芸!?」
とんでもなくメンドクサイことになって来てしまった。
結太はぶるぶる首を振ると、
「いえっ、もう結構ですっ!」
即行で断り、くるりと背を向けて『ごめんなさいぃいいーーーーーーーッ!!』と叫びつつ、ダイニングルームを飛び出した。
「楠木くんっ?」
後ろで小さく、桃花の声が聞こえたような気がしたが、勢いは止まらない。
結太はそのまま走り続け、自分が泊まる部屋に戻った。
――と、ここで冒頭に戻るわけだが。
(……にしても、保科さんてやっぱ変じ――っ……いや、変わってるよな。サラダをどっちが食うかの勝負が、〝かくし芸〟って……さすがに、そりゃねーだろ。ジャンケンやあみだくじなら、まだわかっけど……)
ベッドに突っ伏したまま、夕食時のことを考えていると、ギュルルルル……と、また腹の虫が鳴った。
(ああ~~~、くっそ~~~。腹減ったぁあああ~~~~~。この際、何でもいーから食わせてくれぇ~~~~~)
そうやって、夕食を一口も食べなかったことを、結太がひたすら後悔している時だった。
コン、コン、コン。
ドアをノックする音が聞こえ、結太はガバッと、ベッドから体を起こした。
「あのっ、楠木くん?……え、と……伊吹ですけど、あの……っ、ちょっと、お聞きしたいことがあってっ!」
「――伊吹さんっ?」
結太は転がり落ちるようにベッドから下り、ドアの前まで走った。
ドアノブに手を掛け、慌てて開けると、そこには桃花の姿が――。
「あ、あのっ、またいきなりごめんなさいっ。夕食前、この部屋に伺った時に、わたし、あのっ、落し物しちゃったみたいでっ」
「……落し物?」
「はいっ。あの、えっと、大したものではないんですっ……けど、あの……あの……っ」
真っ赤になってうつむく桃花を、結太は『可愛いなぁ』などと思いながら見つめていた。
すると、ドアの横側から、
「大したものでないわけがなかろう! 桃花が心を込めて作ったクッキーだぞ!?」
鋭い声が聞こえたとたん、ギョッとしてしまい、結太は、その場で少し飛び上がってしまった。
どうやら咲耶は、ドア横の壁に、寄り掛かっていたらしい。
結太の立っているところからは見えなかったので、気付けなかったのだ。
「え? あの……。〝手作りクッキー〟……って?」
咲耶もいたことに、少々ガッカリしながら訊ねると、咲耶は、ドアをガッと掴んで顔を出し、
「クッキーはクッキーだ!――悪いが、探させてもらうぞ」
言うが早いか、結太の脇をすり抜け、桃花の手を引いて、部屋へと入って来た。
「えっ? あ、あの…っ!」
何が何やらわからず、呆然と二人の姿を追う。
二人は、小声で訊ねたり訊ねられたりしながら、ベッド周辺をウロウロしていた。
「桃花が楠木と倒れていたのは、この辺りだな。……とすると、ここで放り出された場合、落ちていそうなのは……」
咲耶はブツブツ言いながら、ベッドと壁との隙間を覗き込んだ。
結太が『落し物が、〝手作りクッキー〟?』などと思いつつ、首をかしげていると、
「ん?……おっ、あれか? あった! あったぞ桃花!」
「えっ? ホント、咲耶ちゃんっ?」
咲耶が体を起こして片手を上げると、その手には、リボンの付いた小箱が。
「あっ! ホントだ、あった! ああ~よかった~。ありがとう咲耶ちゃん!」
咲耶の手にある小箱を見て、桃花はホッとしたように微笑んでいる。
結太も、あの小箱には見覚えがあった。
夕食前、桃花がここに来た時に持っていて、結太がボーっと見ていたら、後ろ手に隠されてしまった箱だ。
(あの箱、ここに落としちまってたのか……)
あんなに必死になって探して、よほど大切なものなんだな……と結太が思っていると、咲耶が近付いて来て、その箱を胸に押し付けて来た。
「へっ?……あ、あの……?」
「桃花の気持ちだ! ありがたく受け取れ!」
「……え? 伊吹さん……の?」
驚いて桃花を見ると、彼女はまた、顔を赤くし、うつむいてしまった。
「昼間、桃花がおまえ達にと、懸命に作ったクッキーだ! 心して食えよ?――さあ、これで用は済んだ。桃花、部屋に戻ろう」
「えっ? あ……う、うん」
咲耶に手を引かれ、桃花は部屋を出て行こうとしている。
「え……えっ? あ、あのっ、伊吹さ――」
咲耶に手渡された小箱を手に、結太は慌てて声を掛けたが、無情にもドアは閉じた。
結太は、『箱の中身は、伊吹さんが作ったクッキーだったのか』と、今更ながら思いつつ、小箱に視線を落とした。
(……けど……。嬉しい、けど……嬉しいけどっ)
ギュッと拳を握り、歯を食いしばって、結太がこの時、何を考えていたかと言うと。
(伊吹さんに直接、手渡してもらいたかったぁあああ……ッ!)
せっかくの桃花からのプレゼントを、咲耶に素っ気なく渡されてしまったことを、しきりに悔しがっていた。